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 本日開催されていた尾張津島天王祭の会場天王川公園の近くより、知人が送信してくれた花火です。

 「今どこに居ますか?」
 「家だけど」
 「今日はお祭でしょう」
 「そうだけど…」

 祭が開催されている会場からの電話ですが、本日はお祭り気分にはなれず、何もやる気のない一日となりました。

 「ガンが治らないと宣告されているが、入院したくないので最後まで病院まで運んでもらえないか」との電話をもらい、3月2日より自宅から病院や銀行などへ同行していたOさんが3日前に亡くなられ、本日は最後の別れとなり出棺を見送りました。

 「治らないなら家で最後まで生活したい」の一言に、自宅から開業医や病院への通院や買い物に同行する約束をして、議会活動があるときは家内や他のボランティアの協力で『福祉有償運送』を続けてきました。

 出会ってから5ヶ月しか経過していませんが、死を宣告されていた人の移送は大変で、体力の限界と闘いながらの生活から、心を揺さぶられ涙が止まらなかったこともありました。

 4月には統一地方選挙があり、候補者となる私を落選させないためにと、「私が生きていく上で絶対に必要な人」として、知人に応援の手紙をしたためていただき、選挙期間中に高熱が出て、熱が下がらないと入院と言われ、「入院したら投票できない」とベッドから2時間かけて起き上がり期日前投票に行っていただきました。

 先週の三連休に私は家族と四国遍路に出かけていましたが、帰宅した火曜日に突然の体調不良により連絡がありました。

 しかし、玄関で立ち上がることができず、家族の方と協力して支えても立ち上がれません。「私の背中に乗ってください」と背負おうとすると、持とうとした両足はバンバンに晴れ上がっており、腹部は腹水がたまって妊婦のようになっており、痛みから背負うこともできませんでした。

 何とか車に乗せて病院に送ったものの、送迎の限界を超えており、治療後も良くなっているとは思えず、車イスから座席に引き上げたものの、自宅到着後に立ち上がれず、両足を奥さんと娘さんに持ってもらい、私が背中から抱き上げて部屋に入れました。

 翌日の午前10時30分に病院の予約がしてあり、他のボランティアの協力も依頼してありましたが、自宅で待っておられる姿は最悪で、意識が朦朧としておられたため、ご家族の同意を得て私が救急車を要請しました。

 救急車到着時の状況は最悪で、ショック状態から血圧の測定も不能状態で搬送されていかれました。

 今にして思えば…

 死を翌日にして歩けない患者を自宅に帰した医師の判断は… 残された家族のために檀家となっていたお寺の縁を切って葬儀に僧侶の姿はなく… 在宅支援のため看護師による訪問看護体制があるが一度も利用されることなく…等々
 
 今後の記載にしていきます。

                    本日の体重 70、7キロ 徒歩数 634歩
                                     7月25日の一言