本日の朝日新聞夕刊に、死亡率が2010年に最も高かったのは男女ともに青森県、最も低かったのは長野県だったとの厚生労働省の調査結果が掲載されていましたが、男性では青森、秋田、岩手の東北3県が死亡率の上位を占めており、「塩辛い食べ物が多いことや、冬場は外で運動しにくいことなどが関係しているのではないか」と厚生労働省担当者のコメントも掲載されています。
 
 つまりは、塩辛い食べ物を避け、運動を続ければ死亡率は減るようにも思えますが、私は人間の死亡率は100パーセントのイメージが強かった事から、この記事だけでなく死亡率の県別比較に違和感を覚えました。
 
死亡率最高は青森、最低は長野 10年厚労省調査
 
 人間は短命でも長寿であっても、いつかは必ず死ぬ事から、死亡率は100パーセントであって、交通事故とかガン疾病などの条件をつければ、地域別の格差もでるでしょうが、実態は平均寿命の裏返しではないでしょうか。
 
全国都道府県別平均寿命(長寿)ランキング
 
 さて、私が「人間の死亡率は100パーセント」の一言を耳にしたのは、深夜番組のラジオで宗教家の説法でしたが、ネット探索をしても仏教に限らずキリスト教も世界共通のテーマとして語られているようです。
 
 
 添付したブログには、『癌にならなくても、交通事故に遭わなくても、戦争やテロで死ななくても、人間は最後にはみな100%死ぬのです。いかに医学が進歩したとしても、日本人の平均寿命が伸びたとしても、人はみな最後には死ぬのです』と記される一方で、『人は死んだら何もなくなって無の世界で、「死んだらもうおしまいだよ」と思っておられる方も多いですが、神の言葉である聖書によれば、決して肉体の死ですべてが終わりではなく、人間はみな神の前には罪人ですから、死後には神の永遠のさばきがあることを教えています』とあります。
 
 最近まで自分の年齢が60才まで2年となった事から、自分の寿命と政治活動の限界を「うつ状態」のような心境で考えていましたが、我々にとって死は永遠のテーマであり、若くして命を失った友人や長寿をまっとうされている先輩の姿を対比させたりしていました。
 
 私の尊敬する弘法大師(空海)は、今から千二百年前の承和2年(835年)に高野山に62才で「御入定」されているが、最近の私にとっては高野山の奥の院で生きておられるように感じ、四国遍路に出かけると大師の声が聞こえるような錯覚と、般若心経にも大師の声が共鳴するのを期待してしまいます。
 
 弘法大師が残された御遺告には、「定身を高野の樹下にとどめ、魂を都卒の雲上にあそばしめ、所々の遺跡を検知して、日々の影向をかかず…」とあり、私もこんな心境になりたいと同時に、魂は永遠でありたいと思います。死亡率や平均寿命を比較するだけでなく、人はどのように人生を全うするかを考える一日ともなりました。
 
                                   3月2日の一言
追伸
本日は滋賀県の日野町という所まで、知人の息子さんを迎えに走りましたが、こんな時に限ってボランティアの依頼が重なり、メンバーにとっても大忙しの午前中となりました。