我家から車で10分の距離に、戦国武将の織田信長の出生地と言われる勝幡城があり、かつては尾張有数の商都であった津島と津島湊から、豊富な資金を利用して最新鋭の鉄砲を入手し、尾張を統一して岐阜から全国へ進出していきました。
織田信長は天文3年(1534年)5月12日に生まれ、天正10年(1582年)6月2日に本能寺の変により49歳(満48歳没)の若さで自刃しているが、今から500年前の武将が未だに人気が衰えず、現代社会と比較して語られることに郷土の先人として誇らしく思えます。
さて、本日の新聞報道によれば、奈良県橿原市で、16世紀後半ごろとみられる織田信長ゆかりの遺跡が見つかり、信長と和睦した際、その条件として埋められた可能性がある豪が出土したと記されてきました。
信長との和睦で埋めた濠? 奈良・橿原で一部出土
一方で、戦国武将、織田信長のルーツとされる福井県越前町の剱(つるぎ)神社付近で、信長の十数代前の先祖といわれる「親真(ちかざね)」 (生没年不詳)の没年を記した墓石の銘文が確認されたと月初めには報じられています。
「信長平氏説」揺らぐ?墓石で先祖の没年判明 福井
それによれば、 信長の家系図の多くが親真を信長の先祖としているが、親真を剱神社神官の忌部(いんべ)氏の直系とする説と、壇の浦の戦い(1185年)で死んだ平資盛(すけもり)(清盛の孫)の実子で、近江(滋賀県)から剱神社に養子に来たとする説とがあった。
今回の発見により、信長の先祖は平氏ではなく、剱神社の神官とする説が強まったとしているが、中世の改革派としてのカリスマ性に憧れる現代人も多く、ルーツ探しもロマンを掻き立てる。
さて、本日は12月議会の議会運営委員会が開催され、来週からは議会日程が年末まで続きますが、積み残してきたNPO法人の活動も、来年2月に予定されている地域セミナーの準備が急務となり、夜に役員会も開催されましたが、私の尻にも火がついて正月を越すことになりそうです。
11月22日の一言








