本日は我家のお寺である葉苅町にある長福寺で開催された「御忌(ぎょき)」と、お釈迦様の「涅槃会(ねはんえ)」に参加しました。私が議員になってから17年、17回目の参加となります。

御忌(ぎょき)会  浄土宗 http://jodo.or.jp/naruhodo/event/index15.html

 涅槃は釈迦が亡くなったという意味で用いられており、長福寺では浄土宗の宗祖法然上人が亡くなった(建暦2年(1212)1月25日)法要と、釈迦が亡くなった(陰暦2月15日)を合わせて村の人々と供養が続けられています。

 本日は21日のため、真言宗のお寺でも行事が行われており、町内の弘盛寺では「阿息観」が開催されておりますが、長福寺は先々代の住職を我家の親族が務めており、叔父もこのお寺の住職こそなっていないものの、子供の頃から生活していたお寺のため、言われるままの参加となりました。

 毎月21日は、私が高野山や巡礼の足として参加している名古屋市北区の「志賀弘法友の会」も、大須観音の近くで例会を行なっており、午前中は家内が名古屋まで走り、私が夕方に代表者と一緒に津島市まで帰る日程となっています。

友の噺、たすき継ぐ 死別乗り越えマラソン落語会
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 砂九さんは学生時代、関西大の「落語大学」に所属。桂文枝さんが初代「学長」を務めた名門だ。高座名は、文枝さんがかつて「浪漫亭ちっく」と名乗っていたのにちなむ。
 すっかり心酔した恒川さんは、プロデューサー役になって市内の喫茶店で落語会を開くようになった。
 ある時、砂九さんが「尾張津島藤まつりの期間中にマラソン落語会をやりたい」と言い出した。恒川さんは「何が悲して6時間も下手な落語を聞かされないかん」と笑い飛ばしたが、砂九さんは真剣だった。
 2005年、瑞泉寺の本堂を借りて、初めてマラソン落語会を開いた。砂九さんたちの高座を見て、恒川さんの血は騒いだ。たまらず「2回目からは俺も出せ」と申し出た。
 翌年、高座の前に砂九さんが「名前をつけといてやったからな」と言う。津島家寿芸虫。「ベタな名前をつけやがって。すぐに変えてやれ」と思ったが、かなわなくなった。
 その年の11月、砂九さんが交通事故で急逝した。恒川さんをはじめ仲間の落語家たちは「マラソン落語会は絶対に続けるぞ」と誓った。「こんな馬鹿なことを喜々として考えついて。やめるわけにはいかんだろう」。恒川さんは砂九さんにもらった名前と出囃子(でばやし)の「木曽節」を受け継いだ。
 得意とするのは、江戸落語の古典、長屋噺だ。「いろんな噺家に練られ、鍛えられて残ってきたものがおもしろくないわけがない」。今年のマラソン落語会は5月3日午前10時から。アマチュア落語家約15人が出演する。
 ところで「6時間耐久」とは誰にとっての「耐久」なのか? 「耐久とはお客さんにとって。素人の落語を6時間も聴くなんて罰ゲームみたいなもの」と恒川さん。最後まで聴くもよし、途中で出るもよし。何度でも出入り自由だ。「最近は我慢強い人が増えて、お客さんの入れ替えが進まない」のが悩みの種とか。
 前売り1200円、当日1500円。問い合わせは恒川さん(090・3256・0438)へ。

 平成18年11月24日に交通事故によって49才の若さで他界した浪漫亭砂九さんこと纐纈彰良さんに関係する新聞記事が、当時の仲間で現在地元でアマチュア落語家として活躍する地元のアマチュア落語家恒川一三(いちぞう)さん(66)の新聞記事によって先週の夕刊記事として掲載されました。


 砂九さんは、平成18年に49才で他界していますが、10年近く経過した今になって私のブログたけではなく、仲間によって新聞記事にまでなって記されたことと、彼が全くの無償で自分の勉強会として津島市の街角で活躍していたことが報われたようにも感じます。

 彼は、彼のホームページに私を「私設マネージャー」と記していましたが、家業のため落語界に入門しなかったものの、仕事の目途がたったため、仕事を辞めて本物の落語家になろうかと語り、その時は本物のマネージャーとして付いて行くとの会話が実現できなかったことは一生の引きづりとなっていきます。

                本日の体重 70、8キロ 徒歩数 0 間食あり
                                     2月21日の一言