イメージ 1 本日は、今年1回目となる3月議会が終了しました。ひとまず、ヤレヤレ。
 
 我家のアンズ(杏)が満開となっており、庭の奥にあるサクランボの花はほとんどが散ってしまい、この事務所前のアンズと、庭の奥にあるアンズが残ってはいますが、来週の月曜日と火曜日は東京に出向き、水曜日から金曜日までは神奈川県と千葉県を訪れる予定になっていることから、時間に余裕ができた頃には花が散ってしまった無残な姿を残していると思われます。
 
 もっとも、サクランボもアンズも花が散るだけでなく、1ヵ月後には果実が実りますから、存在感がありますが、添付したアンズは屋根を越えて、電線より高くなっており、庭の奥にあるアンズは2階の屋根を越えるだけでなく、添付したアンズの倍以上の大木になっており、ハシゴも届かない高さゆえに、結実した実がゴンゴンと落ちる頃には隣の家にも迷惑をかける存在となっています。
 
 朝日新聞の地域版に、「里山体験交流祭り」なる記事が掲載されており、内容は愛知県豊田市にある田舎暮らし体験館「すげの里」が、田舎暮らしに興味のある人は、気軽に参加してほしいと呼びかけている。
 
田舎暮らし、来て見て体験して 愛知・豊田で24日
 
 今から30年ほど前の話となりますが、私も田舎暮らしに憧れて、岐阜県や長野県に友人を連れ立って出向き、美濃白鳥地区では空家になっていた家を借りようと交渉したり、岐阜県や長野県の山村で廃校となった学校を調べて借りようとしていたことが懐かしく思い起こされました。
 
 最近では、書店の本棚に田舎暮らしやアウトドアの本が溢れるように並んでおり、ついつい手が出てしまうものの、若いときに憧れていたような田舎暮らしを実現するためには、本日添付したアンズやサクランボなどは勿論ですが、先祖から引き継いだ土地や家を処分してから考えないと、留守にする資産にかかる税金と二重払いいなることから考えると苦痛になってきました。
 
 私の知人の中には、定年後の移住を目的にして和歌山県や岐阜県に別荘を購入した人達がありますが、共通して別荘は空家状態となっており、売りたくても買い手がないばかりか、利用もしないのに高額の管理費が必要となり、長野県に別荘を持つ知人に至っては冬季の除雪に100万円単位の費用を支払っています。
 
 騒々しい都会を離れて、自給自足や物価の安い田舎暮らしは憧れでもありますが、我家の畑すら行かない私が畑を耕すはずがなく、水洗便所でもウォシュレットがないと生活できない現実は、若い頃とは大きな感覚の違いを実感させられます。
 
宝暦治水の堤防跡 木曽川底で確認
稲沢の市民団体
 稲沢市祖父江町の木曽川に江戸中期の「宝暦治水」で築かれた堤防の跡が沈んでいるのを、市民グループの稲沢市郷土歴史文化研究会が確認した。17日に開いた報告会で説明した。
 場所は、国営木曽三川公園ワイルドネイチャープラザ付近、拾町野(じっちょうの)地区の川底だ。河岸からやや上流方向に、長さ約150メートル、幅約15メートルの範囲で杭や石が残っている。国土交通省などの協力で昨年9月に水中調査して確認した。
 調査した郷土史家の堀精宏さん(73)と斉藤茂さん(74)は、古文書や古図で場所や規模を照合し、「宝暦治水」の「猿尾(さる・お)」とみられると説明した。猿尾は本堤防から突きだした細長い補助堤防で、形が猿のしっぽに似ているため、そう呼ばれた。
 「宝暦治水」で築かれた猿尾は、対岸の岐阜県羽島市に「石田の猿尾」が残っているが、堀さんらによると愛知県側での確認は「拾町野の猿尾」が初めてという。
 遺構は、約1・5キロ下流に大堰(馬飼頭首工)ができた1970年代に水没した。それまでは目視できたが調べた人はいなかった。
 調査に協力したNPO法人木曽川文化研究会代表の久保田稔さん(67)は「猿尾はしばしば破損し、改築が繰り返されるのが普通だった。この猿尾にも改築の手が加わった可能性があるが、郷土史をめぐる意欲的な調査だ」と話した。(佐藤雄二)
 
 さて、上に添付した記事についても、私の高校時代の恩師(校長)が歴史の研究者であった事から、捨町野の河原についても私の出生地に近いため何度も訪れており、当時は下流の馬飼頭首工ができる前だったことから、自然にこの宝暦治水の堤防跡を見ていたようにも思いますが、記憶が定かではなく、確認したくとも恩師は鬼籍に入っておられるため確認もできないジレンマを感ずる一日ともなりました。
 
                                   3月22日の一言