昨日の一言に、『伯父の戦死した場所とされる沖縄県の「小渡」の場所を探してもらうよう … ブログ文化によって … 場所探しを依頼してみようと思う』と記したところ、お2人の沖縄県から発信されるブログ運営者からコメントをいただきました。
 まさに、昨日の一言に即日反応するコメントから、ブログ文化を実感させられ、ブログによる市民力も実感させられました。

 かつて、沖縄県に無視されたと思っていましたが、戦中戦後の混乱を考えても、戦死の通知をおこなった日本政府が戦死者の遺族にいかに適当な報告をしていたかを実感させられ、東日本大震災後に海に潜って家族を探し続けられる人々の存在を考えると、戦死した人々は物扱い同然であったことも実感させられました。

  DOCさんから、「地名本島小度では分かりません。市郡でお願いします」のコメントがあり、ジョニーさんからは「糸満市ですかね?」のコメントをいただきましたが、我家の戸籍には「沖縄本島小渡において戦死」としか記されていません。

 もっとも、伯父から沖縄からの手紙が複数届いていますが、沖縄に向けて出航した船が攻撃されて沈没したと話された戦友もあり、手紙を解読して本当に沖縄に上陸していたかを確定するのが先決かもしれません。

 また、私自身にしても、戦死した伯父とは面識もなく、座敷に掲げられた遺影しか残されたものはありませんでしたが、昭和47年にグアム島から横井庄一さんが発見され、横井さんから伯父宛の手紙があり、横井さんと兄弟のようにしていた伯父の話を聞いたことと、「お前と性格や行動がそっくりだった」との父親の話から私の肉親として認識するようになりました。もっとも、横井さんからは「似ていないよ」と言われたものの、父親は兄の生まれかわりのように感じていた一面があります。

 伯父は幼くして両親を亡くし、22才の若さで戦死しており、遺骨どころか戦死した場所も特定できない孤独な人生でしたが、横井庄一さんの出現によって、私には忘れられない存在になりました。

 さて、戦後70年ということで、平成9年に亡くなった横井庄一さんも取材の対象になっているようで、近々新聞記者と会う約束もありますが、苦難ではあったものの生きて帰国できた横井さんよりも、未だに戦地に置かれたままの遺骨や、戦死した場所すら特定できない戦没者について、もっと真剣な対応が必要に思います。


 4年前の東日本大震災で行方不明となった家族を探し続ける人々の存在や、70年前に戦死した会ったこともない肉親について記していると、国から不正・不法にして生活保護を受けている人々の報道には、腹立たしい気持ちに襲われます。
 生活保護の資金には国民の支払った税金があてられており、これを受け取る人々の不正は、国民の税金を搾取したこととなり、公益を害する存在して厳罰に処して欲しいものです。

生活保護者5千人超に向精神薬を過剰処方 ネット転売も

生活保護の不正受給、最多4.3万件 13年度

              本日の体重 71、3キロ 徒歩数 1397歩
                                    3月10日の一言