
私の事務所前のアンズですが、今年は結実が少なく、落ちたアンズが道路を汚すことはありませんが、例年の厄介物ではなく、今年は貴重品として家内がアンズジャムにするため煮込んでいます。
私自身は、子供の頃から梅干が大嫌いで、アンズの実も梅を大きくしただけのようで好きにはなれませんが、このアンズの木は長野県出身の知人からもらったもので、一度も切ったことがないため大きくなり、収穫した実の後始末で毎年困ってきました。
収穫したアンズの実には、左のような梅や桃と同じような種があり、この種を添付した機器を使って砕くと、指先にあるような白い果肉が入っており、この果肉をジューサーで砕き、牛乳と砂糖を入れて鍋で煮込み、これを冷蔵庫に入れて固めると杏仁豆腐が出来上がります。
この種の殻はかなり固く、この果肉を取り出すだけで家内は筋肉痛になって接骨院に通うこととなります。
「お父さん、杏仁豆腐ができたよ」
「うん」
「… … …」
「お父さん、食べるの? 食べないの?」
「うーん」
もっとも、私自身は梅干に似ているためアンズも好きではなく、ジャムはそれほどでもないものの、アンズからできた杏仁豆腐も好きにはなれません。 しかし、こんなことを話すと、「迷惑だからアンズを切ってよ」と言われそうなため、当たり前のように口にしますが、黄色いアンズから真っ白な杏仁豆腐ができることには驚きです。


左に添付したアンズが事務所前のアンズの実で、今から30年ほど前に長野県出身の知人にいただいた木で、年々甘みが増しており、そのまま食べても美味しいものの、果肉が軟らかいため落ちた実は保存がきかず、ジャムにするしかありません。
我が家には事務所の裏にも父親が植えたアンズの木があり、事務所前の木より大きくなっており、果実も倍くらい大きいだけでなく、右上の写真で判るように赤みがかかって甘いため、直接食べるにはこれからが楽しみです。
今年は特に数が少ないものの、事務所裏の庭には、梅干以上に大嫌いなヘビがいるため、来週は恐々のアンズ拾いが続きそうです。
紙芝居師、次々デビュー 養成講座受け街へ
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講座は減り続ける街頭紙芝居師の技をつなぐために企画された。三邑会によると、50年前後は大阪周辺に1500人ほどいたが、テレビなどの新たな娯楽の広がりで急激に減少した。
戦後間もない頃に同会を設立した塩崎源一郎さんは、子どもの心を明るくしてきた紙芝居を後世に伝えようと、95年に自宅を改造し、所蔵する20万枚以上の原画を紹介する博物館を創設。00年に亡くなった塩崎さんの遺志を継ぎ、会員らが養成講座を始めた。最盛期に60人以上いた会員も、15人ほどになっていた。
経験の長い紙芝居師が講師を務め、初級、中級、上級の講座が各2日間ある。多くの時間を街頭実践にあて、技を学び合う。講師の大塚珠代さんは「目の前の子どもとの関係づくりが大切。塩崎さんも100回の練習より、1回子どもの前に立て、と言っていた」と話す。
生徒はイベント経験者や保育士らで大阪、東京、福岡などから集まった。1期生6人が12年秋に修了。休日などに各地で活動を始めている。現在は2、3期の計15人が受講中だ。
5月から東京都八王子市の公園に立つ「のんきや あやや」こと高橋綾さん(41)は、福島県浪江町出身。受講中の11年3月に福島第一原発の事故に見舞われた。故郷を離れ、秋田県に避難した後、東京へ移り住んだ。昔のように「知らない子同士も仲良くなるような場にしたい」という。
さて、大阪からの話題ですが、街頭紙芝居師の「新人養成講座」を修了した1期生がデビューしたとの新聞報道です。
私の子供の頃には当たり前の紙芝居が、最近では見ることも無くなり、当時の紙芝居屋さんをどのように知って集まっていたかも記憶が薄れて思い出せなくなってきましたが、子供たちが屋外でのびのびと遊べる試みには心温まるものを感じます。
6月7日の一言
追伸
本日2回目の書き込みです。今月4日にも決定ボタンを押したものの、送信が完了しておらず、カレンダーを空白にしましたが、本日も書き込みと送信を完了したにも関わらず、通信状況が悪く、画面を戻すと空白の画面しかありません。
がっかりで、気力が持続できそうにもありません。








