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 久しぶりにカブ(実際にはヤマハメイト80)を出して埃を落とし、目的も無いままに出かけようとしていると、孫が両親とともに訪れ、「一緒に乗りたい」と訴えたため、親達は乗せたくなかったと思いますが、孫と一緒に地域を走り廻ってきました。
 
 久しぶりと記しましたが、大学時代に起業した新聞販売店で23年間も仕事の足としていたバイクのため、何も違和感がないばかりか、今でも現役の配達人として十分に通用すると思われます。
 
 それにしても仕事用に販売されていたメイトは丈夫に出来ており、販売店を廃業した16年前に3万キロを超えていた走行距離は現在3万3273キロになっていますが、未だに乗用車に加速は負けません。さすがに後輪のスプロケット(ギア)が磨耗しているため急加速はチェーンが悲鳴をあげますが、丁寧に乗れば私の残された人生のお付き合いになりそうです。
 
 私の希望ではこのバイクで四国遍路へ一人で出かけ、地元の人のように地域に同化してお寺を参拝することで、荷台にテントや寝袋を積んで宿には泊まらず、食事も総て自炊で満願を目指せたらと思っています。
 
ものづくり王国愛知、原点は二輪車 地元収集家が展示室
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 冨成さんが二輪車の収集を始めたのは26歳の頃。名古屋市で1953年、オートバイレース「名古屋TTレース」が開催されたことを知ったのがきっかけだ。ホンダとヤマハ、スズキ、カワサキといった大企業しか知らなかったが、レースには19ものメーカーが出場し、うち六つが名古屋周辺の企業だったことを知って驚いた。
 以後、知り合いの部品業者のつてを頼って、当時のメーカー関係者らを探し出し、資料や写真を集めた。技術者らも訪ねて、製作秘話などに耳を傾けた。全国の愛好家らと連絡を取ってコレクションを譲り受けた。そのうちに興味は自転車にも広がった。
 冨成さんによると、60年代ごろまで名古屋周辺では、オートバイのメーカーが創業や廃業を繰り返し、その数はのべ七十数社にのぼるという。また50年には市内だけで、自転車関連で約145の会社があった。ほとんどは零細企業で、59年の伊勢湾台風で被害を受けるなどし、業界の再編が一気に進んだという。
 冨成さんは99年、集めた証言や資料、コレクションなどをまとめて、写真集「名古屋オートバイ王国」を刊行している。実物を見たいとの要望がよく寄せられるようになり、公開を決めたという。「名古屋は二輪車王国で多くのメーカーがしのぎを削ってきた。技術者の情熱や苦労が詰まった話がたくさん残っている。その語り部になりたい」と話す。
 名古屋郷土二輪館についての問い合わせは、冨成さん(090・4198・4771)へ。
 
 偶然にも愛知県で趣味で収集したオートバイや自転車を一般公開し、「名古屋郷土二輪館」として土曜日と日曜日に無料で公開している人物が紹介されており、知人に預けて車検に向けて整備中の自動二輪車とともに、このバイクもこれからの生活に役立てたいと思う一日ともなりました。
 
               本日の体重 70、4キロ 徒歩数 6348歩
                                       6月6日の一言