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本日夕方の空模様 宇治町から 正面が越津町 右は下切町

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名鉄勝幡駅

 本日は、9月に開催される「歩き遍路友の会東海」の総会の打ち合わせのため、名古屋の金山総合駅で待ち合わせ、名古屋ボストン美術館のある南ビルに集まりました。

 津島市には名鉄の津島駅と青塚駅がありますが、我家の事務所前に名鉄バスのバス停があり、ここからバスで「名鉄バスセンター行き」に乗れば、直接名古屋駅に30分程度で到着し、「栄行き」に乗れば名古屋の繁華街「栄」まで直接行けますが、名鉄電車を利用するためには、津島駅にもバスは行くものの遠回りで時間がかかり、青塚駅には車を駐車するスペースがないことから、電車で名古屋へ行くときは愛西市の勝幡駅を利用することになります。

 津島駅や青塚駅の利用者が年々減少している理由には、こんな津島市の地理環境と、駅周辺の道路や駐車場が未整備であることに加えて、高速道路を使えば自宅から20分程度で名古屋市の中心地に到着してしまうことが考えられます。


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 さて、夜になって好物の「草餅」を食べ、「ういろ」があることを聞き、私の好きな「大須ういろう」か「青柳(あおやぎ)ういろう」と思っていると、昔ながらの「ういろう」で、口にしてから岐阜県海津市の「かわしまや」の草餅とういろうであることが判りました。
 ここの草餅やういろうを確実に買うためには、朝一番で足を運ぶ必要があります。

 「大須ういろう」や「青柳ういろう」の原材料は「米粉」で、我々の地域で昔から口にしていた茶色の「ういろう」は「小麦粉」でできており、根本的に味に違いがありますが、かつては当地方で麦が大量に栽培されていたことから懐かしい味になります。

日本人の祖先、いつどこから来た? 定説の3ルートとは
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 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png対馬ルートで渡ってきた時期について、首都大学東京の出穂雅実准教授(考古学)は「約3万8千年前」と絞り込む。
 地球は約7万年前から約1万年前まで寒冷な氷期になり、海面が今よりも低かった。3万年前より古い国内の遺跡のうち、「古本州島」として陸続きになっていた九州、四国、本州の各地から条件がよいものを厳密に調べたところ、最も古いのが約3万8千年前で、それ以降、急に増えていた。朝鮮半島とは海で隔てられていたが、対馬などを伝っていけば目視しながら渡ることができた。
 北海道ルートはシベリアまで陸続きだった。出穂さんによると、約2万6千年前以降の北海道の遺跡から見つかる「剥片(はくへん)石器群」と「細石刃(さいせきじん)石器群」がシベリアのものと似ており、生活が共通していたことがうかがえるという。「氷期で最も寒かった2万4千年前からの2千年間、シベリアに遺跡がほとんどない。南下して北海道へ避難してきた可能性もある」
 人類のDNA解析データを調べた山梨大の安達登教授(人類遺伝学・法医遺伝学)も「シベリアから南下したと考えられる」と話す。北海道の縄文時代の人骨と共通する遺伝子型が、現代の東シベリアの先住民に多く見られる一方、朝鮮半島の現代人には非常に少なく、台湾や東南アジアには見られなかったからだ。
■知力生かし航海か
 沖縄ルートは難関だ。国立科学博物館(科博)の海部陽介・人類史研究グループ長によると、渡ってきたのは「3万年以上前」。那覇市山下町の遺跡で約3万6千年前、沖縄本島南部の八重瀬町港川や石垣市白保で2万年以上前の人骨が見つかっている。白保の人骨のDNAを解析した科博の篠田謙一・人類研究部長は「今の東南アジアに特徴的な遺伝子型を持っている。南方から北上した人たちが白保に到達したと考えられる」。
 しかし、琉球列島最西端の与那国島と台湾の距離は最短でも約110キロある。東京大の横山祐典教授(古気候学・地球化学)によると、当時の日本周辺の海面は今より50~60メートル低かったが、このあたりの海の距離は現在と大差がなかったという。大陸と陸続きだった台湾から舟で渡るとしても、間を北上する黒潮に流されるので、航行距離はもっと長くなる。
 本当に海を越えられたのか。
 海部さんは「航海術を持っていたとしか考えられない」と話す。3万年前の航海を再現しようと、海部さんら科博の研究者や海洋冒険家、草舟職人、与那国町職員のチームは7月、まず与那国島から西表島までの約70キロを草舟で渡る実験をする。篠田さんは「ホモ・サピエンスはアフリカを出て世界へ拡散したとき、現在の人間と同じ知力を持っていた。わたしたちが思いつくことは当時の人たちも考えていただろう」と話す。
■旧人・原人 いた?
 約3万8千年前に日本へ渡ってきた人類がホモ・サピエンスだといえる根拠は、遺跡にも残されている。
 日本旧石器学会会長の佐藤宏之・東京大教授(考古学)によれば、3万年以上前にできたとみられる落とし穴が国内で400基ほど見つかっている。静岡県三島市では100メートルにわたり60基が連なる遺跡が発見された。「これほど大規模な落とし穴群をつくれるのは、知能の高い今の人類しか考えられない」と話す。
 季節ごとに移住している様子などもあり、複雑な行動をしていたことがうかがえるという。
 ただ、東アジアには北京原人やジャワ原人など、今は絶滅した古い人類がいた。欧州などでは、旧人のネアンデルタール人がホモ・サピエンスと共存していた時期があると言われている。日本にも、ホモ・サピエンスが渡る前に原人や旧人がいた可能性はないのか。この点は研究者の間でも見解がわかれているという。
 かつて日本では人類の遺跡が約70万年前までさかのぼれると言われていた。だが、2000年、これらの遺跡はアマチュア研究家が石器を埋めて掘り出した捏造(ねつぞう)だったと判明。日本における原人や旧人の研究は白紙に戻った。
 ただ、近年の研究でも、10万年より古い可能性のある遺跡が存在するとの見方はある。今後、新たな発見などがあれば、研究が進展するかもしれない。(神田明美)
■人類の起源は?
 最初の人類である初期猿人がチンパンジーとの共通祖先から分かれたのは約700万年前。その後、原人や旧人など様々な人類が誕生した。
 かつては、世界各地でそれぞれ原人→旧人→現生人類へと進化したという「多地域進化説」が唱えられていたが、今ではホモ・サピエンス以外はすべて絶滅したとする「アフリカ単一起源説」が信じられている。世界中の現代人のDNAを比べると、共通祖先が20万年前ごろのアフリカへたどれるという遺伝学的証拠のほか、化石の骨の形や考古学的な証拠もある。

 『世界中の現代人のDNAを比べると、共通祖先が20万年前ごろのアフリカへたどれるという遺伝学的証拠のほか、化石の骨の形や考古学的な証拠もある』との記事を目にすると、1200年前に空海が説いた声に耳を澄ませている自分の視野の狭さを実感されられますが、犬や猫を家族として生活する現代社会で、人が人を殺戮する現実との大きな乖離も実感し、遥か彼方から日本に辿り着いた人類と空間を想像してしまう夜にもなりました。

            本日の体重 70、8キロ 徒歩数 5111歩 間食あり
                                      7月3日の一言