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ピンクと白の2色が混ざったツツジ

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市長選の投票に行きました

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叔父の自宅

 本日は市長選の投票に出かけてから、愛西市にある叔父の(お寺)説教所で開催された永代経に出かけました。
 叔父は今年89歳になり、現在老人介護施設で生活しており、今から10年ほど前には隣の村からも多くの参拝客があったものの、叔母が亡くなり叔父が自宅を空けているため、親族と関係者だけになり、叔父が子供の頃から関わってきた信者の多くが鬼籍に入られました。

 かつて叔父の住んでいた長福寺には4人の僧侶が存在していましたが、叔父の説教所に来られていた複数の僧侶が亡くなられている現状で、まさに高齢化社会の象徴のような永代経になってきました。

 私は浄土宗の檀家ですが、「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土にいける」という教えは、生きていく上での糧にはならず、お寺には先祖供養をお願いしているだけですから、親や子供など家族を亡くした時は縁があっても、平和で平凡な生活を送っておればお寺に無関心になっていきます。

 仏教という言葉で、お寺を一ククリにして語られることが多いものの、「南無阿弥陀仏」と念ずるだけで良いとする浄土宗や浄土真宗と、四恩や十善戒を定めて「即身成仏」を目指す空海(弘法大師)の教えとは全く違います。

 即身成仏については、生きたまま死んだミイラのように錯覚する人もありますが、空海の説いた即身成仏は、この身、このまま、この世の中で仏となることで、三密(身と言葉と心)行の実践によって、生きているうちに菩薩の領域へ近づくことを目標にしています。

 私自身は、背中の後ろから弘法大師に見守られているものと信じて、十善戒を遵守して、空海が修業された史蹟で同じ真言を唱え、お大師の声と共鳴することを目標にしており、自己流ですが阿字観瞑想によって五感を極めて新たな領域に入りたいと考えています。

 宗教に無関心な人や、無神論者には理解されないでしょうが、こんな自己流の巡礼でも願をかけて参拝し、そしてその願いが現実のものになると、偶然とは言え家族や身近な人たちは、目に見えない何かの存在を意識し、私が願をかけていた孫が、私の誕生日と同じ日に誕生したことで、私の孫がまるで先祖の生まれ変わりではないかと思い、わずか生後四ヶ月の孫の目が、総てを知ったうえで見ているかもしれないと有り得ないことを考えて孫を見てしまいます。

 考えてみれば、先祖の血を引く私の息子の子供ですから、先祖と無縁ではなく、先祖から引き継いだ孫と考えれば、孫を見る目も違ってきます。
 本日の永代経の開始前に、三男夫婦が孫を連れてきたことで、我家の後継者として孫のお披露目の機会ともなり、息子たちにも先祖や親族の存在を意識させられたと思うと、例年とは違う意義のある一日ともなりました。

                本日の体重 72、6キロ    4月15日の一言