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記念館の門前にある桜

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記念館の外(西側)から見た桜

 太平洋戦争が終ったことも知らずに、グアム島の洞穴に潜んで昭和47年に発見された横井庄一さんは、平成9年に鬼籍に入りましたが、平成18年に夫人が自宅を記念館として毎週日曜日に開館し続けてきました。

 「後は全部あなたにやってもらうことにしました」の一言は、2年ほど前に突然記念館の館長を務める夫人が私に発した言葉でしたが、還暦を過ぎた私が引き継いでも10年先が判らないため、将来の記念館を私の娘と孫に託して、私は残された人生を次期館長として頑張ることになりました。

 昨秋から「横井庄一記念館を護る会」のNPO法人化を進め、本年3月1日に愛知県知事から認証が下り、3月末までに法務局への登記や、関係する行政への届出が総て終り、本日は法人県民税の減免について県税事務所に出向きました。

 本日午前中には、今年91歳になる夫人の財産管理をしている大手信託銀行の担当者と、夫人と娘とともに遺言状の確認と、相続の手続きについて説明されましたが、我々を見送るため門の外に出た夫人が、我々の車窓から消えるまで立ったまま見送っていた姿が気になりますす。

 さて、添付した桜は一時は枯れかけたものの、最近は樹勢を盛り返しており、予定では記念館前の道路拡幅により切り倒される運命でしたが、美しい花を咲かせているため、庭師さんに聞いて移植が可能なら植え替えることになりました。

 記念館に植えられた木々の中には、横井庄一さんが幼少時に大鹿庄一として私の家にタネを蒔いて成長したマキの木が2本移植してあり、わずかでも横井さんの血縁となる私の娘と孫が仏壇とお墓を護っていくことに、道路拡幅によって伐採される樹木にも情を感ずる一日ともなりました。

          本日の体重 72、9キロ 徒歩数 2824歩 間食あり
                                     4月4日の一言