本日は津島市議会の一般質問が行われ、私も最後の11人目の登壇となり、与えられた1時間の持ち時間の最後の1分まで、通告してあった3件の質問を続けて答弁をもらいました。
議会は来週から常任委員会の審議に入りますが、年内に人々と約束してある書道会の日帰り忘年会(明後日)や、最後の結願となる西国巡礼(再来週)、厳冬期の上高地入り(23日)など、休息の無い中で大晦日が迫ってきます。
「今日行ったお寺は、弘法様だった」
「何所に行ってきたんだ」
「三重県の方へ…」
近所の仲間とバス旅行に出かけていた(夜まで知りませんでしたが)母親の一言によって、持ち帰ってきたお寺の案内書を見てびっくりとさせられました。
母親が訪れていたのは、伊賀市の新大仏寺で、このお寺は1202年に重源上人が開山した真言宗のお寺でした。
びっくりしたのは、案内書に記された重源上人の名前で、まさか数日前に通り過ぎていた三重県の伊賀市に真言宗の規模の大きいお寺があったとは全く知らず、無知な自分を思い知らしめる一日となりました。
重源上人は、四国八十八ヶ所霊場会の先達教典に名前を残す名僧で、教典の霊場年譜の事歴には、「重源、高野聖元祖、東大寺大仏殿再建大勧進となる。十七歳のとき四国の邊地を修業する」と記されています。
平安時代末期から鎌倉時代にかけての僧で、真言宗醍醐寺で出家し、後に浄土宗の開祖法然上人に学び、四国や熊野などで修行し、焼失した東大寺の復興を果たしたとの経歴がお寺の案内書にも記されていました。
奈良県にある東大寺の再興の勧進職として、上人が全国に七ヶ所の東大寺別所を開創されたお寺の一つで、伊賀の別所として広大な寺領と伽藍を有した名刹でした。
さて、今晩は57歳の若さで急逝した中村勘三郎さんを追悼する「さようなら勘三郎さん最後の告白」が放映され、子供の頃からテレビの子役として活躍し、不祥事や不道徳な痴態の多い歌舞伎役者の中で、本人や家族、一族は真面目で正直に生活していた同世代の優等生の見本のような人物の訃報に、私の涙腺は緩みっぱなしの夜となりました。
先代を一年前に亡くし、勘三郎として子供に勘九郎の名跡を譲り、襲名披露の真っ最中の訃報だけに、本当に残念で悲しい訃報となり、今年名古屋御園座で行なわれた勘九郎襲名披露を鑑賞した私の母親も声を震わせて見ていました。
私も同世代として、3才の孫の訪問を心待ちにしていますが、勘九郎さんにはお孫さんと三代揃った舞台を見せてもらいたかったと思うと今も涙腺が潤んできます。
悲惨な事故や、残酷な殺人事件が連続する社会ですが、真面目でおごる事なく平和に生活していた人が、こんなにも簡単に病魔によって命を終わらせる現実に、空しさと人間の生命の微力さも実感させられ、明日は我が身…
いや、いや…、こんな後ろ向きの性格は封印して、4日の先達研修会の講師を務められた三池孝尚氏の講演で聞いた、先のことを考えるよりも今を楽しく生きる貴重なアドバイスを思い出し、心穏やかにして挑戦したいと記して筆(パソコン)を置きます。
12月7日の一言
追伸
中村勘九郎さんのご冥福を祈ります。追悼番組の中で夫妻の結婚記念日の映像を見た家内が、「お父さん、昨日が私達の結婚記念日だったけど…知ってた?」、「うっ、うん」と、勘九郎さんに恥ずかしいような現実が我家ではありました。








