
津島市葉苅町 法性山長福寺
市内葉苅町にある長福寺の寺標から本堂への参道ですが、長福寺は天文9年(1540)に創建された浄土宗のお寺で、私が毎年大晦日に訪れている京都百万遍知恩寺の末寺になります。
寺伝によれば隣接する蛭間町大徳寺や宇治町光明寺など十一の末寺があり、宗祖法然上人尾張二十五霊場(第五番札所)や、尾西弘法第4番札所、海東西・新四国八十八ヶ所(第六十九番札所)などに名前が記されています。
前記したように、寺の創建が天文9年(1540)ですが、本堂の参道西に建てられた観音堂には、安置されている十一面観音菩薩像は創建より古い明徳2年(1391年)の作と刻印されており、尾張三十三観音第二十番札所にも含まれ、世が世なれば人でにぎわっていたことが想像されます。
当地方の寺院としては格の高いお寺で、織田信長の父信秀が京都百万遍知恩寺から岌清上人を招いて創建したとの説もあり、郷土史家の記した文献には、織田信秀が隣村の勝幡城を居城としていたことから、尾張地方統一のため長福寺の末寺をどんどん建立して情報収集を図っていたと記されています。
私の叔父は幼少時に母親を交通事故で亡くし、2代前の住職が親族だったことから幼くしてこのお寺に出され、大学卒業後も家族4人でこのお寺で僧侶として生活していましたが、昭和40年代に隣村の長福寺説教所に移り住んでいます。
門前の寺標は私の叔父が寄付した石柱で、墓地内には叔父が建立した檀家なら誰でも納骨できる大きな墓石(叔母も納骨されました)もあり、石は永遠に残るため、叔父の名前も末代まで残されていくことになります。
立派に再建された本堂や鐘楼堂などを眺め、お寺が辛くて逃げ出した幼子の叔父をなだめて祖母や家族が同行してお寺に送った話や、母親を亡くし孫3人が祖母と一緒の布団の中で泣いたと言う、昭和初期に貧困にあえいでいた先祖の思い出話を改めて思い浮かべる一日ともなりました。
本日の体重 71、4キロ 徒歩数 3万478歩
1月5日の一言








