F1レースで6年連続でコンストラクターズ(製造者部門)チャンピオンを獲得していたホンダが、2年後のF1に参戦することを前提として、F1用エンジンの開発に着手しているとの記事が、本日の朝日新聞一面のトップ記事として掲載されていました。
ホンダ、F1復帰へ 15年にも エンジン開発に着手
記事の続き…
マクラーレンは現在搭載しているメルセデス製エンジンの供給契約が14~15年で終了する。その後のホンダエンジン搭載を検討しているとみられる。
ホンダは過去3度F1に参戦。エンジンのみを供給した「第2期」は86~91年に6年連続でコンストラクターズ(製造者部門)チャンピオンを獲得するなど、イメージ向上に一役買った。しかし00~08年の「第3期」は1勝にとどまり、リーマン・ショックのあおりで撤退した。
昨年から欧州を中心に復帰のうわさが取りざたされるようになり、復帰の可能性を問われた伊東孝紳(たかのぶ)社長が2月、会見で「一生懸命、勉強している最中です」と発言。動向が注目されていた。
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〈フォーミュラワン=F1=〉 タイヤがむき出しの「フォーミュラカー」による自動車レースの最高峰。1950年に始まった。世界各国のサーキットを転戦し、1~10位の着順に応じてポイントが分配され、年間の累積ポイントでドライバーとチームの王者を争う。2013年シーズンは15日に開幕し、三重・鈴鹿での日本グランプリを含め、計19戦が予定されている。
5年前にF1から撤退したホンダに続いて、翌年にはトヨタもF1から撤退しており、かつてアイルトン・セナや、アラン・プロストのドライバーによって、年間16戦のうち15回の優勝を飾ったホンダの復帰には、リーマンショックによって冷え込んでいた日本経済の復活も予感させられます。
F1と言えばホンダで、モータースポーツも鈴鹿サーキットを中心に日本のレースを引っ張ってきたのがホンダで、私自身にレース経験はありませんが、数年前から知人のガレージに預けっぱなしとなっている修理中の自動二輪も、今年の連休には復活する予定を立てています。
さて、私はトヨタの本拠地となる愛知県に住んでいますが、企業イメージはホンダのファンで、それは高校時代に読んだ田中健二郎さんの「走り屋一代」に記された、ホンダのレース創生期の本田宗一郎氏と健さんのやりとりに影響されていると思います。
田中健二郎さん(私の少年時代の愛読書)
走り屋一代① http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-a.html
走り屋一代② http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-b.html
走り屋一代③ http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-c.html
走り屋一代④ http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-d.html
走り屋一代⑤ http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-e.html
偲ぶ会 http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-sinobukai-2008.html
走り屋一代① http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-a.html
走り屋一代② http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-b.html
走り屋一代③ http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-c.html
走り屋一代④ http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-d.html
走り屋一代⑤ http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-e.html
偲ぶ会 http://www.iom1960.com/tanaka-kennjirou/tanaka-kennjirou-sinobukai-2008.html
田中健二郎氏は、ギャンブルのオートレース出身者で、ホンダでは3人目となる契約ライダーとなります。 昭和35年にドイツで行なわれたドイツグランプリで3位に入ったのが、日本人として海外レースでは初めての日の丸になりました。
その後、海外連戦中のアルスターグランプリで瀕死の重傷を負い、二輪レーサーとしてのカムバックを目指したものの、「健二郎、お前コーチをやってくれんか。うちには国光と北野しかいない。若手を育てるんだ。若いもんに、勝負というものを教えてやってくれ。若いもんの心の支えになってくれ」との本田宗一郎社長の言葉で引退します。
私は引退後のホンダで、健二郎学校として渥美勝利、粕谷勇、長谷見昌弘、大月信和、加藤爽平、片山義美といった名ライダーを指導した頃の健さんと本田社長のやりとりに同じ釜の飯を食った者同士の人間味を感じさせられます。
「私のいた当時の、本田技研は、清水次郎長一家に匹敵する一家であった。その中で、私は森の石松的役割を演じてきたが、たしかこの頃から大組織となり、昔ふうの親分、子分の考え方では、片のつかない問題もあった」と「走り屋一代」にも回想されていますが、本田宗一郎を親分として多くの名ライダーが育っています。
かつての世界チャンピオン、アイルトン・セナも本田社長とは相思相愛で活躍しましたが、そのセナも、本田宗一郎も、田中健二郎も天国に召されており、ホンダの創生期に一丸となってサーキットを走った走り屋の伝統を、2年後のF1に参戦よって再現してもらいたいと熱望しています。私にとっては明るい話題となりました。
3月18日の一言








