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 本日、突然に上高地を訪れたのは、千葉県旭市と言うよりも、一年の半分以上を上高地の小梨平のテントで生活する渡辺画伯(写真右、別称・ホームレス画伯)に、添付した折りたたみ椅子3脚を届けるためで、4月より約束してあったものの、遅れに遅れた届け物になりました。

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こんなに人の居ない上高地も珍しいですね

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私のお気に入りのカラマツ 穂高は雲に隠れています

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小梨平から見る焼岳

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 「上高地を描き続けて57年」と、「山の友情は根雪をも溶す」と記されたキャンパス台に置かれた油絵は、今では上高地を訪れる人々の名物ともなっており、主人公となる渡辺さんは、日中は河童橋の周辺で絵を描き、開山式より早い4月から、閉山間近の10月まで小梨平に大きなテントを張って生活しており、訪れる観光客と旧交を温める場所にもなっています。

 引退した老後は年金で悠々自適の生活を送りたいとか、知らない場所でしがらみの無い好き勝手な生活を送りたいという話はよく耳にしてきましたが、現実にそんな生活を実現できる人はほとんど存在していません。

 「上高地のテント生活で半年」と言うと、上高地の好きな人には羨ましい限りですが、現実には激しい雷雨や台風にも影響され、我々の生活環境より気温は約10度低いため、春先や秋口は冬並みの寒さに震える生活となります。

 10年以上前に知り合い、小梨平ではテントの隣人となり、千葉県のお宅まで訪れるような関係になっていますが、家業は子息に任せて好きな絵を描くことだけに徹する生活は見事で、私も地元に10日、上高地と四国遍路に10日間づつの生活を、セカンドライフの目標にしているものの、6月は一度も上高地に行けませんでした。

 しかし、口にするのは簡単ですが、朝起きて天候を確認してから上高地へ出発するのは大変で、本日は突然の思いつきで車を走らせ、高山市(旧丹生川村)で地元の人のように家内と珈琲屋さんに立ち寄り、午後2時過ぎに上高地に入って画伯と談笑し、まるで散歩から帰るかのごとく上高地をあとにして、息子の開業した接骨院の営業時間内に愛知県まで戻ってきました。

 かつての一言に、上高地の帰り道となる旧丹生川村で、親しくなった知人と隣人のようにすれ違ったり、留守となった知人宅に勝手に土産物を届けた一文が残されていますが、愛知県の自宅と長野県の上高地まで距離はあるものの、散歩の延長として考えると、かつては遠かった上高地が近所の延長で身近な存在になっていることを実感させられます。

            本日の体重 71、6キロ 徒歩数 6000歩 間食あり
                                       7月7日の一言