
本日は我家の新家の法要があり、初代となる祖母の50回忌と、2代目当主の17回忌があわせて行なわれ、法要後は料理屋のマイクロバスによって場所を移動し、愛西市(旧佐織町)の大富で豪華な食事となりました。
この料理屋は久しぶりに入りましたが、20年ほど前にはPTAや女性グループの会食にもよく利用される豪華で新鮮なお店だったものの、最近は主要道に大型駐車場のある海鮮料理が多数出現していることから、法要を主体としたお店になっているようで、ネット情報にも辛辣なコメントが残されていました。
日本料理 寿司 大富のクチコミ
人気を維持するのは難しく、安定した経営を続けるのも大変とは思いますが、施主に招かれて提供される法要の食事ゆえに、お客さんは料金の心配はないものの、料理内容やサービスを考えると、自分の財布から料金を支払って人を連れてくる気にはなれません。
新鮮な刺身などは良いと思いますが、全く香りがしない「マツタケ」の土瓶蒸しや、料理の品々の味付けが今一つで、ビールを飲んで談笑しているから何も言いませんが、日頃は口にしない銘柄のビールが次々と出されてきます。
さて、今から16年前の平成9年には、この新家の当主の1ヵ月前となる9月に横井庄一さんが亡くなっており、約1ヵ月後に叔母が亡くなったことから、3ヶ月連続で葬儀が続いた忘れることのできない年となりました。
一方で、我家も共有する問題ですが、法要を行なう浄土宗のお寺は生業として成り立っていますが、座敷の正面に鎮座している「御嶽(おんたけ)様」については、奉りをとりおこなう先達が存在しない状態となっており、御嶽山の霊神場に立つ石碑の場所すら知らない孫が存在する話を聞き、真剣な対応が必要に思いました。
先祖供養についてはお寺が仕事として月参りに来ていただけますが、先祖が信心した御嶽教や、弘法様については、母方の祖父が御嶽山に石塔を残し、父方の祖父が弘法堂で他人の加持祈祷までしていたのに存亡の危機に至っています。
私が信心する真言宗の大師信仰についても、先祖供養となる浄土宗ではなく、私が出向く寺院も真言宗のお寺ばかりとなっており、母親の在所や新家、我家でも共通となる御嶽教の衰退を眺めながら、信心と先祖供養との乖離を真剣に考える一日ともなりました。
10月5日の一言








