
我家のアンズの花弁です

一年に一度だけ、私の事務所前を彩るアンズの花で、2階の屋根を越えて通行する遠くの人からも話題にされるようになりましたが、私の希望では来年までに事務所を三男の接骨院に改装して開業することを予定しており、店舗前に大木があっては営業できないと言われていることから、来年には見られない可能性が出てきました。
もっとも、「名古屋市と津島市の県道沿いで唯一のアンズ」と言われたことがあり、我家のシンボルとして残して欲しいもので、「横井庄一が小学校5年生まで生活した場所」として、このアンズの木も切らずに残されることを願っています。
遺骨収集、立たぬ見通し 硫黄島で今も1万柱超が不明
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日本は、島が返還された68年から遺骨収容を本格化させた。これまでに1万355柱を収容したが、今年度は42柱にとどまる。生還者の高齢化などによって、新たに得られる情報はほとんどなくなった。11年度からは年約10億円をかけ、重機で掘削してくまなく調べている。
一方、全面的な掘削はされずに残るのが、自衛隊が管理する飛行場の滑走路だ。政府は移設する計画だが、その場合10年超の時間と360億円程度の費用がかかる見込みだ。遺骨が見つかるかどうかは「やってみないとわからない」(厚生労働省の担当者)という。
敗戦後、硫黄島が米国から返還されるまでの23年間の実態をつかめておらず、戦闘が熾烈を極めて遺体の損傷が激しかったことが発見を難しくしている。
超党派でつくる硫黄島問題懇話会会長の逢沢一郎衆院議員は「今後10年を集中期間とし、戦後80年を区切りにするのも一つの考え方だ」と話す。遺骨収容にかかわってきた国会議員の一人は、「何百億円もかけて滑走路を移設し、ほとんど見つからなかったらどうするのか」と滑走路移設の効果に疑問を呈する。別の超党派の議員らは遺骨収容は「国の責任」と明記し、政府に対して今後10年の予算確保を求める議員立法を検討しており、今国会での成立を目指す。
しかし、遺族は複雑な思いだ。硫黄島協会会長の寺本鐵朗さん(70)は父を硫黄島で亡くした。5歳の頃、母親から父親の骨つぼを見せてもらうと、中は砂が入っているだけだった。戦時中に滑走路を建設するため、米軍が遺体を重機でかき集めている写真を見たときには、怒りがわき上がった。「灼熱(しゃくねつ)の地で本土に帰るのを待っている人たちがいる。最後の一人が戻るまで、私たちはあきらめない」と語る。
戦後70年が経過していますが、戦末期の激戦地となった硫黄島では、日本人死者の半数にあたる1万柱以上の遺骨が見つかっていないと言われ、戦後統治していたアメリカから返還されて50年近く経過しているものの遺骨収集はいっこうに進んでいません。
日本の領域内にある硫黄島がこんな状態であれば、国外の東南アジアに眠ったままの遺骨収集はより困難をきわめ、戦死した旧日本兵の遺児は70歳以上になることと、硫黄島で生き残った生還者の数も少なくなり、政府に収集する気持ちがあるならば早急の対応が必要と思われます。
地域を廻ると亡くなった人々の名前が話題となりますが、戦争で命を失った人の多くは20代の若者であり、計算上では戦死者の親は皆無となっているはずで、戦死者の遺児そのものが存在しなくなれば遺骨を収集しても供養する遺族が無くなります。
我家でも戦死した伯父の遺骨は戻っていませんが、親族の中で伯父を知っている者は老人ホームに入っている叔父一人となっており、家内や息子たちは伯父の名前すら知りません。本来は戦死した伯父が我家を継いでいるはずで、本来ならば我家の当主におさまるはずだった人と考えると、多くの戦死者の子孫も真剣に遺骨収集を訴える必要性を実感させられます。
本日の体重 70、3キロ 徒歩数 8067歩
3月22日の一言








