大津市立中学2年の男子生徒が昨年10月に自殺した問題では、自殺した生徒が泣きながら担任の教師に電話していたことや、教師がイジメを知りながらイジメていた生徒に「やりすぎんなよ」と語っていた事実が判明し、事実を隠せば隠すほど学校と教育委員会へ全国から批判が殺到しています。
 
「見て見ぬふり、ごめん」 大津自殺、悔いる生徒たち
 
 そもそもイジメが全く無い学校は存在せず、強い者が弱い者をイジメるのは人間だけでなく、動物や自然界においても当り前の行為との現実から、イジメを全否定することよりも、イジメが続かないことと、特定の生徒に集中したり、連続しないことを考えた方が現実的かもしれません。
 
 私の小学生の時にもイジメは存在し、私自身も女子をイジメた(私はイジメとは思っていませんでしたが…)として、昼食抜きで担任の教壇の横に座らされたこともあり、特定の生徒にはグループで暴力をふるってイジメていたこともありますが、それは場当たり的で連続はしませんでした。
 
 「あんたには、いつもイタズラされて怖かった」と、大人になって学校のPTA会長になった時に同級生の母親から言われたこともありますが、そんな私も学校の外で悪いことをしてくると、増長しないように数人からイジメを受けたこともあり、素行の悪い生徒は生徒なりに自己防衛を考えます。
 
 私は中学1年生の時から行い(素行)が悪く、イジメを受けたことはありませんが、担任の教師には学年主任の教師と一緒になって理不尽な注意(イジメ)を受けつづけ、非教育的な仕打ちを受け続ける中で、3年生になる直前に右足の骨髄炎で入院しました。
 
 ここから真面目にやり直そうとした頃まで、5年近い歳月を必要とし、成績はあるものの志望校に進学させてもらえず、高校では入院と非行が続き2度の落第を経験しました。
 この頃に誰よりも幅を利かすために、不良なら名古屋では誰もが名前を知る知人と友人となっていましたが、非行に走って学校で幅を利かせたところで、不良仲間も卒業していってしまえばイジメられる対象になってしまうかもしれません。
 
 そんな時に、私の前には救いの手を差し出してくれた教師や、不良仲間、元暴力団の大先輩まで多くの人々が存在しました。
 
 「喧嘩は絶対に弱いものとしてはいけない」と教えてくれたのは、大阪の〇〇会の暴力団に殴りこんで、背中に大きな刀傷を負った津島市の任侠の先輩でした。暴力団の親分を襲って負けても笑われないが、そこらのインテリにボールペンで目を突かれるとシャバを歩けないと実体験のアドバイスは骨身に凍みました。
 
 高校を2度も留年し、担任から退学すると勝手に処遇されていた私の前に現れたのは、「大鹿がいつも問題を起こすのは、やりたい事が思ったようにできないからじゃないか」と、不良の私を1年1組46番にイスを運んで、「一からやり直してみないか」と担任になってくれた恩師の存在がありました。
 
 非行から闘病生活、非行から高校一年からやり直し、成人式後に高校を卒業した不勉強の私に、恩師は大学進学を強く勧めてくれ、私の人生は大きく変わりました。
 
 思いつきで書き込んでしまいましたが、今年の母校の卒業式の前日に一部の(かつての私のような)生徒達に語りかけたことで、私の非行体験が間違った方向に走った生徒や、不登校の生徒の役に立つと校長に言われていたことを思い出しました。
 
 一度には書ききれませんし、当時の高校5年生の体験から、卒業後に恩師に言われて不登校や留年した生徒のもとに何度も走った経験を忘れないためにも、記して残してみたいと思っています。
 
                                    7月10日の一言