
本日は、私の母校である神守中学校の同窓会総会と物故者法要が行われ、午前10時より母校で総会を行い、午前11時過ぎに近くの徳応寺で卒業生でもある藤井住職の読経により、卒業生と恩師で物故者となられた人々の供養を行いました。
私が同窓会役員になったのは、平成5年にPTA会長や、一緒に拝命していた小中学校の各種の役職を辞任したことから、町内で同窓会役員を務める先輩から声をかけられたのが最初でした。
会長から、「同窓会報の記事や原稿で協力を願いたい」と言われ、会報や恩師たちと卒業生のバス旅行を企画するなどしていましたが、翌年には「会長をお願いしたい」とびっくりの決断を迫られました。
後日談となりますが、私の前任となった会長は、自分が会長を迫られたときに、「後任が見つからないから」と固辞したそうですが、私がPTAの役員を引退したら役員にして会長を継がせるからと前任の会長から言われて引き受けており、知らないところで早くから私を会長にする話が決まっていたようです。
前任の会長より、「最低でも十年は」と言われて覚悟して引き受けた会長職も、役員会に誰も出席してこない環境では後任を見つける事も難しく、会長になって15年の歳月が経過し、今年になって私を指名した前任の会長も鬼籍に入られてしまいました。

さて、毎年参加者が少なく、総会が近づくとストレスを溜めており、今年も毎年参加していただく恩師の欠席や、卒業生の欠席の連絡を受け続けましたが、幸いにして連絡した同級生の女性軍が声をかけあって参加してくれ、先輩方や恩師の出席があって、「今年は人数が多いのでゆっくりと来て下さい」と、昼食の準備をする会場から言われる(少し)盛況の総会となりました。
右に添付した写真は、私の恩師で音楽を担当しておられた小林先生が、我々のためにフルートの演奏を披露して下さいました。
物故者法要には、亡くなられた卒業生と恩師の名前を記名する立派な掛け軸が残されており、お寺で披露して供養をしていますが、記名が物故者の家族や同級生からの自己申告だけに事足りているものの、全員の記名を考えると新たな記名帳を考えていく必要に迫られています。
総会への出席は少ないものの、学年によっては盛大なクラス会や学年会が開催されており、同窓会と学年会を上手く連携させれば、参加者の増加も見込めそうに感じますが、何もせぬままに一年が経過して反省を続ける繰り返しで、今年も何とか責任が果たせたようにも思いますが…
8月19日の一言








