本日は家族が掃除に専念していましたが、私が一週間前に上高地から持ち帰った「水」が捨てられており、毎日の一口から水の美味しさを実感していただけに、「何故、勝手に捨てたんだ」と怒鳴ると、「そっちが、掃除しろと言ったくせに」と次男が反論しましたが、置いておいた自分にも落ち度はあり、「ごめん」の小さな一言に矛先を収めました。
こうして掃除を繰り返すうちに、私の大切にしていた物も捨てられ、私の父親が満州から持ち帰った遺品とも言うべき水筒も家内に捨てられ、小学生の時に作ったプラモデルも、自分で分解していた二眼レフのカメラも姿を消し、高名な陶芸作家から頂いた一輪挿しの花瓶も、割れた事で子供が怒鳴られると思った家内が捨ててしまい、捨てたことが判った時はそれから数年も経過しており、「修理しても価値はあったのに…」と呟いたものの…
墓の掃除に走ったものの、墓の位置がお寺の一番奥にあり、お寺の裏には1キロほど家も無い田園である事から、水をかければ強風によって自分にかかり、手を合わせる余裕もない寒波に追われて退散です。
その後立ち寄ったスーパーは満員で、レジも行列のため家内は買い物を諦めて帰宅となりましたが、最近は午後に「獣医ドリトル」が放映されており、雑誌の漫画を見ていたことと、最近の私は犬々病になっていることから何も手につきません。
自分では正月気分にはなっていないつもりが、テレビが正月モードに入っており、仕事も手につきませんから、家内に文句を言われ続ける一日となり、夕方には娘夫婦が孫を連れてきたため完全な「ジジー」の夜になったようですが。
本日の一番の感動は、競輪グランプリの中継を見て、息子の自転車競技の一年先輩となる愛知県の深谷友広選手が出場し、私は優勝を期待していましたが、「早すぎるぞっ」と叫びたい先行飛び出しも、そのまま逃げ切りを期待し続けた結果は、最終コーナーで失速…
しかし、
息子がスタート前に、「今年優勝したら深谷選手の来年が無い」と言っていましたが、優勝したのは岐阜県の山口幸二選手(43歳)で、スパートをかけて逃げきりを図る深谷選手の真後ろには、三重県の浅井康太選手と岐阜県の山口選手が追走していたんですね。
9人の出場選手の中で、私は愛知県の深谷選手のみを応援していましたが、その深谷選手は、岐阜県と三重県の競輪選手と一団となってレースを展開していた事を結果から知らされ、繰り返し流される映像に目頭が熱くなりました。
競輪グランプリ 山口選手優勝
山口幸二選手の話 12年ぶりの出場で優勝できて感慨深いものがあります。(前を走った)深谷、浅井が頑張ってくれたおかげです。ありがとうと言いたい。最後の出場になるかもしれないと思って競輪場に呼んだ両親も喜んでくれたと思う。
競輪が判らない私や一般人には、競輪はギャンブル好きな人々の賭け事としか映らないかもしれませんが、こんな感動するレースが展開されており、これからも地元選手の活躍を期待していきたいと思います。 12月30日の一言
追伸
◆深谷知広メモ
☆生まれ 1990年(平2)1月3日、愛知県安城市生まれ。同年4月、競輪界では吉岡稔真氏(本紙評論家)が小倉競輪場でデビュー。同氏は2年後の92年3月、前橋ダービーを当時デビュー最速で制し“F1先行”ブームを巻き起こした。
☆少年時代 父・兼市さんが競輪好きだったこともあり一緒にテレビで観戦。05年、自転車部がある私立桜丘高校(愛知)へ進学。
☆高校時代 07年、国体の自転車競技スプリントで優勝。07年8月には1キロタイムトライアルでジュニア日本新記録(1分05秒238)を樹立。08年アジアジュニア選手権ではスプリント・ケイリン・チームスプリントの短距離3冠を達成。
☆恩師の評価 「ずんぐりむっくりした生徒だった」と第一印象を話すのは指導した自転車部の林泰弘顧問。「根性丸出しのタイプではないが“記録は全て塗り替えたい”と思っていたんじゃないかな。研究熱心な自転車小僧だった」と振り返る。
☆競輪学校時代 08年、日本競輪学校(静岡・伊豆市)に第96回生として入校。脚力をつけるため逃げに徹し、在校成績2位、卒業記念レースは決勝5着も教官の評価は断トツだった。
☆選手デビュー 09年7月22日、地元の豊橋競輪場でプロデビュー。デビュー戦は2着に10車身差以上をつけて逃げ切り。以降、無傷の9連勝(3場所連続完全V)でチャレンジレース(A級3班戦)を卒業。デビュー18日での卒業は08年の現行制度導入後、最速。その後、連勝を18に伸ばし、史上最速(56日)でS級特進。デビュー113日目にS級初勝利を挙げ、83年4月にS級が創設されて以降、史上最速記録を更新。連勝は20まで伸びた。
☆生まれ 1990年(平2)1月3日、愛知県安城市生まれ。同年4月、競輪界では吉岡稔真氏(本紙評論家)が小倉競輪場でデビュー。同氏は2年後の92年3月、前橋ダービーを当時デビュー最速で制し“F1先行”ブームを巻き起こした。
☆少年時代 父・兼市さんが競輪好きだったこともあり一緒にテレビで観戦。05年、自転車部がある私立桜丘高校(愛知)へ進学。
☆高校時代 07年、国体の自転車競技スプリントで優勝。07年8月には1キロタイムトライアルでジュニア日本新記録(1分05秒238)を樹立。08年アジアジュニア選手権ではスプリント・ケイリン・チームスプリントの短距離3冠を達成。
☆恩師の評価 「ずんぐりむっくりした生徒だった」と第一印象を話すのは指導した自転車部の林泰弘顧問。「根性丸出しのタイプではないが“記録は全て塗り替えたい”と思っていたんじゃないかな。研究熱心な自転車小僧だった」と振り返る。
☆競輪学校時代 08年、日本競輪学校(静岡・伊豆市)に第96回生として入校。脚力をつけるため逃げに徹し、在校成績2位、卒業記念レースは決勝5着も教官の評価は断トツだった。
☆選手デビュー 09年7月22日、地元の豊橋競輪場でプロデビュー。デビュー戦は2着に10車身差以上をつけて逃げ切り。以降、無傷の9連勝(3場所連続完全V)でチャレンジレース(A級3班戦)を卒業。デビュー18日での卒業は08年の現行制度導入後、最速。その後、連勝を18に伸ばし、史上最速(56日)でS級特進。デビュー113日目にS級初勝利を挙げ、83年4月にS級が創設されて以降、史上最速記録を更新。連勝は20まで伸びた。








