春の選抜高校野球に出場する徳島県の池田高校は、92年の夏の選手権以来の甲子園となり、その間に旧池田町は合併して三好市となったものの、人口は約6千人減っており、かつて「やまびこ打線」と言われ、「攻めダルマ」と呼ばれた蔦(つた)文也元監督の指導で全国の高校野球ファンを魅了した池田高校は久々の出場となります。
池田復活、支えたOB教室 部活引退後の中3を指導
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子どもや高齢者向けのスポーツ教室を開いている地元の「いけだスポーツクラブ」がつくった。池田は故蔦(つた)文也監督のもと、強力な「やまびこ打線」で夏春連覇を含む3回の甲子園優勝を果たしたが、1992年夏を最後に出場していない。大西真知子クラブマネジャーは「かつてのように甲子園で活躍し、町を元気にしてほしかった」と話す。
協力したのが池田の元球児らだ。バットやボールを寄付し、20~50代の約20人がボランティアでコーチ役を担ってきた。保険料や道具の維持費など参加費は半年間で1人2500円。
74年春に部員11人で準優勝を果たした「さわやかイレブン」のエースだった高知市の会社員山本智久さん(57)も講師を務めた。「再び甲子園にという、我々の長年の願いがかなった」。前年夏に続いて83年春に優勝した直後、入部した金山努さん(46)は「教えたことが少しでも役だったのかなと思うとうれしい。あのころのように甲子園を沸かしてほしい」とエールを送る。
現部員の半数超はこの教室の経験者だ。一塁手の木村諄(しゅん)君(3年)は「教室で硬式球の跳ね方を感覚でつかんでいたので、入部後、守備はすぐに対応できた」と感謝する。
現在のコーチのまとめ役は川原輝さん(26)。岡田康志・現監督(52)が一度池田を離れて県立穴吹高校の監督をしていた時の教え子だ。「母校にも頑張ってほしいが、やはり池田が甲子園で活躍しないと始まらない」。初戦には、教室の生徒15人と甲子園で観戦する予定だ。(山崎啓介)
高校野球の場合は指導者の指導と影響力が大きく、名古屋の東邦高校を指導した阪口監督が岐阜県の大垣日大に移ってから、愛知県の有力選手も大垣日大野球部を目指し、大垣日大は甲子園の常連校になっています。
一般論として、池田高校も蔦監督の引退によって、甲子園へ遠ざかったかのように思われるものの、現実には野球部の寮が無くなり、野球部員が帰宅する交通機関の便数減によって練習時間が減ったことも大きく、今回の出場の裏には町を元気にするため、野球部員の食事や生活面を地域の人々が支援した事が実を結んだと思われます。
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さて、本日は愛知県内の小学校の卒業式が開かれましたが、私の母校では今年から卒業式に着物姿で参加する女子卒業生が目立ち、時代の変化かもしれませんが、卒業生全員が卒業式のためだけに衣服を新調している現実に、式典が合理的に簡素化され、来賓紹介も簡素化されるなかで派手になった姿に驚かされました。
「大丈夫ですかねぇ」
「はい、何とかします」
本日は福祉有償運送のボランティア不足により、卒業式から一目散で津島市民病院に走り、本日退院される会員さんを自宅まで同行することになりましたが、会員さんは半身不随で右足と右手は使えない状況にあることから、車高の高いキャラバンへの乗降は大変な作業となります。
病院玄関では病院ボランティアも存在しますが、歩けない状況の人々の介助ができる人はおらず、車イスから座席への移動も見物されている環境となり、患者搬送術で得た方法を酷使するものの、初対面で症状の判らない半身不随の人に一人で対応するのは大変です。
さて、自宅に到着したものの、車内から自宅内のベッドまでの移動はもっと大変で、本日はかなり激しい雨が降っていめため、同行する奥さんと入室進路の確保をしましたが、介助方法が見いだせません。
なんと言っても、私より体格の良いご主人ですから、今まで同行していたボランティアも大変だったと思われ、丁寧な介助では雨に濡れてしまうし、玄関からは狭いため困難と思われましたが…
「私が背負います」
「えっ、主人は大きいから…」
座席で待たれるご主人に、「私が背中におぶって行きます」と伝えると、動かぬ右腕を示されたものの、「私に安心して乗っかってて下さい」と背負ったところ、軽い、軽い…。 私より大きいのに背負えばあっと言う間にベッドへ到着です。
患者搬送法や、介助の講習でも「背負う」なんて教わったことがありませんが、車から車イスに移動させ、更に車イスからベッドに移動させる方法は、階段や段差のある一般家庭ではスムーズな移動とはならず、足腰の丈夫な私の場合は背負って行った方が簡単に移動が完了します。
「こんな簡単で便利な背負う方法がありながら」と思ったものの、病院の玄関で患者さんを背負った姿は見たことがありませんし、私以上に体重の重い場合もありますから、背負うのが最善ではないものの、昔から子供を背負い、病人も背負って医者に走った歴史を忘れているとすれば寂しい現実かもしれません。
3月20日の一言








