今年もお盆の時期となりましたが、東日本大震災の被災地も2度目の盆を迎え、新聞やテレビを通じて各地から話題が届けられてきますが、深夜から未明にかけて行なわれていたオリンピックによって生活パターンを変える必要に迫られています。
 
被災地に2度目の盆 岩手・大槌に朝市
 
 本日は朝から隣の尼寺から住職が訪れ、午前中に檀家となっているお寺の住職が、僧職にある叔父と共に訪れ、2人で読経後に昼食を共にしてから、住職は檀家廻りに走り、私は叔父を送りました。
 叔父と住職がお盆の13日に我家で昼食をとる習慣は、2人が小僧時代の戦後まもなく始まり、2人で自転車を使って檀家を廻るものの、お寺から距離があることから、叔父の生家である我家で昼食と休憩を取り、再度檀家廻りに出発していた事の続きで、叔父の体調不良で風前の灯火となっているものの、一度も途絶えることなく続いてきました。
 
 食事の準備も大変で、昔のように家にあるものを出すわけにはいかず、相手をしていた父親も亡くなっており、叔父は盆行には出なくなり、住職も私の町内は廻らないことから、こんな習慣は止めたらと思った時期もありましたが…
 
 しかし、こんな習慣は叔父の体調と年齢を考えると長くは続かないし、住職も昼くらいは自宅に戻ってゆっくりとした方が楽な中を、わざわざ叔父を迎えに走ってから来られることから、最近は一年でも長く続くように祈るようになりました。
 
 さて、我家では13日からお盆が始まり、15日にはお寺で施餓鬼法要が行なわれますが、市役所や公務員は平生どおりに仕事をしており、夕方訪れた今年が父親の初盆となる知人(公務員)は、浄土真宗では盆の供養も何も無い事を不思議に語っていました。お盆は先祖供養と思っていましたが、最近は盆休みでしか無いのかもしれません。
 
 さて、先月に徳島市の阿波踊り会館を訪れ、阿波踊りの魅力を体感してきましたが、本日の朝日新聞(アサヒコム)には記事だけでなく映像も添付されていた事から、ここに転載するとともに読み直して阿波踊りを体感したいと思います。
 
                                      8月13日の一言
 
延べ10万人が「踊る阿呆」に 徳島の阿波踊り開幕
  
阿波踊り開幕 84歳「踊る阿呆」の真骨頂 
朝日新聞記事の続き… 
 「うちわを強弱をつけて振る、あの動きができない」。他の踊り手がうらやむのが、四宮さんの独特の手さばきだ。コツを尋ねられると「自分の好きに動かしているだけやけんね」と煙に巻く。
 「あの人が連に入ったころは踊りがごっつい下手で、やめーと言われたと聞いたことがある」
 そう語るのが19歳の時、娯茶平に入り、鳴り物一筋57年の松下宗二郎さん(76)。松下さんによると、四宮さんは自分の店にあった全身を映す鏡を居間に持ち込んで毎晩練習をし、今のようにうまくなったという逸話がある。
 三味線を弾く者にとって、四宮さんの踊りは「弾きがいがある」という。松下さんは、踊りを瞬時に見て、踊り手がどう弾いてほしいかを読み取る。ところが、四宮さんは踊りの最中に、足さばきを変え、踊りを少しずつ崩してくる。松下さんも負けじと弾き方を変える。
 「努力したんよ。努力の中から踊りのセンスがしみ出してきて今の踊りがある。みんなで踊りを合わせることが大事とされる今の時代、あんな踊り手は少なくなった」
■「心磨く」根は一緒
 昨年5月、徳島市の姉妹都市の米国ミシガン州サギノー市。交流会の会場で、訪問団の一員だった四宮生重郎さんが阿波踊りを1曲踊った。すると100人を超える観衆が総立ちになって拍手。曲は米国人におなじみのマイケル・ジャクソンの「スリラー」だった。
 「行った先の音楽で踊ると、踊りの楽しさがより伝わる」。阿波踊りの「表芸」と「裏芸」を使い分ける四宮さんの真骨頂だ。
 四宮さんの言う「表芸」は、鉦(かね)や笛、三味線などが奏でる「ぞめき」で踊る阿波踊り。戦後、高度成長期とともに阿波踊りの人気が高まり、隣県の高知や愛媛、東北の宮城や沖縄からも夏祭りや結婚式、宴会で踊ってほしいと依頼が舞い込み、海外にも出向いた。
 「阿波おどり振興協会」理事長で「天水連」連長の山田実さん(59)は、そんな阿波踊りの人気の理由を「間口の広さ」という。「鎮魂の踊りでありながら、ぞめきの心が浮き立つようなリズム。十人十色の踊りが許され、誰でも参加できる『にわか』なところが受け入れられた」
 一方で、「踊りを突き詰めれば奥が見えない」。
 四宮さんは、有名連「葵連」の創設者小野正巳さんや「写楽踊り」の姓億(せいおく)政明さん=いずれも故人=とともに、踊りの名手として「三羽ガラス」「三人男」などの通り名がある。その3人を先頭に東京・銀座の通りを都内の連員約100人と踊ったこともある。「四宮さんの踊りはぶれない。ある意味で『堅い』。一方で、いろんな音楽で踊る時の型破りなアドリブは迫力があり、見ていて楽しい」と山田さんは言う。
 1967年、四宮さんらは米国・ロサンゼルス市を訪れ、阿波踊りを在住日本人に披露した。その時、観光で行ったディズニーランドで、ミッキーマウスらが楽器を鳴らして、輪になって踊る場面に出合った。
 「気分が乗ってきて、ぴゃあーと、ついね」。その輪に入り、阿波踊りを踊った。すると、周囲の外国人がアロハシャツ姿の四宮さんに手拍子を送った。
 「外国の人にも阿波踊りがわかるんだなって思って」。「ぞめき」以外の曲でも阿波踊りの魅力は伝わる。40歳を目前にして、そんな「裏芸」の阿波踊りの面白さに気づいた。
 帰国後、裏芸を広げていく。民謡で踊ってみた。かっぽれや東京音頭。リズムが自分に合えば踊れる。ジャズやマンボ、最近では「KARA」などのKポップや米国の人気歌手レディー・ガガの曲でも踊る。
 ただ「表芸」も「裏芸」も大事な点は一緒。「阿波踊りは形があって形がない。だから技を磨くより、心を磨かな、ええ踊りにならん。踊りが人生を変えた、心を変えてくれたな」
■「ずっと踊っていたい」
 四宮生重郎さん(84)の朝は腕立て伏せで始まる。30分のストレッチの後、ひざを床につけて150回。10年以上続ける日課だ。
 裸足で近くにある小学校の芝生の上も走っていた。足腰の低い踊りの姿勢を維持するためだが、裸足なのは「足の裏が気持ちいいから」。冬場も走って冷えてしまい「無理は禁物」と昨年から控えたが、ふくらはぎには力こぶができる。
 それでもこぼす。「若いころはなんもしなくても、いくらでも踊れた。今はあかんな」
 1989年、四宮さんは40年近く籍を置き、連長も務めた娯茶平を退いた。60歳を超え、「還暦も迎えたし、もう一度情熱を持って、阿波踊りをしよう」と考えた。
 高く組まれた桟敷席に囲まれた演舞場。昼間のような明るいライトに照らされた舞台で、四宮さんは舞ってきた。「でも、あの中にパッと入っていって踊るなんてことできないでしょ。あー踊りたいなと思って、すっと踊れるのが阿波踊りの良いところ」
 そんな思いで、その年の7月、立ち上げたのが「娯座留(ござる)」連。自宅のある徳島市南新町を踊り歩く。大人たちが三味線や笛を担当し、子どもらが踊りの輪に加わる街角踊りだ。
 阿波踊りでうたう「よしこの」の名手、お鯉(本名・多田小餘綾〈こゆるぎ〉)さん=故人=に三味線を頼み、5年ほど弾いてもらった。四宮さんは見物客の手を引いて、手足の出し方を教え、踊りの輪に入ってもらう。多い時は100人以上が踊りの輪に加わった。途切れた時期もあったが、今年は復活して7回目。四宮さんが先頭に立って踊る。
 「身の程 知る 過去と歩んだ道」
 四宮さんは、10年ほど前から、書に打ち込むようになった。「踊りに入れ込み、仕事をだめにしたり、色に走ったりした踊り手をたくさん見てきた。まずは仕事や勉強をした上で、踊らんとあかん」
 「人生観の絆 踊る阿呆(あほう)でござる 出会・体験・人鏡」
 書の題材は阿波踊りから得た経験や失敗。「踊りが人と出会わせてくれた。踊りを楽しんで、人に喜びを与えて、それが自分に励みとして返ってくる。その人が鏡のように自分の心を見せてくれる」
 書は毎日、毛筆で短冊やうちわに記す。集中して5時間以上、書き続けることも。作品は連員や踊りで呼ばれた先の人に配る。
 「根っから好きなんやろうね。興味が向くのは踊りのことばかり。ずっと踊っていたい」(山下周平)