本日は我家が檀家となっているお寺で、浄土宗の宗祖法然上人の命日建暦2年(1212年)1月25日と、お釈迦さま(入滅の日陰暦2月15日)を供養する涅槃会が一緒に行われ、私はこの日に一年間の政治活動を報告する機会をもらってきました。
【涅槃会】ねはんえ
釈迦入滅の日とされる陰暦二月一五日(現在は三月一五日)に、釈迦の徳をたたえて行う法会。涅槃図をかかげ、遺教経(ゆいきようぎよう)を読誦する。更衣(きさらぎ)の別れ。常楽会。涅槃講。仏忌。
釈迦入滅の日とされる陰暦二月一五日(現在は三月一五日)に、釈迦の徳をたたえて行う法会。涅槃図をかかげ、遺教経(ゆいきようぎよう)を読誦する。更衣(きさらぎ)の別れ。常楽会。涅槃講。仏忌。
今回は来週に人にやさしい街づくり地域セミナーを控えている事と、参加者の多くが高齢である事を考えて、地域で行ったアンケート調査の結果から、人々の一番の心配事がダントツで「老後の生活」にある事から、津島市の現状と、私がボランティアの前提としている「人生の最後を在宅で」の可能性について話しました。
私の町内には浄土宗の尼寺がありますが、住職の高齢化と後継者が決まっていない事から、これまで先祖代々継承してきた伝統が次々と消え去り、檀家10軒で続いてきた「講組」も解消するような話となっています。
過去には檀家で葬式が行われると、その日の夜から10軒の男が集まり7日間「念仏講」を行なってきましたが、男が一人も出席しなくなった事から、女性が集まっていたものの、最近では「念仏講」そのものが廃止となりました。
浄土宗の檀家10軒で先祖代々管理してきた町内の観音堂と地蔵堂についても、後継者がいないという理由で放棄する話が進んでいますが、後継者がいないのではなく、「いない家がある」のが大きな理由です。
子供が家を離れて同居していない家は、町内で清掃が行われても参加する若い人が存在しない事から、同世代の高齢者を誘いますが、どんどん若返っていき、参加することもできなくなり、お寺の「講組」も他の家が若返ると年寄が一人になってしまい困ります。
そんなことが理由で、これまで先祖代々続いてきた伝統が消されていきます。一方で、高齢になり病気になると、子供が同居していない家は、一人暮らしを心配して子供が施設に入所を勧め、そんな存在が高齢者で持病を持つと「在宅は大変」と介護施設が終の棲家となるケースが当り前のように増加しています。
私の叔父も2年前に叔母が亡くなり、2人の娘は嫁いでいることから、病院でリハビリ中の本人も病院から施設への流れに異論はなかったものの、「本日退院して家に帰りました」と嬉しい連絡が本日入りました。
施設に入るだけのお金を出す気があれば、最近では在宅でも十分なサービスが受けられ、本人が希望する生活を支援する体制も整ってきています。十分な情報が無い事から、施設に閉じ込められている高齢者も多く、有り余る年金を持つ高齢者は施設も家に戻しません。そんな話をした夕方、叔父の退院を聞き、嬉しさから日頃は疎遠となっている叔父の家に一目散に走る夜となりました。
2月12日の一言
追伸
思いつきで記しており、断片的な事例ですから善意にご理解ください。








