
神守の目医者として有名だった先代から続く神守診療所(左)と、旧寺本薬局(右)
昭和30年に津島市と合併した旧「神守村」の村役場があった(左の火の見櫓の建っている場所)場所と神守小学校、旧佐屋街道(旧東海道熱田と桑名間の海路が利用できない人々の陸路)神守の宿の町並みです。
村役場は、合併後も昭和50年代まで津島市役所の神守支所となっていましたが、現在は消防団の分団車庫と詰所になっており、幕末までは道路の突き当たりに「本陣」が置かれ、明治維新までは大(小)名の行列もここを通っていました。
かつては海東郡の郡役場があり、旧神守村の役所から現在に至ります。
私の子供の頃は、ここを名古屋駅と津島駅を往復する名鉄の路線バスが走っていましたが、正保5年(1648)に神守宿が設けられてから、街道の両側には宿屋や鍛冶屋などが並び、この宿には尾張徳川家第14代藩主徳川慶勝候や明治天皇も休息されています。
かつては道路の両側にお店が並んでおり、旅籠だけでなく、鶏肉屋や八百屋、薬屋などが複数存在していましたが、東京オリンピックの頃に新しい道路ができ、昭和40年頃にはバスも走らなくなり、現在は事実上の小売店は皆無になってしまいました。

本日午後の神守町上町の様子ですが、神守の宿には上町のほかに、南に中町と下町があり、添付した上町については、佐屋街道の宿場を造営するため(1648年)に、ここから500メートルほど北部にあった集落を集団移転させて造られた宿場町です。
徳川尾張藩主や、明治天皇も通行した歴史のある街道ですが、現在の神守町には上に添付した神守診療所があるだけで、かつて存在した市役所支所や郵便局も移転して、商店が1軒もない街と化しており、大通りの静かな環境が余計に賑やかな時代を連想させてくれます。

本日のオマケです。 ここが何処か判りますか?
さて、我家では本日から、三男のために私の事務所のリフォームが始まり、私を訪ねてこられる方々の座る場所も無く、珈琲屋さんに出向いて話し込んでいると次の来客があり、荷物の散乱する2階にも居れないため、再度違うお店を訪れることになり、世代交代の宿命とは判るものの、還暦は過ぎたとは言えども、現役の議員であることを家族に忘れられているような寂しさも実感させられます。
舞い戻った冬、積雪ゼロだった札幌でも雪模様
大塚家具訴訟、勝久氏側が勝訴 15億円支払い命じる
世間を騒がせた大塚家具のお家騒動ですが、世代交代したとは言うものの、親の遺産は企業のものと考えて株の譲渡代金を支払わなかった現経営陣に、東京地裁は15億円の支払いを命じた記事が報道されています。
事務所を三男に提供するのは私の意志ですが、そのために新たに移転する冷暖房機器や、ネット、通信機器などの経費は私の負担となり、家族に引っ越しを急かされると、「何で自分が損をしてまで…」と、引退した大塚家具のお父さんについ同情してしまいます。
明日の晩には四国遍路に出発するため、帰宅する週末まで事務所の変化は見届けられませんが、同行する人々は超高齢者のため、本日よりぶり返した寒波も心配となり、しばらくは我家と遮断された生活が我家にとっては幸いになるのかもしれません。
本日の体重 72、0キロ 徒歩数 2866歩 間食あり
4月11日の一言








