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長福寺(津島市葉苅町)に建つ我家のお墓
 
 戦後67年目となる終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下が出席される中で全国から遺族約4600人が参列した。
 
 「参列予定者は世代交代が少しずつ進んでおり、今年は戦後生まれが全体の1割を超えた。戦没者の妻は最年長の島倉ふみさん(98)ら24人で、全体の0.5%と過去最少になった。戦没者の子は3162人で全体の3分の2を占める」と朝日新聞は報じている。
 
 一方で、67年前に起きた沖縄の地上戦で負傷した住民や遺族ら40人が、国に総額4億4千万円の損害賠償と謝罪を求め、那覇地裁に15日提訴しており、当時の国や旧日本軍が住居近くに陣地をかまえて島を要塞化する一方、国際法で認められていた非武装地帯の設置を怠り、多大な住民被害をもたらしたと訴えている。
 
 この訴えを受理した司法がどんな判断をするかは不明だが、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が訴えている旧日本軍による従軍慰安婦の問題についても、同じような戦争被害だけに裁判の行方が気になります。
 また、未だに遺骨が戻っていない旧日本兵が113万人も残されており、戦没者の子息も高齢になっていることから、遺骨収集は益々困難となっていきます。我家も沖縄戦で戦死した伯父の遺骨が戻っていませんが、伯父と面識のある親族が高齢となった叔父1人しか存在せず、戦死した場所すら特定できません。
 
終戦67年、なお戻らぬ遺骨113万人 行き詰まる収集
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 地域別では、帰還した遺骨が最も多かったのはフィリピンの約1万6千人。09~10年度だけで約1万4千人に上ったが、10年に現地の住民の遺骨混入疑惑が発覚。収集は中断している。
 フィリピンに残る遺骨は約37万人と全体の3割。厚労省は昨年10月、フィリピン側に収集再開に向けた覚書の締結を打診したが、返答はないという。
 旧ソ連は約1万4千人。1991年以降、シベリア抑留者の名簿や埋葬地に関する書類が日本側に引き渡され、収集が続いている。
 インドネシアでは、国内法で遺骨が文化財とみなされ、持ち出しが禁じられている。このため収集できたのは、特例で認められた2009年度の10人だけだ。日本政府はNPO法人に遺骨の所在調査を委託し、インドネシア政府に収集を認めるよう求めている。
 戦争を経験した世代が高齢化するなか、厚労省は「確たる情報があった場合に収集を実施する」(社会・援護局)との立場で、劇的な進展は望みにくい状況だ。(北沢拓也)
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 〈戦没者の遺骨収集〉 厚生労働省によると、沖縄と硫黄島を含む在外戦没者の遺骨は終戦直後、計94万人を日本軍や帰還兵が持ち帰ったり、米軍が送還したりした。
 1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、日本政府が調査、収集を開始。大規模収集は75年度で終わったが、その後も遺族会や戦友会、NPOに調査を任せる形で続けている。2006年度からは、帰還率が低いフィリピンなど4地域、10年度からは硫黄島での収集を強化している。03年度には個人の特定にDNA型鑑定も導入した。
 
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 右に添付した植物はバジルで、6月末にタネを蒔いたものがやっとこんな状態となりました。バジルの育て方を調べると、新芽をつまんで食すると、横から次々と新芽が出てくるとあり、挿し木でも簡単に発芽する事から、栽培そのものは難しくありませんが、人間が好むものは虫からも好かれ、一緒に植えられているレモンバームやアップルミントも忘れていると虫に食べられて茎だけにされてしまいます。
 農薬を使えば簡単な事なんでしょうが、食べる目的で栽培しているハーブですから、安易に薬を使いたくありませんが、一日中見張っているわけにもいかず、本日は室内へ一時避難させました。虫が嫌って寄り付かないハーブもあることから、一緒に置いて防虫対策にしたいと思います。
  
7メートルのヒマワリ、大輪咲かす こつこつ育て26年
 
 大阪では、26年前からヒマワリを栽培し、毎夏、その年に最も高くなった花の種を植えるのを繰り返し、7メートルを超える高さになるまで、こつこつ育ててきた人の記事が紹介されていますが、こんな苦労を聞かされると初心者を実感させられました。
 
                                    8月15日の一言