
平成5年に他界した父親が残したボタンの花が開花しました

御嶽山明栄講の霊神場 昨日の夕方です

祖父の石碑(道成霊神)を訪れました

御嶽山山頂の噴煙

夕暮れの噴煙は悲しいですね

家族に本日の朝一番で訪れると話していた御嶽山に、昨日の夕暮れ時に祖父(母親の父)の碑がある黒沢口にある御嶽本教明栄講の霊神場に立ち寄りました。
上高地で御嶽山の霊神場に日暮れ頃に参拝すると話すと、「霊がついてきそう…」と言われましたが、霊感の鈍い私にとっては、何か聞こえてくれれば幸いで、何も反応の無い私には45年前に他界した祖父の石碑をさすって話しかけましたが…
祖父の周りには数百の石碑が建てられていますが、家族や信者が誰も訪れなくなった碑も多く、祖父の家人もほとんど訪れておらず、私の少年時代にバス数台を先導していた先達の祖父の碑も、私が死ぬと訪れる人は居なくなるかもしれません。
上高地の予定が御嶽山の巡礼になり 2013/10/27
数年前の話となりますが、空海が19歳の時に太龍寺の舎心嶽の岩の上で、虚空蔵求聞持法を百日間修行された場所で、深夜まで真言を唱えようとしたものの、真っ暗になって何も見えなくなった恐怖心で退散したことがありました。
小学校2年生の時から55年も通う祖父の霊神場も、真夜中に訪れたことはなく、薄暗い夕暮れ時でも辺りに誰も参拝者は居らず、通行する行楽の車が私の顔を恐ろしそうに眺めて走り去っていきます。
祖父の霊があれば幸いですが、あると信じて無言の石碑に語りかけるものの、全く無反応で、頼って語りかける祖父の享年を上回った自身の現実を考えると、死ぬ前に一度は神の声か心霊的な祖父の言霊を聞きたいと思っています。
それにしても、数百と言うよりも、数千となるかもしれない石碑が存在するものの、霊が存在すれば随分と騒々しいと思われる御嶽山が静寂に包まれ、まるで墓場のようになっている現実は、後継者が出て行って空き家や廃屋が増加する現代社会を見せ付けられているようにも思えてきます。
本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3787歩 間食あり
4月24日の一言








