
本日は津島市役所で農政協議会が開催されましたが、私にとっては今年初めて市役所内の公式審議会となり、年末年始の休み気分も完全に払拭し、明日からボランティアや行事がスケジュール表を埋めており、このままでは気がつくと3月議会となってびっくりすることになりそうです。
昨日のことですが、「図書館が休みだった」との一言に、「年中無休の図書館のはずだが、どうなっているんだ」と発すると、津島市の図書館の話ではなく、稲沢市の図書館が休みだったと解ったものの、新しい図書館には魅力もあるんでしょうが、わざわざ津島市から稲沢市まで走って休館は気の毒な半面で、新しいだけではサービスにならないことを実感させられました。
津島市の図書館は、過去には休館日であった月曜日も数年前から開館しており、月に一度の図書整理日は利用ができないものの、年末年始の休館日以外は職員が年中無休状態でサービスを提供しています。年中無休の図書館実現を訴え続けて実現させた事も、私の議員生活の誇りの一つです。
本日図書館を訪れた目的は、昨年末に図書館より連絡が入り、私が昭和末期から平成にかけて編集発行していた「ふるさとアサヒ」を、津島市で発行された郷土紙として保存したいとの話でしたが、私の手元にも一部ずつしか残していないため、データ保存するために持ち込んだ次第でした。 ふるさとアサヒは、B4版4ページの体裁で、昭和63年から平成5年までに23号発行しており、津島市内を対象に1万部ずつ発行していたものの、発行に要する印刷費用をまかなう広告スポンサーの確保に困窮し、次の原稿を用意したまま休刊してしまいました。
もっとも、朝日新聞のミニコミ誌の役割も担っており、販売店の宣伝経費と思えば発行は続けられたと思いますが、当時は数年おきに何度も税務署の職員が訪れ、利益漏れを指摘するだけでなく、私の税務調査から新聞社まで乗り込んだことがあり、「赤字でやるはずがない」の一言に気力をそがれたことも、今にして思えば懐かしい思い出です。
私は大学3年次から朝日新聞の販売店の経営者となりましたが、地元新聞より大きな店舗を建て、店舗2階で2組の卓球台を無料開放し、展覧会やイベントの会場とし、釣り大会や朝日旅行友の会を主宰するなど、若くして店主となった事から、利益は50歳になってからと決め、55歳で引退すると口癖にしていましたが、議員転出が避けられず50歳どころか、45歳で政治との兼業禁止のため廃業してしまいました。
借金こそありませんが、仕事を廃業したことで収入が半減し、家内も仕事に出させ、国会議員の選挙事務所より大きい店舗を事務所にして、さらにボランティアの福祉有償運送をスタートするため、営業もしないタクシー車両まで買い込み、無報酬のNPO法人まで抱えてしまった人生は貧乏の象徴のようになりました。
我家大鹿家の先輩となる「横井庄一」さんは、グアム島から帰還してから「耐乏評論家」と名乗っていたことがありますが、私の人生も横井さんに負けない貧乏実践家となり、銀行も相手にしてくれない年齢層に入りました。
事務所2階には、大正から昭和初期に発行された貴重な書物や、著名人から頂いた絵画が山積みとされ、横井さんの残した大量の陶器や手紙が展示されていますが、このままではゴミと化し、後継者に捨てられてしまうため早期の整理が必要になりました。
ミニコミ誌のデータ保存を機会に、書物や絵画の整理を進めたいと考えていますが、引退を前にもう一度一仕事、利益二の次の人生のため、イベントの再開やミニコミ誌の再発行も頭をよぎる一日となりました。
1月7日の一言








