
ちょっとピンボケですが、2日前に孫のランドセルを選びに出向き、自分の子供のランドセルも選んだことがないのに、「おじいちゃんに買ってもらった」と言わせるために無理やり同行(アッシー君)した次第です。
時代が変わって、来年4月に利用するランドセルを夏休みに予約し、ランドセルには6年間の修理保障が付いている現実に驚きです。
これは2日前の話ですが、この日の朝に「ピヨちゃん」が死んだことから、うれしいはずのランドセル選びも迷惑でしかなく、家族が笑顔を見せる度に、死んでいったピヨちゃんを思い出し、他人事のようにしか思われていないと怒りさえ覚えました。
本日は久しぶりに夕方の散歩に出かけましたが、建物の屋根で元気良く羽ばたく今年生まれのスズメたちを見ると、「ピヨ」も何事もなかったら、岡崎の街角で仲間と羽ばたいていたんだろうなと、庭に埋めたピヨが不憫でなりません。昨年の今頃は、そんなスズメを眺めて、「ピーちゃんも落ちていなかったら、仲間と飛んでいただろうに」と感傷にふけっており、今年は大きな違いとなりました。
「そんなことで、リマちゃんが死んだらどうなるの…」と、知人に言われ、過去に死んだ愛犬や猫の顔もよぎってきますから、僅か1ヵ月ちょっとの付き合いでしかなかったピヨの死は大きなショックを受けました。

「チュン、チュン」
「おい、ピヨ… じゃなかったピーちゃん」
ピヨちゃんが来てから、私が帰っても鳴かなくなっていたピーちゃんが、それ以前のように鳴くようになり、これまでの癖で「ピヨ」と口に出てしまいますが、最近は声を出していたのがピヨちゃんのため、「ピヨ」が口癖の返事になってしまいました。
昨日の一言にも記しましたが、昨年ピーちゃんを保護できた原因には、4年前に保護に失敗して死なせてしまったヒヨドリの「ピーコ」の存在があり、ピー子の遺品がピーちゃんを育てました。両足の悪かった「ピヨちゃん」のために作ったとまり木と、ピヨのために買ってきた鳥カゴや巣、エサ入れが残されており、ピヨのためにも不幸にして親に見捨てられたり、巣から落ちたヒナを救うことを決め、改めてピーコの姿も再掲しました。


ピーコ
←保護した夜
亡くなる間際→
一喜一憂の看病を続けながら 2011/9/15
足を骨折して名古屋の動物病院に通院していたものの、結果的に両足を骨折し、私が無知なため死なせてしまった「ピーコ」の存在と、飼育した道具が現在のピーちゃんの生きる原動力になりました。
私の記憶違いで、昨日の一言に「3年前」と記しましたが、ピーコは4年前の8月20日に息子が持ち帰り、9月23日に死んでおり、考えてみればこの年の4月28日には愛犬モモも死んでいます。モモの読経を依頼した隣のお寺の住職が、読経の中で「畜生界に帰って」と読み上げられ、我家のペットは「畜生ではなく家族だ」と悲しみが募ったことが思い出されるとともに、明日は我家を旅立っていった愛犬や猫なども含めて町内のお寺で冥福を祈ってきます。
本日の体重 70、3キロ 徒歩数 8885歩
8月20日の一言








