
本日は県内の小学校で卒業式が行われ、私は母校でもある地元の神守小学校の卒業式に来賓として出席しました。
「私たちは6年間でたくさんの先生にお世話になりました」
「ありがとうございました」
「先生たちから教えていただいたことを忘れません」
「お父さん、お母さん … ここまで育ててくれてありがとう」
「みんなに感謝の気持ちでいっぱいです」
卒業式の「旅立ちのことば」の中での一句で、恩師や友達や両親に感謝の言葉が続きましたが、誰もが素直な子供たちとしか思えず、こんな純粋な小学生が4月から中学校に進むと問題のある上級生の感化を受けて、不登校や問題を起こす生徒が出てきます。
右に添付した花は、卒業式の来賓席の前に置かれていたもので、水滴までついた花に見とれていると、精巧にできた造花でした。 そうして見ると、卒業生がそれぞれ胸につけていた花も造花らしいことが判り、何か空しさが感じられるとともに、毎年繰り返される卒業式についても、式そのものの意味が形骸化され、軽薄に思えてきました。
開式の辞に続く「国歌斉唱」についても、体育館の舞台上に日の丸が掲揚されているにもかかわらず、卒業生に尻を向けたまま歌わせることが適切なのか…
私たちが小学校を卒業した昭和40年頃には戦後の貧困からは脱却していたものの、恩師たちは家庭の経済的格差を教育上では出さないように苦慮しており、本日の卒業式には大学を卒業するような高価な衣装に身をつつむ女生徒が多数存在し、こんなことが生徒間の亀裂や格差を生み、いじめを生んでいくのかもしれません。
還暦を過ぎてからも知らない知識の多さに、我が身の未熟さも実感させられますが、私たちの蓄積した経験や知識を子供たちへ伝承することは難しく、学校においても過去の先人たちの遺徳が継承されていないように感ずる一日となりました。
本日の体重 70、8キロ 徒歩数 5681歩
3月20日の一言








