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 私の事務所の2階には、父親が若い時から日本画を習っていたため、師となる浅見香城先生の画帖が多く残されており、この虎の絵もその中の一枚ですが、父が亡くなっててから置かれていた倉庫が雨漏りしていたため、保存状態は最悪だったものの、中に描かれた絵は臨場感がそのまま残されていました。
 
朝見香城 (あさみ こうじょう)
明治二十三年(1890)-昭和四十九年(1974) 享年八十四歳
姫路市の生まれ。はじめ画を森月城に学ぶ。のち京都の西山翆嶂の門に入り花鳥画を極める。
大正元年に名古屋に。新派の画家として活躍し、同四年の文展に出品して初入選。
それ以降帝展・日展に入選して東西にその名を知られた。
中京出品協会理事として名古屋画壇の為に尽力し、昭和三年に渡辺幾春・喜多村麦子らの若手作家と、中京美術院を創設して後進の育成に功績があり同二十五年に愛知県文化功労賞を受ける。
 
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 週刊誌の占いコーナーに、「部屋を片付けることが吉」とあり、事務所の2階に放置されたままの画帖を持ち出したところ、総てが父親の師の作品と思っていた物が、現実には複数の画家の手によるものと判り、父が存在すれば簡単に聞けるであろう作家名を知る手立てが見つかりません。
 
 父の師となる浅見香城先生は、昭和49年に亡くなっておられることから、それまでの年代と香城と記された画帖は間違いがないものの、「小寺礼三」、「俊三」と記された画帖の作者がネット検索しても判りません。
 
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 左は画帖の巻末に記された年号と記名で、右側は「昭和37年新春香城」と記されていますが、左の画帖には「昭和壬子師走」と記されており、壬子は干支で、「みずのえね」と読み、干支は60年周期ですから、ここに記された昭和壬子にあたる年は1972年(昭和47年)に記されたものと判りましたが…
 
 本日まで、画帖はすべて浅見先生の作品と思っていたことから、作者の判らない多くの作品の出現に戸惑いましたが、「部屋を片付けることが吉」との占いに、封筒に入れたまま忘れいているヘソクリを期待していたものの、父の残した作品も評価額はかなり高額と考えられるため、父親の書画は千円クラスですが、著名人の手による作品だけは整理して保存に努めたいと思います。
 
イメージ 4 さて、冒頭に添付した虎の絵はいったい誰によって描かれた作品なんでしょうか。
 右の虎も同じ作者による絵画ですが、見事な作品であることは疑いがなく、「開運!なんでも鑑定団」で鑑定してもらわないと作者が特定できません。
 
 ちなみに、経歴を添付した浅見香城先生も、戦前の帝展や、日展に入選している日本画家で、本日はじめて名前を知った「小寺礼三」さんについても、大正1年生まれで名古屋出身であることと、帝展や新文展、日展に多数入選されている大和絵、仏画を得意とした作家であることがネット検索で判りましたから、占いのように「部屋を片付けることが吉」になったのかも知れません。
 
 
 昨日は父親の残した木々を添付し、本日も父親が残した遺品の中から、著名な作家による日本画を添付することになりましたが、しばらく忘れていた我家の珍品についても添付を続けていきます。
 
                                  5月1日の一言