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海軍第十四期会海軍飛行予備学生 あゝ同期の桜慰霊碑
                                              昨日の写真です
 
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高野山奥の院参道入り口 一の橋
 
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一の橋左側
 
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散る桜 残る桜も 散る桜
慰霊碑の説明文
 
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慰霊碑の右奥に鶴田浩二さんのお墓が
 
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鶴田浩二さんのお墓です
 
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鶴峰院栄誉誠純悟道大居士
 
 高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」です。
 
 この塔は昭和42年に大圓院墓地内へ建立されていますが、毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられた(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。
 
 かつて右翼の街宣車が、鶴田浩二さんの唄う軍歌を大音響で流して走っていたことと、多くの戦争映画に出演されていたことから、華々しい映画スター鶴田さんを右翼の軍国主義者のように勘違いされている人も存在しますが、実際には多くの仲間を見送った戦争体験から、多くの資財を提供して遺骨収集を支援し、亡くなった戦友の慰霊を続けられていました。
 
 私にとっては、映画スターとしても、唄の歌い手としても、その生き様を尊敬する人物で、周りに厳しい不条理と思える一面も残されていますが、できれば生前の鶴田さんに直立不動のままに嫌な説教をしてもらいたかったと思いますが…
 
 平成13年から四国遍路を始め、御礼参りに必ず立ち寄る高野山に鶴田さんのお墓が存在することを知ってから、私は必ず墓前で手を合わせることにしており、「何で、お前みたいなヤツが、俺の前に来るんだ」と言われそうですが、生前の鶴田さんに叱られないことと、悲惨な戦争によって多くの学生や若者が死んでいったことを忘れないためにも、寿命が尽きるまで墓前を訪れたいと思っています。
 
 安倍政権になってから、戦前の思想を美化するような動きと、自国防衛のために軍備を拡張して、いずれは若者が戦争現場に立たされるような可能性に、高所から戦争を指揮する視線ではなく、鶴田さんの戦争体験からくる苦言を聞いてみたいものです。
 
 その鶴田さんのエピソードについて、生前親しくしておられた後輩の杉井輝応さんの記された「鶴田浩二」の一文を紹介したいと思います。
 
 昭和天皇から、天皇陛下が主宰する園遊会に出席してほしい、という招待状が届いた。
「俺は行かない」
「天皇陛下から『おまえたちは、よくやってくれた。どうもありがとう』と一言、言ってやってほしいのだ」
「僕にじゃないよ。もう帰らない奴にだよ。言葉も出ない奴にだよ」
「それがあれば、成仏はできないまでも、ある程度、納得できるんじゃないかと思うんだよ」
「先に死んだやつのことを考えてやらんと可哀相でね」
 そして、
「たった一言でいいから『すまなかった』と言ってやってほしい」
「その一言がない限り、俺は園遊会には行かない」
 
 私は高野山の鶴田さんの墓前で、「私に何か言いつけてください」、「私を何かお役に立たせてください」と、身勝手な話をしていますが、私にとっては弘法大師の「十善戒」と同じような人生の師として手を合わせて、私自身の反省の場にもしています。
 
 今月は、昨日に続いて、6月にも訪れる機会があり、上高地一辺倒だった昨年とは違う一年がスタートした思いを実感させられました。
 
             本日の体重 72、9キロ 徒歩数 3109歩 間食あり
                                       4月2日の一言