今月の3日の一言に、私がかつて発行していたミニコミ誌「ふるさとアサヒ」が、図書館の資料として当地方で発行された郷土紙の一つとして一冊の本に集録されたことを記しましたが、本日の朝日新聞で「大正時代の地域新聞を一冊に」と題して取り上げられていました。
大正時代の地域新聞を一冊に 愛知・津島市立図書館
NPO法人まちづくり津島が運営する津島市立図書館が、大正時代に津島周辺で発行されていた地域新聞の紙面を「地方新聞集成 海部・津島 第一輯(しゅう)」にまとめた。郷土コーナーで閲覧できる。
一昨年以降、津島市と愛西市の旧家で見つかった新聞から、編集しやすい同じ判型の9紙を複写し、600ページにまとめた。初の館蔵資料となった「関西新聞」は、津島の旧家で包装紙になっていたのが、「捨てるのもどうかと思って」と持ち込まれ、日の目を見た。
編集した園田俊介副館長によると、大正から昭和前期、津島周辺には21の新聞社があった。「黒色解放運動」や「プロレタリア戦闘紙・大衆」など、広告を募集するはがきはあるが、実物が残っていない新聞もある。大半の新聞は、何度かあった毛織り産業好況期に誕生し、いつのまにか消えた。各紙それぞれ地元に密着し、個性豊かな紙面を作っていた。
「尾西タイムス」は、経営者と出身地が近い加藤高明が率いる憲政会びいきを隠さなかった。社会問題の掘り下げが得意だった「尾陽新報」は、アパート家賃を値上げする津島の家主会や、財政難なのに天王川公園を整備しようとする町当局を批判した。「大日本新聞」は、津島芸者衆のゴシップ報道にも力を入れた。
17日午前10時から図書館の大集会室で「大正時代の地元新聞 新たに発見された津島の新聞を読む」の題で園田さんが講演する。入場無料。申し込み不要。問い合わせは同館(0567・25・2145)。
偶然ですが、この記事と添付された写真を見た人が、この中に私のミニコミ誌が入っているとは思わず、「こんな古い物が残されていたんですね」と言われて話題にされましたが、この中に昭和63年から平成5年まで発行していた私の新しいミニコミ誌が入っているとは言えず、聞き役に徹することとなりました。
私のミニコミ誌を除く8紙は、大正年間に発行された「尾西タイムス(大正8年から10年)」をはじめ、「尾陽新報」、「尾州実業新聞」、「大日本新聞」、「津島新聞」、「関西新聞」の6新聞が集録され、昭和28年から35年まで発行された「愛知時事新聞」と「東海民衆新聞(昭和33年)」など、本格的な新聞が取り上げられています。
印刷技術の進歩は著しく、最近では電子情報として記事を送信する事もできますが、大正時代や昭和期の新聞は紙原稿から一文字ずつ活字を選んで活版印刷されており、印刷の大変さと配布方法は勿論ですが、記事以上に大変な作業に大量の広告主の確保と広告代の集金が考えられ、当時の編集発行人の人脈の広さや、高度な社会的地位が推測されます。
「おい、議員になる前の方が輝いていたぞッ」の一言は、私が朝日新聞の販売店主としてミニコミ誌を発行するだけでなく、朝日旅行友の会を主宰し、海部津島水郷釣り大会で尾張各地から釣り人を集めていた事などと議員活動を比較して言われた先輩の言葉で、議会でいくら頑張っても地域の人々に楽しみを与えていない現実を実感させられ、改めて議員の立場とは乖離したミニコミ誌の復刊を目指したい心境は持ち続けています。
本日報道された郷土紙を集録した資料には取り上げられていませんが、津島市には元市長で県会議員も務められていた竹内節男氏が、政界引退後に発行されていた「日本及津島」も2百数十号発行されており、「新聞の後継者ができたので安心だ」と言われた言葉や、元愛労評議長を務められた成瀬昇氏より、次の「ふるさとアサヒ」に掲載する原稿を預かったままに休刊している事を反省する一日ともなりました。
3月14日の一言
追伸
本日の津島市議会では総務協働委員会が開催され、審議は午後5時過ぎまで続いて散会となりました。








