昨晩遅れて訪れた通夜会場で、棺の上に四国別格二十霊場の納経帳が置かれており、故人の奥様に尋ねると、奥様が2年ほど前に四国八十八ケ所と一緒に頂いてきた朱印帳で、すでに八十八ケ所の朱印帳は納棺してあり、この朱印帳も入れるとの話に、私の「納め札」も一緒に入れていただくように差し出しました。
 
 故人はかつて三菱重工業に勤務されており、私の家内が結婚するまで勤めていた職場の直接の上司にあたることから、仕事で参列できない家内に「絶対に送ってよ」と念を押された本日の参列でもありましたが、同じ町内の団地に住んでみえたものの、参列者の顔を見ると「浦島太郎」状態で、議員として地域を廻ってない反省と同時に、参列者の顔が老化して変わっている現実を実感させられました。退職されて10年から15年の経過は、人相や姿を一変させている現実にびっくりです。
 
一本松の絵「ありがとう」 千葉の銭湯に、岩手から手紙
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 「…震災を忘れず、被災地を励ますシンボルに」と女湯の背景画を一本松に変えた。年末、写真に撮って陸前高田市へ贈ったところ市長からはがきが届いた。
 《本当にありがとうございます。我々が一番恐れている事が、まさに世の中から忘れさられる事。課題は山積しておりますが、しっかり前を向いて頑張ります》
 写真は市役所に飾られているという。長沼さんは「市長さんからの言葉に感激した。千葉からもできる限り応援したい」と話している。(高木和男)
 
 さて本日は、週末に家族4人で訪れる予定にしている千葉県旭市に住む「ホームレス画泊」こと、上高地の河童橋近くで油絵を描き続ける渡辺氏より連絡があり、何時に到着してどんな予定をたてているのか問い合わせでしたが、土曜日の午前10時に画伯が主催している絵画展会場に到着する約束としました。
 
 土曜日は旭市の上高地絵画展を訪れ、画伯の案内で成田市で開催されている上高地の写真展を一緒に鑑賞したのちに、九十九里浜のホテルに宿泊予定としていますが、同行する相棒リマが存在する事から、私だけは相棒と車中泊になります。
 
 上高地で出会った画伯の主催する千葉県の絵画展に訪れる人は全国各地に点在し、私より遠い岡山県の人もあるようですから、人と人とのつながりが、それぞれの出身地をつないでいく広がりに感動させられますが、東日本大震災の悲惨な体験も、被災地と全国をつないでおり、本日の朝日新聞は岩手県陸前高田市と千葉市の銭湯が一枚の絵画を通じた交流を報じていました。
 
 最近の私には、上高地や高山市周辺や、四国遍路で出会った人々との交流が増えており、学生時代から好きだった京都も含めると、旅先での出会いが携帯電話やネットによってより身近な存在となり、私の交流範囲を広めている現実と、清々しい心の交流になっていることを実感する一日ともなりました。
 
                                     1月24日の一言
追伸
土曜日の朝はアクアラインの「海ほたる」で洋上の日の出を見て、夕方は九十九里浜の夕陽を眺め、日曜日の朝は犬吠崎の朝日を拝み、屏風ケ浦や灯台を鑑賞した後、「海ほたる」の夕陽を見てから、愛知県に戻りたいと考えています。