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今は家内のマイカーになっていますが…
 
 「はい、大鹿ですが」
 「〇〇だけど…」
 「うん、何んだったかな」
 「実は、…」
 
 上高地から自宅を目指す私の車に入った携帯電話の内容は、小中学校の同級生で、現在も一緒に書道教室で学んでいる市役所の職員からで、「親父が亡くなった」と自分の父親の死を告げるものだった。
 
 彼の父親は私の父親より2学年若かったが、ガンで最後の通告を受け65才で死んでいった私の父親とは違って、何度も何度もガンの宣告を受けながらも、手術を繰り返して不死身のように回復され、病気の悲壮感を全く顔に出さずに笑顔が絶えなかった人だけに、調子が悪いとは聞いてもまさか死に至るとは信じられない訃報でもありました。
 
 私の父親の葬儀の際には、彼は我家の通夜や葬式の受付に座ってくれましたが、最近は葬儀が葬儀場で行なわれる事と、葬儀が行なわれる明日には議会運営委員会が開催され、その足で愛知県庁に走る予定が入っており、葬儀には参列できない事が心を痛めます。
 
 「お父さんが行けないのなら、私が行くから」と家内の口から一言が発せられました。私の同級生の家族の訃報も度々経験したものの、家内が会社を休んでまで私の代役で葬儀に参列するのは初めての事で、びっくりとしていると「私の車は〇〇さんのお父さんの車だったんだものね」と、私がすっかり忘れていた言葉が続きました。
 
 そうだったのですね。彼のお父さんが高齢と病気のため、家族から車の運転を咎められ、永く駐車したままの車はバッテリーが切れて、タイヤの空気も減って動かす事ができなくなってから私へのSOSがありました。ブースターが届かず苦労はしたもののエンジンがかかり、新しいものの放置されたままで錆びが見え、そのままガラクタのように廃車されるのが忍びなく、「俺の家内に貰おうかな」の一言から、家内のマイカーになった経緯をすっかりと忘れていました。
 
 結果論ですが、彼の親父さんの車で今晩は家内とともに通夜へ出向き、明日は私の代理で家内は書の恩師を乗せて葬儀場に走ります。人の命は限界がありますが、人の残した遺産や真心はそのまま残される事を実感するとともに、この車も大切に限界まで乗り潰したいと思う夜になりました。
 
                                  8月27日の一言