
本日は議会の休会日ですが、市役所の監査事務局内の一日となったものの、経験もないばかりか役立たずのため、代表監査委員や事務局職員の足手まといにしかならず、つくづく自分の不勉強さを実感する一日となりました。
政治は「まつりごと(政)を、おさ(治)める」と書きますが、議員活動や政治は訴える側と訴えられる側の仲裁に入って、丸く収めることも仕事ですが、監査委員の仕事は中立で公平な立場が求められており、厳正なるジャッジが必要とされるため、身についた政治的習慣とは違う職責が求められています。
「もしもし、ご主人の携帯ではないんですか?」
「私は○○の○○ですよ」
「はい、はい、ところでご主人は?」
「大鹿さん、私は○○の…」
「はい、○○…、アレッ…」
私の間違い電話ですが、同姓の知り合いの相手に勘違いしてかけており、間違ったことも判らずに相手の奥さんと勘違いしていたため、間違いとも判らぬトンチンカンの会話となりました。
勘違いした相手は、かつて病気の犬を通院させる方法がなく、私が動物病院に同行していたことが縁であり、今は存在しない愛犬の思い出話と、二年前に死んだ我が家の愛犬モモの話や、元気な相棒リマの話で盛り上がる勘違い電話となりました。
高齢になった人々に、家族のような存在となった犬や猫の存在感は大きく、ペットを我が子のように世話をすることが健康にもつながると思われますが、ペットが病気になったり、死んでしまうとショックも大きく、残された年齢を考えて新たなペットを飼う人はほとんどいません。
「間違い電話で長話してすいません」
「久しぶりにそちらの人と話せて良かったわ」
「どうぞご元気でッ」
ご主人に先立たれ、愛犬もいなくなり、現在は大きな家を残したまま、遠方の娘さんのお宅に同居されており、私が間違い電話をかけなければ永遠に会話を交わすこともなかったかもしれず、過ぎ去った年月の時間の早さに寂しさも隠せない一日ともなりました。
さて、私は今から二十数年前に「ふるさとアサヒ」というミニコミ誌を発行していた時期があり、歴史的に貴重な資料として、大正期から戦後にかけて発行されていた新聞と一緒に、津島図書館が集録して一冊の資料として再印刷してくれました。
この事も、嬉しい半面において、過去の活動とされてしまっており、休刊したままで停まったままのミニコミ誌の復刊を希望しながら、再発行を考えて一年間が経過してしまった現実が寂しく、ミニコミ誌を印刷した印刷屋さんを訪れたところ、現在主役となっている息子さんは、「ふるさとアサヒ」の名前こそ知っていたものの、現物を見たことがないと判り、これにも年月の経過を実感させられました。
18日で還暦を迎える年齢となり、同級生の入院やら、同年となる市長の辞任発表が重なり、年齢を重ねることの寂しさばかりを実感していますが、春までにはミニコミ誌の再発行を果たし、政治とは離れた活動も再開させたいと思っています。
明日は高齢なる人々に依頼された三重県の椿大社行きと、地元の行事が重なっており、家内の協力なくしては経過せず、その家内との結婚記念日が本日であることを知る家族が一人もいないのも寂しい現実です。
12月6日の一言








