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夕暮れの津島 日光川橋西

 本日の日光橋西側から見た津島方面ですが、私の子供時代は日光川の両岸に倉庫が並び、昭和50年代まで日光橋の西側は商店街で、薬屋さんや雑貨店、八百屋さんや米屋さんが軒を並べていました。

 私が議員になった直後に日光橋は新しい橋に掛け替えられ、両側の商店はそれ以前から立ち退きのため買収が進められており、橋が完成した時に両側の商店は完全に姿を消し、ほとんどが市内各地に移転していきました。

 一方で、現在の日光橋周辺は、道路の交差点となり、立ち止まって四方を眺めるようなスペースはありませんが、私の少年時代には橋の横に神社があり、大きな樹木が茂っており、橋から川岸に下りて遊んでいましたが、神社は近くに移設され川に下りることもできなくなりました。

 私の父親の若い頃には、この日光橋の周辺でシジミが取れていたと言いますが、かつては両岸に回船問屋の倉庫が建ち並ぶ湊が存在しており、私たち大鹿一族の祖先は、三重県の鈴鹿周辺から海路でこの湊に移動してきました。

 街角から人間の生活感や息吹が消えてしまったようで寂しいものですね。

3万年前の航海「謎深まった」 草舟、どうにかゴール
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http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngチーム代表の海部陽介・国立科学博物館グループ長(47)は「計画はうまくいかなかった。3万年前の人が海を渡ってきたことは確か。祖先の謎を解きたいと思っていたが、今回の実験で謎が深まってしまった」と話す。今回成功すれば来夏にも、より距離の長い台湾から与那国島への航海も予定していたが、計画を練り直すという。
 草舟は強い風と海のうねりで当初予定より5日遅れて出航したが、風が残るなど天候は完全には整わなかった。目的地の西表島は与那国島のほぼ東。その間に南から北へ海の流れがあり、南へ向かえば到着できると考えられていたが、海の流れが想定以上に強かったという。
 こぎ手たちは口々に、草舟による航海の難しさを語った。村松稔さん(39)は「島の南側から出たのに、島の北側が見え始めた。こいでもこいでも、海の流れの方が速く、進む方向が変わってしまった」。入慶田本(いりけだもと)竜清さん(33)は「伴走船にいったん移ったとき、3万年前の人はどうやって渡ったんだろう、と考えた。こぐ力が2、3倍あったとしても、あの流れをこの舟で渡るのは難しいと思う」と振り返る。
 少し違う感想を持ったこぎ手もいる。碇昌行さん(41)は、「浮力があってすばらしい舟だった。天候が一番良い時期で、こぐ力も備わっていれば、草舟で渡れる可能性はまだあると思う」と話す。
 今回の航海実験は、旧石器時代に台湾に近い与那国島や西表島まで海を渡ってきた方法を検証するものだった。背景には、沖縄県石垣島や沖縄本島では旧石器時代の人骨が発掘され、石垣島で発掘された人骨はDNA解析で台湾など南方と共通する遺伝子型だと判明していることがある。
 チームの一員として3万年前の舟を検討した後藤明・南山大教授(61)は、「与那国島で手に入る材料と、石器を使わなくても作れるものとして草舟を考えた。他に、台湾の先住民が使っている竹いかだも試す価値はある。ただ、いまは与那国島で大量に手に入らず、草のように貝殻では切ることができず、道具も必要になってくる」と話す。

 大きく報道された3万年前に人類が大陸から草舟で沖縄に移動してきた再現実験でしたが、伴走船まで用意しながら、予定したコースに流れない海流から、伴走船でひいて針路を変更したり、実際には航海の大半を人力で行っていないなど、国の関係機関や大学教授も参加した実験とは思えないお粗末な結果には驚かされました。

 3万年前の人類の行動や、大陸から沖縄地方に移動した先祖の生活を想像すると国のレベルを超えたロマンを感じずにはおれませんが、使用した草舟について大学教授が、「与那国島で手に入る材料と、石器を使わなくても作れるものとして草舟を考えた」と語っていることを聞くと、素人でも中国大陸や台湾に存在する材料を利用しなかったことは滑稽としか思えず、歴史的検証ではなくイベントでしかなかったと残念な気持になりました。

 最近では、九州から韓国まで海峡を泳いで渡る人も存在していますが、伴走船まで用意した3万年前を想定した実験であれば、人力だけで潮の流れや海流に影響されて草舟で何処に辿り着くかの実験をすべきだったと思います。

 戦後にグアム島で生き残るために横井庄一さんが考えたことを考えると、今回のような大がかりで組織的な行動を3万年前の古代人が考えたとは思えず、島国の発想ではなく、大陸人の発想で考えて再挑戦してもらいたいものです。

             本日の体重 72、1キロ 徒歩数 2703歩 間食あり
                                      7月19日の一言