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我家のブルーベリー 完熟も間近になりました

 2013年に子どもの貧困対策法が成立し、昨年から全国に「子ども食堂」が続々誕生しているとの報道と、「ハラ減った~。早く~」とか、「朝ご飯食べてない」と、待ちきれず先に手をつける子。「夏休みには給食がなくなり、やせる子もいる」との記事内容に驚かされます。

 こんな新聞記事を読むと、日本の家庭で何が起こっているかが判らなくなり、飽食の時代となり、食べられる食材も安全のため確実に破棄されるシステムが確立しているのが信じられなくなってきます。

「食」の支え合い、各地で手探り 「子ども食堂」急増
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 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png九州でも昨年、公民館で開こうとして「貧困の子どもはいない」と区長に拒まれたケースがあった。主催者が何度も足を運び、「全ての人の居場所になり、地域が活性化する」と説得して開設できたという。
 あえて「子ども食堂」と名付けないところもある。
■クラウドファンディングの利用も
 食堂の継続には安定した財源の確保が欠かせない。
 子ども食堂の多い滋賀県。開設を後押ししているのが、県社会福祉協議会などでつくる「滋賀の縁(えにし)創造実践センター」だ。モデル事業で昨年度から、食堂を運営する団体などに初年度20万円、その後2年間は10万円ずつ助成している。
 5月現在で26団体が対象。今年度は県がこの事業を支援するため1212万円を計上した。センターは「小学校区に最低一つ、300カ所に増やしたい」。
 助成対象の一つ、大津市の「しらゆり子ども食堂」は一口5千円の協賛金も募る。運営する歯科医の山元浩美さん(55)は自己資金で鍋や食器を購入。昨年12月から、経営するデイサービスサロンで週1回食堂を開く。小中学生15人ほどが来る。材料費は月5万円ほど。子どもは無料で大人は600円払ってもらうが、「助成終了後も活動を続けるには資金集めの仕組みが必要」と山元さんは話す。
 歯科医師会やロータリークラブで協賛を呼びかけ、半年で30万円集まった。応じてくれた個人や団体名を、百貨店にも置く山元さん発行の健康情報紙やフェイスブックに載せた。
 ネットで資金を集めるクラウドファンディング(CF)の利用も目立つ。
 埼玉県川口市の「川口こども食堂」はCFで48万円を得た。食材は寄付でまかなえるが、公民館の使用料やチラシ代、絵本やおもちゃなどを保管する倉庫代がかさみ、約50人の食事代(子ども50円、大人250円)を集めても月2千円余り足りないためだ。
 CFで目標の1・2倍を集めたが、佐藤匡史(まさし)代表(43)は「CFのお金が尽きたら“閉店”というわけにいかない」と、オリジナルの文房具などを販売し、運営の足しにする計画だ。
 食材の寄付や会場の無償提供など現金によらない支援も資金繰りを助ける。
 食材の寄付は各地であり、「野菜はほとんど農家からもらっている」ところも。那覇市ではスーパーの丸大長田店が近くの食堂の希望する食材を無償で提供している。琉球銀行は15団体に毎月1万円分の商品券や食材を贈っている。
■本当に必要な子、どうしたら来る
 相模原市南区の元飲食店を使った「相南ハッピーこども食堂」。6月23日夕、十数人の親子で満員となった。訪れたのは、つわりで調理が難しく娘を連れてきた女性、妻が妊娠中で息子2人と来た男性ら。運営する富岡美智子さん(52)は利用を喜びつつ、「貧困や孤食などの子に来てもらえるかが課題」と話す。
 支援を必要とする子にどうすれば来てもらえるか――。誰でも利用できる形式の食堂に共通した悩みだ。
 「冬休み中、毎日開いたが、来てほしいと思っていた子は1回しか来なかった」(兵庫)、「ママ仲間が誘い合って来る。コミュニティーになっていいが、しんどい親子にも来てほしい」(東京)、「困っている親子に限定するとかえって来づらい」(埼玉)。
 情報を届けるため、子どもの実情を知る学校や地域とつながる動きもある。
 沖縄県うるま市の「スマイルカフェ」は、「誰でも無料で一緒にごはんを食べることができます」と書いた名刺大のカードを小学校長や民生委員、ケースワーカー、市に配り、気になる家庭に渡してもらっている。これまで数人の子がカードを持って来たという。
 食堂になっている児童館の山城康代館長(54)は子育て支援のNPO法人代表を12年務め、自治会や民生委員とのつきあいが深い。「情報を届けるには、地域の事情を知る人たちに頼むことだと思った。何度も足を運ぶのも大事」と話す。
 学校の場合、「教育委員会を通してほしい」などと言われ、チラシを置くだけでも難しいケースがある。
 兵庫県尼崎市の小学校では、近くに「そのっこ夕やけ食堂」ができた今春、チラシを貼った職員室前で、教頭が「こんなの始まったよ」と子どもたちに紹介。今もチラシを校内に置く。食堂は市やPTA、スクールソーシャルワーカー、市社会福祉協議会、NPOなどでつくる連絡会が始めた。当時の教頭は「登下校の見守りや行事への参加など普段から付き合いと信頼があったので」と話す。(河合真美江、中塚久美子、丑田滋)
 〈桃山学院大の金沢ますみ准教授(スクールソーシャルワーク論)の話〉 子どもの貧困問題が注目されるようになり、国がやるべき貧困対策とは別に、「地域でできること」として民間の善意から子ども食堂のような場が始まった。つながりが薄れ、気になる子に声をかけにくい社会になっている。顔が見える関係をつくって、経済的に苦しい家に限らず子どもが安心して過ごせる場が必要だと多くの大人が感じていたことが、食を共にする活動として広がったのではないか。
 地域にどんな子がいるのかを知り、何を目指すのかを共有することが大切だ。大人のしたいことではなく、子どもが必要とすることを探してほしい。鍵になるのは学校との連携。事前に取り組みを知ってもらい、どんな協力関係を築きたいのか丁寧に説明すれば理解を得やすくなる。
 無理のない範囲で続けることが、子どもの安心・安全を支える。

 さて、私が学生時代に起業した新聞販売店では、昭和50年代には新聞配達のアルバイトを希望する中学生も存在し、生活のため会社の勤務前に内緒で配達をする人もありました。

 これだけ豊かな社会になり、働けるのに働かない人でも生活保護の対象となった世の中で、子供たちが学校の休みとなる夏休みに痩せてしまうという現実は、生活困窮者の確認とともに、何ゆえに困窮に至ったかの原因究明も急務と思います。

 私の父親は幼少時に両親を失い、14歳の時に満州に渡っており、戦後帰国した時に我家は壊れかけの家屋で生活していましたが、親を亡くして苦労した父親は、2人分働いて私たち子どもたちに「ひもじい」思いをさせませんでした。

 村にテレビが初めて登場した時には、私たちが近所に見せてもらいに行く姿を見た父親は、早速テレビを買って持ち帰り、村に自家用車を買った家があると知った時は、私たちのために借金して車を購入し、私たち子供に自分のような貧乏な想いはさせないようにしていました。

 私の子供たちが小学校の時に、それまでの「父親学級」が、父親の居ない子供に配慮して「両親学級」と呼ぶようになりましたが、事故や病気で片親となった子どもは別として、核家族化や親の安易な離婚によって生活困窮に陥っているとしたら、社会構造そのものに問題が存在します。

 我家の場合は、親子三世代による家族構成のため、名古屋市に嫁いでいる娘の孫についても、病気に限らず何かがあれば家内が走っていくか、家族の共助で乗り切っていきますから、成長後に仕事のため親元を離れて生活する核家族化が当たり前となった世の中の見直しも、子育てだけでなく独居老人の増大からも急務と思われます。

            本日の体重 70、3キロ 徒歩数 9074歩 間食あり
                                      7月2日の一言