先週土曜日にスタート直前の歩き遍路友の会メンバー 左から3人目が私です
本日は町内の真言宗のお寺(弘盛寺)で「阿息観」に参加し、今月7日に四国別格二十霊場第十四番椿堂でいただいてきた椿の幼木を頂いてもらう約束をし、来春に本堂前の境内を整地される時に移植する話としてきました。
椿堂で頂いてきた椿は3本で、弘法大師ゆかりの椿を我家だけに植えるのはもったいないため、椿堂と同じ高野山真言宗の弘盛寺に植えてもらえるのは大変ありがたく、弘法大師ゆかりの椿堂の椿として、私の故郷越津町で永く成長してくれることを祈るばかりです。
椿堂 略縁起
弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています。
弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています。
お寺から戻った直後に事務所に来客があり、顔を出すと先週末から「1泊4日」の旅程で一緒に四国を歩いてきた歩き遍路友の会東海の上野会長で、四国で撮影された写真を収めたCDを持ってきていただきました。
本日未明には、友の会のブログに旅程の報告を記しており、記したことから閲覧者からのコメントや、会長からのメールもあったため、訪問を受けて遍路の思い出話に花を咲かせ、正月の新年会や、春の新たな企画など話は尽きません。
讃岐七ヶ所まいり 一日目 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417/54320993.html
「1泊4日」のキャッチフレーズは上野会長の発案ですが、金曜日深夜の長距離バスで仮眠をとり、翌日は遍路道を山越えして四国善通寺に1泊し、その翌日には更に距離を歩いてから深夜にバスで仮眠をとって名古屋に帰り、その日は普通に仕事に出かけたのですから、今までの過去にない経験となりました。
お寺に聞いても「止めた方が良い」と言われる過酷な山の遍路道を歩き、鎖につかまってよじ登る捨身ヶ嶽禅定と、10ヶ寺を「1泊4日」で達成してきたのですから、回顧してもその余韻に酔いしれる日々が続きます。
さて、左に添付した写真は、四国健康村で行なわれている大衆演劇で、日曜日は前日の山行きで足を痛めた1人を治療のため残して善通寺を6人で出発し、1人は予定の2ヶ寺で終わり、この後は更に足を延ばして4ヶ寺を巡拝しました。
ここで、1人は更に一週間ほど遍路を続けるためお別れとなり、4人で四国健康村まで列車で移動しました。途中で分かれた2人がここで先行して待っており、大浴場で汗を流したあと演劇の行なわれる食堂で盛り上がっていると、夜7時から歌と演劇の大衆演劇が始まりました。
この日は一日中滞在しても1050円のスペシャルデーでしたが、格安の3時間コースで入浴後に、食事をとりながら大衆演劇を楽しめば、仲間との宴会や忘年会に盛り上がることは間違いがなく、ここで盛り上がったことが、友の会の次の企画話に発展していきました。
「1泊4日」の四国歩き遍路から帰って4日しか経っていませんが、菅傘と白衣姿だけでなく、非日常的な四国遍路に浮かれる生活が当分は続きそうです。
11月21日の一言