
我家のサクランボの花が満開となりました。このサクランボの木は、今から30年近く前に、私の父親が孫(私の長男)のために買ってきたもので、当時は当地方でサクランボを植えている人も少なく、周りから珍しがられたものですが、最近ではホームセンターに多種多様のサクランボが並べられるようになりました。
さて、花だけでなく実も味わえるサクランボは、花だけの桜よりも良さそうにも思えますが、実が熟する頃には鳥のギャングの見張り役が連日偵察に訪れ、熟した瞬間に大量のムクドリが飛来してきますから、鳥の鳴き声が聞こえると我家の庭は鳥の楽園と化していきます。
もっとも、私はタネのある果物が嫌いで、ビワやウメボシと同じようにサクランボも口にしませんから、大量に実を付けても鳥を追い払うだけで、売れるわけでもなく、収穫してもすぐに傷んでしまう事から、ほとんどが鳥の食用となってしまい、我家では鳥に食べられて残骸となったサクランボのタネを片付けるのが仕事になるだけとなります。 本日は叔父の家(お寺の説教所)で永代経が行われましたが、叔父自身が数年前より難病で不自由な生活を送っていることと、2年前に叔母が他界していることから、永代経を行うのが精一杯で、参拝客は減る一方となっており、地域の人々より親族が集まる永代経のようになってきました。
このお寺の説教所は、数年前に私の恩師の筆によって「阿弥陀堂」の看板を掲げられましたが、説教所になる前の名前が津島阿弥陀堂だったらしく、庭には地元で大きな工場を経営されている一族の墓が数基残されており、一族が揃って参拝されてきます。
この一族のお墓は、昔から存在が認識されていた訳ではなく、墓標に刻まれた記録から一族の先祖のお墓と判明し、判明後に参拝されるようになったのですが、先祖とは言え顔も名前も判らないお墓に、ご主人や御夫婦だけでなく、親族や孫までも一堂揃って参拝される姿に、仕事に成功されている秘訣があるように実感させられます。
次の土曜日も隣のお寺の永代経があり、この日は受付に座りつづける一日となりますが、私も少しは先祖や参拝される方々の霊を偲んで応対したいと思います。現実は明日から地獄の一日が始まります。
3月25日の一言








