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 本日(福祉有償運送の)ボランティアで名古屋市中村区の医療機関まで出向きましたが、自宅に戻って再度迎えに走るのも不効率と思い、私のお気に入りブログに数日前紹介されていた稲葉地城跡を訪れました。
 
 
 稲葉地城跡は、中村区城屋敷町にあり、城跡を示す道標は庄内川を渡った北側、中村区稲葉地町の神明社に立っていますが、この近くに私の叔父の家があったことから、私は小学生の頃に従兄弟たちに連れられてこの地を訪れて遊んだ懐かしい思い出があります。
 
 昭和40年頃までは、この神明社の北の庄内川堤防沿いに、手造りのほったて小屋が並ぶ朝鮮部落(当時呼んでいた表現・今にして思うと戦後か伊勢湾台風の被災者だったのかも知れません)があり、「出て行けー」などと叫んで石を投げて遊んでいました。
※今にして思えば全く思いやりの無い行為で、当時の当事者の方々には申し訳ないと反省していますが、子供の頃の話ですのでお許し願いたいと思います。
 
 昨日に津島図書館から頂いた資料(海部津島人名事典)の中に、織田信長に関係する記述が存在し、私の住む津島市や近隣の地域に織田家や豊臣氏に関係する史跡も多く、この稲葉地城についても、織田信長の叔父津田信光(父信秀の弟)が築城した居城でした。
 
 織田信長は尾張を統一するために兄弟や伯父などを討伐した残酷なイメージが語られていますが、この信光の一族は桶狭間の戦いでも活躍し、本能寺の変で信長が倒れた際に4代目の小藤次も亡くなり、稲葉地城も廃城となったと記録されています。
  
 
イメージ 2 この神明社の本殿横には7つの社殿が並んでおり、一番奥に須佐之男命を祭神とする津島神社の末社が鎮座しているのも、織田信長と同様に津島市と尾張各地の結びつきを感じさせられます。
 
 そんな遥か遠い歴史だけでなく、私の住む旧神守村(昭和30年津島市と合併)の人々は、庄内川を渡って名古屋市に出て行った人々の家を認識して、名古屋に出て行った時に立ち寄ったり、名古屋に出た者同士が連絡しあっていた親達の交流風景も思い起こされてきました。
 
 そんな訳で、ついでに、中村公園(豊臣秀吉生誕の地と伝わる)の近くにある、喫茶店では老舗格となる「チェリー」を訪れましたが、この店は旧神守村出身の方が創業され、奥様は私の父親の同級生ですが、さすがに(年齢からか)お店には出ておられませんでした。
 
 このお店は、中村区に昔から住んでいる人たち(中高年)には知られた存在で、意外に有名な政財界の人々と出くわすことも多く、私の住む地域の行動的な高齢者たちには、名古屋に出ていった成功者の例として語られていました。
 
 ちなみに、我が家から1キロの距離にある宇治町に、織田信長の弟であった長益が城主であった宇治城がありましたが、現在も「茶の里」の字名を残しており、長益は有楽斎如庵と号す茶人で、徳川家康に与えられた屋敷跡が東京の有楽町として残り、愛知県犬山市の犬山ホテル前には国宝茶室「如庵」が残っています。
 500年前の出来事が想像できない町並みとなっており、車を停めるスペースにも困りますが、津島市から出て行った武将たちが全国各地に史跡を残しており、久しぶりの歴史探訪ともなる一日ともなりました。
 
                                   1月8日の一言
追伸
 本日は本年最初の書道会となりましたが、考えてみると書初めとなる事も忘れていました。