昨年11月に浪江町のがれき集積場で見つかった頭骨が、4年前の東日本大震災で行方不明となっていた浪江東中学校1年、大浦清華さん(当時13)のものと本日福島県警が特定したと報じられています。これで福島県内の死者数は1612人、行方不明者は202人となったとも記されている。
震災津波で不明、中1女子の骨と判明 福島県警が鑑定
父さんが見つけてやっからな 娘を潜水捜索、宮城・石巻
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「絵美ちゃんも一緒に捜してやっから」という高松さんの言葉に、成田さんも「自分も何かしなければ」と決意した。石巻市でダイビングショップを経営する高橋正祥さん(35)の指導を受け、昨年7月に潜水士免許を取得、月1、2回の捜索に参加している。
成田さんの妻、博美さん(54)は絵美さんの携帯電話料金を今も払い続けている。毎日絵美さんにメールする。「えー(絵美さん)明日お父さん探しに行くからね。早く帰って来るんだよ。ごめんね。会いたいよ」今年もひな祭りのちらしずし、お吸い物、ケーキを絵美さんのために用意した。
絵美さんと共に過ごした自宅は津波で流された。引っ越し先の居間には、等身大の絵美さんの肖像画がほほえむ。
「見つけるのは針の穴を通すより難しいって感じる。けど、私と女房にとって一番大切なもの。それを持って行かれるくらい悪いことしたのかな」。父は娘の姿を毎日見つめながら、今も問いかけている。
地震の被害が深夜まで続き 2011/3/11(金) 私の一言
もう4年も経過したと思う反面で、現在も妻を捜して潜水を続けている人物が存在し、その姿を見てダイビングの訓練を受けて自分の娘さんを探し続けている人についての発信も報じられています。
福島県で発見された人骨の特定ができたとの報がありますが、海に流された不明者を探すことは至難の業で、海底の泥や瓦礫の下敷きになっていれば判らないばかりか、行方不明者の数を考えると暗黒の海底にもぐるのは躊躇してしまいそうです。
病気や事故で家族を失うこともありますが、行方不明のままに家族の死を確認できない状態は残酷です。
我家においても、昭和20年に沖縄にて伯父が戦死し、その戦死した場所も特定できていませんが、私の親たちは幼くして両親を亡くしており、祖母の手によって育てられており、戦死した伯父の死を悲しむ親はありませんでしたが、私が親の立場ならそのままにはしないと思われます。
自分の意思で危険を承知でイラクに渡った日本人の殺害が大きな問題となりましたが、4年経過したとは言え、確実に海の中に存在する人々だけに、打ち切ることなく捜索を続けて欲しいと願います。
人と犬を一緒に論ずる気持ちはありませんが、最近では犬の葬儀や法要まで行うお寺が存在し、ペットのお墓まで造られる中で、家族の遺骨も戻らぬままに、供養もされないままになっている命の存在と、今も探し続ける家族の存在に、70年前の戦没者の存在も忘れてはならないと思いました。
私自身は、伯父の戦死した場所とされる沖縄県の「小渡」の場所を探してもらうよう依頼したことがありますが、多くの戦争被害者が存在する沖縄県からは何の返答も無く、行政に期待するのは無駄と思っていたものの、ブログ文化によって沖縄から発信されている人も多いため、今一度場所探しを依頼してみようと思う夜になりました。
本日の体重 71、3キロ 3748歩
3月9日の一言








