
京都千本玉壽軒銘菓 金閣
添付したお菓子は、京都金閣寺の境内の売店でしか販売されていない「金閣」で、金箔のついたラクガンの中に小豆餡が入っており、抹茶や珈琲にぴったりのお菓子です。三男の土産ですが、本日まで仏壇の前に忘れられていました。
京都千本玉壽軒金閣を扱ったブログです
明日は平成6年から我家で続けている神守書道会の忘年会で、知多半島に食事に出かける予定となっており、私が運転手のため行き先も私のハンドル任せとなりますが、出かける以上は寺院が入るのは当り前となっており、平成5年より足を運んでいる山海の宝珠寺だけでなく、半島で一番の古刹と思われる岩屋寺も予定に入れました。
寺の歴史を見ると、霊亀元年(715年)に行基によって建立された古刹である事が記されているが、知多四国霊場会の発行している巡拝ガイド本によれば、弘法大師や親鸞上人が訪れたことが記されています。
知多半島の八十八ヶ所については、弘法大師との縁を口にするお寺の住職も多く、知らない人はそのまま信用しているのかも知れませんが、飛行機や新幹線のある現代なら可能かもしれませんが、今から1200年前に簡単には来られません。
知多霊場会の発行している「同行二人」によれば、岩屋寺は弘法大師が留錫、親鸞上人も阿弥陀堂の本尊を納めと記され、岩屋寺の奥の院については、大同3年(808年)に大師が百日の護摩を修業し、自分の像を岩窟に納めたゆかりの地と記されています。
「もし我を信ずる者あらば、病気災難等の身代わりに立ちつかわさん」との言葉を残したことから、当山は身代大師の総本山としてあがめられるようになったとも記されています。
ただし、信頼できる弘法大師の年表や、四国八十八ヶ所霊場会先達教典の年譜を見ると、知多四国霊場会やお寺の説明は全くのウソや偽りでしかなく、こんないい加減な説明文を記すと岩屋寺の創建された縁起も信用できなくなります。
知多の岩屋寺で弘法大師が100日間の護摩修行をしたという808年は、中国の唐から806年10月に九州大宰府にある観世音寺に入り、朝廷から入京の許しが出た809年7月まで 留め置かれていたのが定説で、高野山大学教授の武内孝善氏の監修した「弘法大師空海の寺を歩く」にも詳しく記されています。
一方で、知多霊場会発行の「同行二人」の末尾には、「弘法大師は弘仁5年(814年)諸国巡錫の折、三河から海路知多半島を南下、大井の聖崎に着く。上陸した大師は、大井の医王寺と山海の岩屋寺で護摩行を修し…」と記されており、同一の本の中に年数も異なる記載のままに記されて発行されていることにも驚きです。
中高年が失われた健脚を取り戻すために、知多半島をスタンプラリーとして廻るのは大いに結構と思われますが、四国を巡拝する私の前で、知多半島のお遍路の霊験を負けじと話す存在もありますが、これでは宗教の将来が心配となります。
12月8日の一言








