本日より土曜日にかけて開催されている書道展について、昨日の一言に記したところ、コメントの中に弘法大師の名前があったため、本日も私が出品した書の意味について改めて意識するとともに、ここに記して残したいと思います。

右に添付した書は、中国後漢の崔子玉が残した座右の銘の5文字12行の中から引用した2行分ですが、5年前に善通寺の管長を務められる樫原禅澄僧正(当時は宗務総長)から頂いた禅澄法話の資料から引用したものです。
弘法大師の座右の銘として法話を聞かされましたが、この言葉は今から千九百年前の中国の書家が残したものだけに、最近の中国国内の暴動を見ていると、中国共産党の偏った教育の弊害を感ずるとともに、共有する歴史から人と人との関係改善を図れば世界平和も可能に思われますが…
施人慎勿念 (ひとにほどこしてはつつしんでおもうことなかれ)
他人へ施与したり、世話をしたことは口に出さず、いやしくもいつまでも心の中に思うてはならない。
受施慎勿忘 (ほどこしをうけてはつつしんでわすれることなかれ)
受施慎勿忘 (ほどこしをうけてはつつしんでわすれることなかれ)
他人より施与をうけたり、世話になったことは決して忘れてはならない。
中国後漢の崔子玉による座右の銘
無道人之短、無說己之長。施人慎勿念、受施慎勿忘。世譽不足慕、唯仁為紀綱。
隱心而後動、謗議庸何傷。無使名過實、守愚聖所臧。在涅貴不淄、曖曖内含光。
柔弱生之徒、老氏誡剛彊。行行鄙夫志、悠悠故難量。愼言節飲食、知足勝不祥。
行之苟有恆、久久自芬芳。
座右の銘に関する私の一言
2007/12/10(月) http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/28266822.html
2007/12/8 (土) http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/28215934.html
さて、恩師が私用に手渡された手本は別の文字で、書道展用に見栄えのする行書体でしたが、私の身勝手なこだわりにより、手本のいらない楷書しか書き込めず、芸術とか書道とは無縁の出展となりました。
もっとも、崔子玉が残した座右の銘を自身の銘とされていた空海(弘法大師)は、左のように見事な草書体で座右の銘を書き残されており、比較すれば恥ずかしいの一語となりますが、もっちょっと我流で頑張ってみたいと考えています。 9月17日の一言








