津島市宇治町 目比川沿いにある「ウナリ石」

 昭和14年に発行された『郷土研究神守村』によると、宇治のウナリ石について、「日光川堤防の畦に宮窓と言ふ所がある。其處(ところ)は元神明社のあった所で、嘗(かつ)て木曽川「上ゴ」の切れた時、神社は流れながれて中一色に漂着した為、其の跡には只一個の大岩を残したのであるといふ。或時、大杉猪氏の曾祖父が此の石を己が屋敷に持って来て置いた所、毎夜々々其の石がウナリ声を発したので、恐れを生じ、旧の場所に戻したといふ」と記されています。

 この『郷土研究神守村』については、昭和14年12月1日に「神守尋常高等小学校(現在の津島市立神守小学校)」の横井正一校長名で発行されていますが、この本をまとめられた国語研究会のメンバーに記された、吉邨定司先生(津島市百島町)や、関山光真先生(蟹江町)は私の父親の恩師にあたります。

 お2人は、平成5年に私の父親の葬儀に参列していただいたことから、この冊子を「後世に伝えるため、あなたに渡しておく」と先人から指名されて頂いておりながら、真剣に目を通しておらなかったため、お2人の存命中に当時のお話を聞く機会を逸してしまったことが今となっては残念としか思えません。

 本日は、降り続けた雨があがって温かい一日となったため、歯の痛みから3日間静養していたリハビリとして、久々となるウォーキングに出かけましたが、津島市の中でも限られた記録しか残っていない、旧神守村の史跡を訪れてみました。

 旧神守村には史実(年月等を)に正確に記録された旧跡と言える神社や古刹は存在していませんが、添付した「ウナリ石」だけでなく、百町の「怪我石」や蛭間町の「いぼ石」など、いわれのある史跡が多く残されており、寺野町から蛭間町、宇治町にかけて古代の土器が畑より出土し、多くは正確に保存と記録もされていないまま一般家庭に眠っていることも残念です。

 明日からはリハビリとは言っておれない日程が迫ってきます。

             本日の体重 70、9キロ 徒歩数 8012歩 間食あり
                                      2月14日の一言