イメージ 1
小学校の卒業式が終了した後に

イメージ 2
何だか判りますか?

イメージ 3
はい、どうぞ

イメージ 4
地元ライオンズクラブから傘の寄贈です

イメージ 5
新入生へ全員へお披露目です

 本日は愛知県内の小学校で入学式が開かれ、来賓として出席しましたが、これまで学校評議員として出席していた同級生と書道会で一緒だった女性2名が3月末で辞任したため、当り前に見ていた姿が無い入学式が、何か人生の卒業式が迫ってきたような寂しさを覚えてしまいました。

 私には4人の子供がありますが、中学校のPTA会長や同窓会長の職にあり、その後は市議会議員として卒業式の来賓として出席してきたため、全員の卒業式を見届けてきましたが、それも過去の話で本当の御爺さんになり、これからは見届けることが出来ないと考えると寂しいものがあります。

 一方で、我家にも昨年末に三男の子供が誕生しているため、6年後には我家の孫もこの場に居るのかと考えると、来賓ではありながらこれまでの他人事のような感覚とは違う、新入生の子供たちが身近に思える入学式ともなりました。

「おじいちゃんは?」
   「小学校の入学式に行った」
「えっ、誰の入学式に…」
   「誰って…」
「ねぇ、ダレ、ダレ」

 名古屋の娘の家に立ち寄った際に孫と家内が交わした会話ですが、学校の入学式や卒業式に参加する姿を当り前としてきた我家と違い、小学校3年生になった孫には私が議員であることや来賓の意味が判らず、誰のために出席したのか理解ができないようでした。

気が緩む? 小学1年生、5月に事故増 4月の1.8倍

 昨日の一言にも記しましたが、娘の孫は横井庄一さんの家の仏壇とお墓を護る唯一の後継者になり、我家も生後3ヶ月の孫が唯一の後継者になるため、次世代まで血縁をつないでいくためには、貴重な存在となり交通事故は絶対に避けたいものです。

 最近は小学校の下校時に児童に同行されている高齢者の姿を見かけますが、私も我家に孫が誕生したことで初めてその心情が理解できるようになりました。良い事とは判っていても、我が身にならないとその気にはなれないことを実感です。

                                     4月6日の一言