大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

四国遍路

四国遍路 車中泊一週間(結願)の記録

3月6日(水) 道の駅ながお 香川県さぬき市

第88番大窪寺

八栗寺への道中

第1日目

車中泊場所 道の駅ながお

 第88番大窪寺から第71番弥谷寺まで巡拝

入浴場所 高瀬天然温泉 三豊市高瀬町


3月7日(木)↓

銭形砂絵展望所駐車場 香川県観音寺市

銭形砂絵

第66番雲辺寺参道

第2日目

車中泊場所 銭形砂絵展望所

 第70番本山寺から第54番延命寺まで巡拝

入浴場所 清正乃湯 今治市


3月8日(金)↓

海てらすほりえ 愛媛県松山市

堀江港の動画

第45番岩屋寺の参道

四万十川の夕暮れ

第3日目

車中泊場所 うみてらすほりえ 松山市

 第53番円明寺から第39番延光寺まで巡拝

入浴場所 四万十のいやしの湯 高知県四万十市


3月9日(土)↓

足摺岬 高知県土佐清水市
足摺岬の動画

足摺岬駐車場 

第31番竹林寺

車中泊場所 足摺岬駐車場

 第38番金剛福寺から第27番神峯寺まで巡拝

入浴場所 ヘルストン温泉元気風呂 高知県安芸市


3月10日(日)↓

室戸の海岸 高知県室戸市

動画

道の駅キラメッセ室戸 

室戸岬

御蔵洞(みくらど)全景

御蔵洞入口

室戸青年大師像

第5日目

車中泊場所 キラメッセ室戸 高知県室戸市

 第26番金剛頂寺から第13番大日寺まで巡拝


3月11日(月)↓

道の駅 温泉の里・神山 徳島県神山町

杖杉庵の弘法大師と衛門三郎像

民家

第12番焼山寺

吉野川 阿波中央橋

第8番熊谷寺の桜

第1番 霊山寺

大鳴門橋

第6日目
入浴場所 神山温泉 ※施設整備中で宿泊者しか利用できなかった
 第12番焼山寺から第1番霊山寺まで巡拝 21回目の満願

3月5日に愛知県を出発 6日から11日まで逆打ち6日間で結願

一月の四国遍路 6日分の記録

第一日目

淡路サービスエリアで仮眠 1月30日23時21分

31日午前7時 第18番恩山寺

午後4時42分 第28番神峯寺


仮眠場所 淡路サービスエリア 
 第18番恩山寺から第27番神峯寺まで巡拝
 入浴 ヘルストン温泉「元気風呂」 高知県安芸市寿町1-7
 車中泊の場所 道の駅やす 高知県香南市夜須町千切537-90

第二日目

道の駅 やす 

道の駅周辺の動画

第32番禅師峰寺からの土佐湾

第38番金剛福寺前の駐車場 午後4時17分

万次郎足湯 足摺岬


 第28番大日寺から第38番金剛福寺まで巡拝。
 入浴 宿毛リゾート椰子の湯 高知県宿毛市大島
 車中泊場所 道の駅すくもサニーサイドパーク 高知県宿毛市小筑紫町田ノ浦

第三日目

道の駅すくもサニーサイドパーク

施設から見える風景

宿毛の海

第39番延光寺の天然記念物いぶき

松山自動車道伊予灘サービスエリア

恋人の聖地

第45番岩屋寺


 第39番延光寺から第53番園明寺まで巡拝
 入浴 清正乃湯 愛媛県今治市高橋1350-1
 車中泊の場所 第54番延命寺の駐車場 

第四日目

午前6時51分

第54番延命寺

日の出 午前7時15分

第60番横峰寺への道路 閉鎖中

山上駐車場

第64番前神寺

柴灯大護摩

管長による祈願

第65番三角寺

三島乃湯


 第54番延命寺から第65番三角寺まで参拝

 入浴 湯あそびひろば三島乃湯 愛媛県四国中央市三島中央一丁目

 車中泊の場所 道の駅 豊浜 香川県観音寺市豊浜町箕浦


第五日目

第69番観音寺の町並み

雲辺寺ロープウェー

第66番雲辺寺の境内

第73番出釈迦寺からの遠景

第82番根香寺への道路

瀬戸内の遠景

はくちょう温泉


 第66番雲辺寺から第82番根香寺まで巡拝
 入浴場所 はくちょう温泉 香川県高松市国分寺町新名2213-1
 車中泊の場所 橘ノ丘総合運動公園(はくちょう温泉のある場所)

第六日目

雨 第80番 国分寺

第87番 長尾寺

第88番 大窪寺

道の駅 いたの 徳島県板野郡板野町 午後2時30分

 
第83番一宮寺から第80番国分寺を参拝し、第84番屋島寺から第88番大窪寺まで巡拝し、12月に1番から17番まで巡拝してあった分と併せて満願になりました。
午後2時30分に徳島県板野インターから愛知県の自宅へは午後6時40分到着。

今年初めてとなる四国遍路は、1月30日の夜に愛知県を出発し、昨日2月5日に結願して帰宅しました。天候不順で連日の雨マークでしたが、傘をさしたのは昨日早朝の2寺院だけで、白い防水ジャンバーと菅傘をかぶってしのげました。

冬季閉鎖中となっている横峰寺の林道も雪は皆無で山頂まで行くことができ、千枚通しを購入するために別格12番延命寺にも立寄りました。太龍寺と雲辺寺はロープウェー利用。

歩き遍路のフェースブックのグループを開設して

2013年11月 


 添付した写真は、今から10年前に歩き遍路友の会東海のメンバーとともに「讃岐7ヶ所まいり」で、JR 海岸寺駅に降り立った際の集合写真です。

この時に先頭を歩いた上野会長も鬼籍に入られ、メンバーの高齢化により今では四国にすら行けないお遍路も存在するようになりました。

 2013年11月21日の一言


昨日12時51分の写真です。

名鉄勝幡駅

午後3時20分の写真です。

名鉄名古屋駅


 昨日は毎年8月に開催される「歩き遍路友の会」総会の打ち合わせのために名古屋駅へ集合しました。

 来年には70歳となり、昨年膠原病に罹患した私ですが、友の会では若手になることと、四国へ頻繁に訪れていることから、メンバーに新風と四国遍路の新鮮な情報を提供するため 新たに Facebook のグループを立ち上げて発信することになりました。

 昨日に開設したFacebook です。

そんなわけでメンバー3人でスタートしたFacebook に、招待したお遍路のベテランが加入していただき 本日 4人のメンバーとなりました。私自身が昨年からFacebook で新鮮な出会いが続いていることから、新たなお遍路の出会いにつながることを期待しています。

四国遍路は人と人とをつなぎます

愛知県社会福祉会館

名古屋市中区白壁一丁目50番地


目的地は四階愛知県社会福祉協議会総務部です

見事な玄関屋根

ジャン・アンリ―・デュナン像

国際赤十字社のルーツ


「すっかりと忘れていました」
    「今年はお見かけしないと思っていました」
「済ませたと勘違いしており…」

本日は膠原病の診察日のため名古屋市の中村日赤を訪れましたが、昨日になって「赤十字」つながりで今年のボランティア保険の申請を済ませていないことが判り、東区にある愛知県白壁庁舎を訪れることになりました。

ただし、本日は津島市の民生児童委員協議会の総会が開催されており、月曜日に四国遍路から帰り慌ただしさの中で欠席の連絡を入れ忘れており、朝一番で連絡する予定も完全に忘れており、白壁庁舎の看板に愛知県民生児童委員連盟の名前を見つけて忘れていたことが判ったのは午前11時を廻っていました。完全なる無断欠席です。


本日の写真です


さて、昨日の一言に善通寺の四国フォト広瀬さんから手紙が届いていたことを記しましたが、本日は善通寺の前法主樫原禅澄さんから手紙が届き、帰ったばかりですが四国が恋しく感じられるとともに、四国が身近に感じられる一日ともなりました。

多くの人と出会う中でも、お二人とは随分と気が合うと言うのか、利害関係の無い人と人とのつながりは出会いの第一印象やイメージが重要で、偶然とは思えない神がかり的な大きな出会いの設定ルールに合致しないとすれ違っていきます。


3日前に薬王寺の納経所で出会った、電動バイク旅の出川さんや森三中の村上さんとの出会いについても、多くのお遍路がいる中で、あと10秒遅ければ出会うこともなく、1分早くても先に朱印を済ませて立ち去っており、会う運命にあったとしか思えません。

そうやって考えていくと、四国で多くのお遍路と行き交う中で、ほとんどの人とは挨拶程度で声をかけることもなく、話し込むだけでなくその後も行き来が続く人間関係には偶然とは言っても、相性と言うか何か因縁めいた気がしてきます。

昨年から出会ってから交流が続くようになった知人も複数存在しますが、先月のお遍路で出会った今治市の英語教師ピーターさんについても、焼山寺で偶然の接触が3度続き、二度と会うこともないと思って別れてから四度目の遭遇がありました。


英語ができない私との会話も、車のジェット巡拝中の私にピーターさんの自転車が追いつくはずもなく、3時間後にピーターさんが3ヶ寺を後回しにして4ヶ寺先のお寺を直接目的にして走っていたことから奇跡の再会となりました。

3月に愛媛県第39番延光寺で出会ったFさん

四日市市のFさん


四日市市一心寺の法螺貝の修験者


Fさんから戴いた法螺貝


同じく先月出会った三重県四日市市のFさんについても、年齢も親子ほど離れており、何故に会話が始まったか判りませんが、5ヶ寺だけの同行の中で、偶然にも我家から近い四日市市の方であったことや、私が10年以上前に法螺貝に興味があったことから地元での再会を約束しました。

四国から帰って再会した四日市市の一心寺では、「音が出なかったから諦めた」と語っていた私に、高価となる本格的な法螺貝まで頂くことになり、私が身勝手に訪れたお寺のご住職から御礼まで言われると絶対に大切にしたい人間関係となりました。

こんなお遍路を通した人間関係が、身体にガタが出てきた年寄りにも大きな力になることは間違いがなく、「年寄りになってからどうしてそんなに親しい友達ができるの」と周りから言われますが、四国に限らず上高地でも親しい出会いが続いています。

「先生の転勤はありませんか?」
    「2年位は無いと思うけど、どうして?」
「居なくなると心が折れそうだから…」
    「ありがとう、そう言ってくれて…」

本日の中村日赤の主治医との会話ですが、膠原病に罹患した年寄りにとっては、「身体の不調時は何でも僕に電話してきて」と言ってくれた医師は仏様か神様のような存在であり、こんな信頼関係が一年でも永く続いて欲しいと思っています。

車中泊の3日間 四国遍路の記録

地元のマック駐車場へ

留守中に届いていた手紙

昨日善通寺で話をしていた広瀬さん


昨日の四国遍路で雑談に花を咲かせていた 四国フォト広瀬さんからの手紙が我が家のポストに届いていました。

私が 四国遍路に出向いてから届いた手紙ですが、昨日では手紙が届いていることもわからず 話をしたばんりで、こんなニア ミスが広瀬さんとはよくあるんですね。

本日からは日常の生活に戻りました。

 ここからは8日(土)から10日(月)までの記録です。

8日(土)午前6時 神戸淡路鳴門道淡路島南PA

約3時間の仮眠でした

第9番法輪寺の猫 午前10時27分

第11番藤井寺の藤 午前11時42分


8日は湯処あらたえ小松島店で入浴後に道の駅「公方の郷なかがわ」で車中泊

ここからは9日(日)の写真です。

道の駅公方の郷なかがわ 9日(日)午前6時5分

徳島県阿南市那賀川町工地803

トラックがいないので静かな環境で眠れます

日中の買い物も魅力ある道の駅です

車中からの景色 午前6時55分

薬王寺で出川さんと村上さんに囲まれて 午前11時19分


高知県室戸の海岸 午後1時55分

高知黒潮ホテル 

高知県香南市野市町東野1630

午後5時41分


ここからは10日(月)の写真です。

道の駅南国風良里 午前6時32分

高知県南国市左右山 102-1


善通寺市熊岡菓子店

善通寺市善通寺町3-4-11

 名物かたパン

第75番善通寺に隣接

 八十場の清水屋 午後1時58分
香川県坂出市西庄町 759-1

名物ところてん

第82番根香寺 午後3時5分

(休憩)高松自動車道津田の松原SA 午後6時6分

明石海峡大橋 10日(月)午後8時44分

淡路SA(上り)の観覧車

 上りのオープンスペースから

観覧車は下り線


 3月の2週間前にも、車中泊7日間の四国遍路を体験してきたばかりですが、四国は日帰り温泉や入浴施設と道の駅やコンビニの距離も近く、車中泊の四国遍路には便利な環境が整っています。

  3月25日の一言




車中泊による四国遍路は、明るくなれば自然と目が覚めるため、朝7時から開くお寺の納経所に確実に到着でき、午後5時まで巡拝した直後に入浴施設が存在することから快適なお遍路となります。


またコンビニの中でも「ローソン」は wi-fi 環境が良好なことから、道の駅の微弱な wi-fi 環境よりも快適なブログや Facebook の発信が可能で、今回は自炊はせずにコンビニ弁当や飲食店を多用してしまいました。


もっとも、今回はギガ数無制限のスマホを利用したため、時間が大幅に短縮されました。


予約した宿を中心に巡拝スケジュールを立てたり、現地で宿を探す苦労もなく、私自身は車中泊に勝るお遍路は考えられなくなりました。


お遍路生活から日常の現実生活へ

本日の夕暮れ  午後6時18分

散歩中の果樹

何の花かは判りません

新しい先達経典(右)


三日前に四国遍路から帰りましたが、本日は久しぶりに日常生活へ戻り、朝から患者さんを病院へ移送し、午後は家内とマックまでウォーキングに出かけました。わずか七日間家を留守にしただけですが、我が家のサクランボとアンズは完全に花が落ちて周りは春の新芽が地域の色彩を変えていました。

さて、 先週の四国遍路中に四国八十八カ所霊場会事務局で新しい先達経典(令和4年12月1日発行)を頂いてきました。

私が先達になった時に平成18年発行の先達経典を頂きましたが、経典そのものはお遍路に関する内容だけに基本的には変化がないものの、先達の総数や現況が全く分からないため新しい経典を入手しました。

先達の総数
令和4年8月  17.492名  平成18年2月  11.546名

現在の先達数
令和4年8月  8.591名   平成18年  8.381名

50回以上巡拝された先達数
令和4年8月 380名   平成18年 267名

「先達さんは何人ぐらいいるの?」と問われることがあっても現況がわからず、事務局まで電話で問い合わせたこともありましたが、自分の年齢と残されたお遍路人生を考えて新しい経典を所望しました。

先達手帳が新しくなっただけでなく、初めて先達に補任された当時の気持ちでこれからの遍路に臨みたいと思います。

7日間の四国遍路満願 車中泊の記録

3月18日(土)  第一日目

第21番太龍寺雨のロープウェイから見える山麓

第22番平等寺の階段に置かれた賽銭

室戸岬の青年大師像

第26番金剛頂寺から見える 土佐 の海
 前日17日夕方に愛知県の自宅を出発し、淡路島の淡路島南パーキングエリアで仮眠後の翌朝7時からお遍路をスタートさせました。

第18番恩山寺から第27番神峯寺まで巡拝 午前中は雨
入浴 高知黒潮ホテル天然温泉龍馬の湯 高知県香南市野市町
車中泊の場所 道の駅やす 高知県香南市夜須町

3月19日(日) 第二日目

第32番禅師峰寺から見える高知の海

第38番 金剛福寺
足摺岬の白山洞門

足摺岬灯台

第28番大日寺から第38番金剛福寺まで巡拝
入浴 宿毛 リゾート 椰子の湯 高知県宿毛市大島
車中泊  道の駅 すくも 高知県宿毛市坂ノ下
 現在休業中で駐車場に入れず、入口前の道路駐車スペースにて車中泊

3月20日(月)  第三日目

第39番延光寺

第42番仏木寺

第45番岩屋寺の参道

国民宿舎古岩屋荘 古岩屋温泉


第39番延光寺から第48番西林寺まで巡拝

第39番延光寺で法螺貝を吹く青年と出会い、第43番明石寺まで一緒でしたが、偶然にも我が家と近い三重県四日市の人物と分かり、四日市のお寺で再会する約束をしました。新鮮な出会い でもありました。


入浴   古岩屋荘の温泉 愛媛県上浮穴郡久万高原町

車中泊  天空の郷 さんさん 愛媛県上浮穴郡久万高原町


3月21日(火)  第四日目

松山市内の路面電車

第58番仙遊寺

第60番横峰寺

最後の第65番三角寺


第49番から65番まで

入浴 湯あそびひろば 三島乃湯 愛媛県四国中央市三島中央一丁目

車中泊   道の駅とよはま 香川県観音寺市豊浜


3月22日(水)  第五日目

第66番雲辺寺から見える雲海

第70番本山寺の五重塔

第75番善通寺の五重塔

第81番白峯寺から見える瀬戸中央大橋


第66番から第81番まで
入浴  スーパー銭湯あかね温泉 香川県高松市茜町
車中泊  マック香西店奥にある駐車場 香川県高松市郷東町

3月23日(木)   第六日目

高松北警察香西派出所 午前6時03分

前日マックへジャンパーを忘れており、早朝から警察派出所へ受け取りに走りました。


第86番志度寺の五重塔

第88番大窪寺

第1番霊山寺の六角菱灯籠


第82番から第88番、第10番から第1番まで逆打ち
やすらぎの郷  あせび温泉 徳島県板野郡板野町
車中泊  第6番安楽寺前の駐車場

3月24日(金) 第七日目

第12番焼山寺までの道中の桜

焼山寺で出会った今治市の英語教師ピーターさん

最近宿泊していない名西旅館へも陣中見舞いに立寄りました

観音寺でも奇跡的に再会しました

第17番井戸寺で満願 午後1時53分


 第11番藤井寺から第17番井戸寺まで巡拝で結願(満願)


 道の駅くるくるなるとで土産物(買い物)午後4時08分

四国鳴門市から大鳴門橋を渡り、一般道で淡路島を走った後、東浦インターチェンジから高速道路へ入り淡路サービスエリアで夕食休憩。そのまま明石海峡大橋を渡り、山陽道から新名神、西名阪を利用して愛知県の自宅へ午前0時30分到着しました。


今回のお遍路は軽自動車を利用して、毎日必ず入浴することと、必ず三食の食事を摂る車中泊でしたが、日頃車中泊に利用するキャラバンと違い、座席に寝たままで総ての物に手が届き、高速代金や燃料費は半額程度に抑えられたため、自炊は一日だけでコンビニと弁当や外食となり、睡眠時間が十分に取れました。


ブログやフェースブックの発信は、ワイファイ環境の悪い道の駅ではなく、郊外ではコンビニのローソン前の駐車場と、市街地ではマクドナルドの店内を利用しました。ワイファイ通信が途中で途切れてスマホのデータ使用量が増大した道の駅は利用しませんでした。


今回のお遍路中に、徳島市のイベントで宿が何処にも取れず、通しの歩き遍路を断念して途中からスタートしたお遍路さんと遭遇しましたが、明るくなれば自然と目覚め、次のお寺の近くに駐車することで車中泊に勝る効率の良い四国遍路はないことを確信した次第です。


私にとっては当り前の車中泊ですが、宿代が不用なため金銭的な余裕があり、これまで入浴代金や駐車料金などを全く記録していないため、今後のためにも記録しておきたいと思った次第です。何と言っても、今回もびっくりさせられる素敵な出会いに恵まれる四国遍路となりました。


四国遍路へ今晩は夜行で走ります

白衣と山谷袋 遍路必需品を積み込みました

軽自動車で出発します

狭い車内に食料と飲料水

バナナとヨーグルトに生野菜は発泡スチロールへ

しばらくの居場所へ

帰った時には散っていると思うと…


昨年12月に十四巡目の遍路から帰り、18日に雪の高野山へお礼参りの参拝をして以来となる15巡目の四国遍路へ今晩9時に出発します。


「予定はずっと」


体調が許せば満願を果たしてから帰ってきますが、昨年発症した膠原病の身体だけに家族は心配しており、最近は随分と体調が戻ってきているものの、起床時間は午前8時過ぎに設定して体調が整うまで外出しておらず、午前7時から参拝して午後5時まで廻れるかは未定です。


さて、満願までと記しましたが、四国各地の知人とら再会も遍路と同じように重要で、満願にこだわらず四国各地を楽しんできたいと思います。


空海とわのいのり展が開催されている名古屋へ

本日はここへ行ってきました

ささしまライブ駅から見える名古屋駅のビル群

ささしまライブ駅

ささしまライブ グローバルゲート

ショッピング街のロビー

3階コンベンションホール

会場入口











ここから会場内は撮影禁止でした


詳細は下記をご覧ください。

ご加持も受けました





善通寺の記念品売り場

回廊の広場

名鉄バスターミナル入口

名古屋モード学園のビル

笹島交差点

 ナナちゃん人形

名鉄電車で

帰宅しました。

授かった御守り

記念のリストバンド

本日の写真です。

 弘法大師が誕生して1250年を記念して企画された「空海とわのいのり」展が開催された名古屋市のささしまライブに行ってきました。

 テレビコマーシャルと、電車のつり広告を見ただけで訪れたため、白衣と輪袈裟をジャンパーの下に着込んでいたものの、閑散とした会場にそんな人は存在せず、ちょっと拍子抜けの感は否めませんでした。

 今から10年前にも、愛知県の常滑市で四国八十八ヶ所霊場会の主催した出開帳が盛大に開催されており、そんなイメージを持ったまま、四国八十八ヶ所分の賽銭を袋に入れて訪れ、会場でジャンパーを脱いだ白衣姿で参拝しようと考えていました。

2013年03月16日


 現実には、弘法大師の生まれた善通寺や、満濃池を改修した場所にある神野寺など、東寺、神泉苑、高野山、慈尊院のお砂踏みだけで、お砂踏みの行列で1時間はかかると思っていた時間はあっという間に終わりました。

 しかし、人が少ないことで、会場内の僧侶と会話ができ、会場の入り口で記念品を販売されていた善通寺売店の女性と雑談を交わしていると、善通寺の前管長である橿原禅澄さんの特別講演会が4月に開催されるという情報をいただきました。

 名古屋では今週いっぱいの開催です。

まだまだ現役の杖コレクション

本日午後6時12分 我家まで200メートル


四国遍路と御嶽山(右2本)の金剛杖

左が別格二十霊場 右が四国八十八か所の杖

右が愛用の金剛杖です

御嶽山の金剛杖

私の初登頂時の杖 昭和36年8歳の時

本日訪れた一宮市の知人が、「杖が無いと歩けなくなった」との一言だけでなく、肩を貸そうかと口にでるようなぎこちない歩きに、数年後の自分を見るような気持ちにさせられ、実際に年長者の車に乗せてもらっていた姿にびっくりさせられました。

今にして思うと、昨年罹患した膠原病の関節リウマチを予感していたかのように、我家には多くの杖を集めており、帰宅後に置かれていた杖を集めてみました。

もっとも、歩行が困難となった時を想定して集めた杖ではなく、四国八十八ヶ所霊場会と別格二十霊場会から頂いた杖は、公認先達になった際に授けられた金剛杖で、御嶽山の金剛杖も参拝のため御嶽山山頂に登頂した時のものです。

御嶽山の金剛杖に押された焼印によれば、私が初めて御嶽山山頂に登頂したのは昭和36年の8歳の時で、新しい金剛杖は昭和52年8月の焼印が押されており、家内が初めて御嶽山へ登頂した時の杖でした。

一年に一度の御嶽山登頂ですが、小学校2年生の時から中学校3年生まで8年間使っていた金剛杖は、新しい杖よりも3センチほど短くなっており、並べてみると随分と見た目も違います。3本目の御嶽山の焼印は、平成14年に押されており、家族だけでなく知人も一緒だった登山で、杖は木曽川の川原で拾ってきた流木です。

さて、アカザという草でできた杖は、名古屋の叔父が私と家内に持参した杖ですが、草とは思えない硬さで、しかも超軽量のため、同じく軽い奈良井の宿で購入した檜の杖と、我家のアキニレの杖とともに10年後に利用したいと思います。

とにかく、現在はまだまだ元気なため、四国遍路や御嶽山にどんどん活用して、コレクションと言われないように使用していきたいと思います。

雪の金剛峯寺と奥の院 高野山

雪の高野山へ


高野町へ

中門

金剛峯寺の門前

軽自動車で来ました

参道


鐘楼

本堂

奥之院へ移動します

中の橋入口

奥之院への参道



ここからはカメラ禁止です

御廟






奥之院一の橋

ああ同期の桜の碑



鶴田浩二さんのお墓


慈尊院

ゴンの碑

丹生官省符神社への石段

鳥居

本殿

降ります

大師堂
本日の写真です。

本日は朝8時に愛知県を出発して、西名阪自動車道から国道25号、天理市から京奈和自動車道へ入り、かつらぎ西インターから高野山を目指しました。

道路は途中から真っ白となり、高野山が近づくと凍結状態となりました。

高野山の大門から中門の道路はツルツルの状態となり、金剛峯寺、奥の院御廟へ参拝を済ませました。

本日は一の橋にある同期の桜の塔に手を合わせ、私の尊敬する鶴田浩二さんのお墓にお参りしてから高野山を降りました。

本日は九度山町の慈尊院へ参拝を済ませ、これから橿原神宮の近くまで移動します。

四国遍路から帰って2日目となり

名鉄電車

本日の写真です。

本日は朝から福祉有償運送のボランティアで、患者さんを市外の医療機関まで送迎するとこれだけでお昼になってしまい、昼食後に家内は名古屋市の病院まで搬送した患者さんを迎えに走り、私は理髪店経由で家内と合流して珈琲店に行くと夕方になりました。

何か仕事をしたという感覚はなく、出費するために外出しているような生活ですが、年金暮らしのボランティア生活のためこんなものでも普通なのでしょうか。


添付した「へんろ」は四国八十八か所霊場会が監修する情報誌で、毎月1日付で発行されて発送されているため、今月は四国遍路から帰宅した翌日5日に取り出しましたが、四国から日常生活に入ろうとする気持ちが四国へ戻っていってしまいました。

今年は3月に逆打ちで香川県からスタートし、4月から毎月上高地と四国遍路に行くことを目標にしていたものの、3月末に交差点で追突事故に遭って首を痛め、その後6月に膠原病に罹患して6月と7月はドクターストップがかかりました。

8月から上高地行きが解禁になり、四国遍路は9月から再開して10月と先週末にやっと訪れることができました。しかし、上高地の滞在時間を半分として松本市や安曇野市に点在する真言宗の古刹巡りや京都の三弘法などへ行ったことで、違った角度から密教のすばらしさを体験できまる機会ともなりました。

さて、明日は膠原病の主治医の診察を受けるため名古屋市の中村日赤へ通院となりますが、生活する上での体調は随分と回復しているため、診察前に受ける血液検査や尿検査の結果も前回より改善していることを願うばかりの診察となります。

6月から手首や指の痛みからブログの発信もスマホの「音声入力」としていましたが、パソコンで打ち込んでも苦痛にならないため本日はパソコンで打ち込みました。

体調の回復によって、昨年の目標だった「毎月遍路」も開始できると幸いですね(笑)

2日間の四国遍路で伊藤萬蔵さんを偲んで

第56番泰山寺前の寺標

駐車場から見える参道

参道


伊藤萬蔵寄進の道標


四国霊場の寺院では至る所で「伊藤萬蔵」さんの名前を見かけますが、本堂や大師堂前の香炉など参拝前に必ず目にする場所と違い、お寺へ急ぐ参道や道路に残された寺標や道標に残された「伊藤萬蔵」さんの石は見落としてしまい、泰山寺前の寺標は今回初めて目にしました。

今回のお遍路は2日間だけでしたが、2日目は昼まで巡拝してから愛知県へ帰る余裕の行程だったこともあり、本堂と大師堂だけでなく薬師堂や不動明王へも参拝し、樹木や草花などを眺めていると午前中に終わるはずだった巡拝は午後3時までかかってしまいました。

泰山寺前参道の石垣に生える植物

多肉植物 ツメレンゲ

鐘楼

本堂

弘法大師像(手前) 役行者 不動明王 

大師堂

納経所

客殿前の彫刻

今では完全なる老夫婦です(笑)


伊藤萬蔵さんは愛知県一宮市で生まれ、名古屋へ奉公に出て米や相場で財をなした実業家で、それらを原資として多くの寺社に石造物を寄進、現在関東以西約400余ヶ所が確認されており、四国八十八か所のお寺の香炉などに「名古屋市塩町」の住まいも刻まれています。


伊藤 萬蔵(いとう まんぞう、1833年天保4年) - 1927年昭和2年)1月28日)は、尾張国出身の実業家篤志家。  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


「石の語り部」として全国各地の寺社に香炉や道標など石の寄進を繰り返したことで知られる。寄進した石には「名古屋市塩町」と「伊藤萬蔵」の印が入っている。今回は第56番泰山寺前だけでなく第71番弥谷寺と第60番横峰寺でも寄進された香炉を見かけました。

さて、昭和2年に亡くなっておられる伊藤萬蔵さんの偉業についてはさておき、何よりも名古屋から遠く離れた四国各地へ寄進した石を見るため、萬蔵さんが現地まで来られた旅程を考えると鉄道や道路が整備された現代社会とは全く違う白黒の景色が思い浮かんできます。

第71番弥谷寺の香炉

参道

弥谷寺の摩崖仏と石仏群

第60番横峰寺の香炉

横峰寺全景

本堂


私が過去のアメーバブログ(2019年以降)に記した伊藤萬蔵さんの記事一覧

     【伊藤萬蔵】のブログ記事検索結果|Ameba検索


四国各地においても、私の生まれた愛知県の大先輩たちの名前を見つけると、歩くしか無かった四国遍路の厳しさと同時に、名古屋から四国へ行くこと自体が大変だったお遍路の先輩たちの苦労も偲ばれ、私のジェット巡拝も笑えてしまいます。


四国遍路 2日目

第61番香園寺


第62番宝寿寺

第63番吉祥寺

第64番前神寺

第58番仙遊寺


第57番栄福寺

映画ボクは坊さん

鐘楼堂

映画に使われた黄色いバイク

第54番延命寺





しまなみ海道

尾道


 本日は愛媛県西条市の第64番前神寺から逆打ちで今治市の第54番延命寺まで巡拝しました。


昨日は第73番出釈迦寺から第60番横峰寺まで十ヶ寺巡拝しており、2日間で21ケ寺参拝しました。


本日は午後2時に参拝を終え、遅れた昼食を取った後、今治からしまなみ海道を通り、広島県尾道市から山陽高速道、新名神、名神から東名阪を経由し御在所サービスエリアで夕食をとり愛知県へ戻りました。


四国遍路の旅立ち前のボランティアへ

名鉄電車


ホトケノザ



本日の写真です。

全国を寒波が襲来すると予想される天候の中を、今年最後となる四国遍路に行きたいため、体調不良という言葉は封印して移送ボランティアに励む一日となりました。

毎週1回だけ金曜日の朝と晩に膠原病の免疫抑制剤を処方されていますが、薬効が切れてくる木曜日と金曜日は体調不良になり、週末から週明けにかけて体調が回復する生活になっています。

「体調が悪い」と言うのは嘘ではありませんが、膠原病の影響で罹患前のようなスッキリとは言えないものの、「本当に悪かったら上高地なんか行かないもんね」と主治医が言うように、外出意欲は満々で、外出するために体調を整えて行きます。

医師から十分な睡眠をとり、身体を休めるように言われていますが、横になって休めてばかりいると身体が重くなり余計に身体が強張っていきます。


 さて、今回の遍路は愛媛県今治市の54番寺から香川県三豊市の71番寺までを目標として、一泊二日のお遍路となります。

我が家から愛媛県の第60番横峰寺までの距離は425キロあり、車で約6時間かかり、前日である今晩深夜の旅立ちとなりますが、多少の仮眠は必要なため香川県三豊市の第71番弥谷寺を明日一番の目標として走ります。

ちなみに、我が家から弥谷寺までの距離は341 キロあり、 約5時間かかります。

車中泊の四国遍路 三連休の記録


豊浜SA 香川県観音寺市

豊浜SAから見える瀬戸内海

 10月7日
    23時津島発……東名阪……新名神……
第一日目
 10月8日
   新名神……宝塚北SA(給油)……山陽自動車道……瀬戸中央大橋……豊浜SA(仮眠)…

高知市内

第31番竹林寺の五台山ミニ八十八ヶ所

第32番禅師峰寺駐車場 猫の親子

第33番雪蹊寺境内の出店

第35番青龍寺の石段

ペギー葉山さんの寄進

トゥクトゥク

一日目最後の第39番延光寺


一日目の入浴場所 宿毛リゾート椰子の湯  車中泊場所 足摺岬金剛福寺前の駐車場

第二日目のスタート 

足摺岬散策道入り口

一日目の車中泊 足摺岬駐車場


第38番金剛福寺

道の駅大月 高知県幡多郡大月町

観光案内所

公共スペース

地産品売り場

ヘンロ小屋大月



宇和島の海岸

宇和島きさいやロード

2日目の最後 第45番岩屋寺駐車場


 高知県第38番金剛福寺から愛媛県第45番岩屋寺まで巡拝
   途中で道の駅大月と宇和島市の宮本宅へ寄り道


2日目の入浴場所古岩屋荘  車中泊場所 久万高原 道の駅りんりん


第三日目 10月10日

第52番太山寺の石段

太山寺 本堂


俳句ポスト

松山市内

松山城駐車場

愛媛美術館

豊浜SA

瀬戸中央大橋

瀬戸内海の夕暮れ

与島PA


  第46番浄瑠璃寺……第53番円光寺……愛媛美術館……松山IC……豊浜SA…
    …与島PA(土産買物)……三木SA(夕食)……新名神……名神……東名阪

 三連休の四国遍路は、前夜11時に自宅を出発し、瀬戸中央大橋を渡り香川県観音寺の豊浜サービスエリアで仮眠しました。

一日目は31番寺から39番寺まで巡拝し、宿毛市で夕食と日帰り入浴をすませてから38番寺のある足摺岬まで移動しました。

38番寺金剛福寺前の駐車場を車中泊の場所としましたが、ここには公衆トイレはあるもののウォシュレットもなく快適とは言えませんでした。

二日目は38番寺からスタートし、道の駅大月や宇和島市の知人宅を訪れた後45番岩屋寺まで参拝しました。

参拝後に古岩屋荘で日帰り入浴を済ませ久万高原道の駅りんりんがこの日の車中泊場所です。

ここは昨年にも車中泊の場所としましたが、夜でも明るくトイレも綺麗で、ベンチやテーブルが設置されているため食材と簡易ガスコンロを持ち出して夕食としました。

三日目は第46番寺から第53番寺まで巡拝し午前中でお遍路を打ち止めとし、愛媛美術館で開催されていた金剛峯寺展を鑑賞後に松山インターから自宅を目指しました。

三連休は人と出会いのお遍路となり


 お遍路中に出会った東海市の堤さんと私

3日前のFacebook コメント欄です。


 翌日の Facebook です。


これが、2日前実際に出会ってしまったんですね。


堤さんとは数年前に知多四国八十八カ所を巡拝中に出会っていましたが、最近になり Facebook で連絡が取れるようになっていました。

まさか今回の遍路中に出会えるとは思ってもいませんでしたが、びっくりの再会となりました。

2022-03-23 

四国遍路の出会いと再会の三日間 2日目 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


今回のお遍路では、今年3月に香川県で出会った宇和島市の宮本さんのお宅を訪ねました。



身勝手に訪れることを決めていましたが、宮本さんからのコメントに答える形で立ち寄ることを書き記しました 。


こんな無礼で横着な訪問客を迎え入れてくださった宮本さんご夫婦には感謝しかありません。

2日前の Facebook です。


今年3月の Facebook のコメント欄のやりとりです。

はじめまして!

ひょっとしたら、21日朝横峰上がりませんでしたか?

私達は下りで 緑ナンバーの良く似た車と離合したのを覚えてます。


3月にこんなやり取りをした佐藤さんからお遍路中にコメントがあり、同じような場所を巡拝中とは分かったもののまさか本当に会えるとは思ってもいませんでした。


3月22日のFacebook です。


3月の Facebook のやり取りをすっかり忘れていましたが、偶然にも巡拝中の佐藤さんから連絡がありお会いすることができました。


 Facebook の中には悪意を持った接触もありますが、こんなびっくりする出会いも実現します。

私自身は平成16年から毎日発信するブログも実名で記しており、多くの友人や知人との交流もできましたが、突然の出会いも可能となる Facebook の魅力には驚かされています。

ちょっと寄り道の四国遍路


第九番法輪寺納経所前の猫


第十六番観音寺の仏足石


 仏足石とはインドのお釈迦様の足跡を石に刻んだもので、インドに現存する仏跡石野復刻で、礼拝した手で自分の悪い部分をさすると改善すると言われています。

第十三番大日寺の香炉


石の語り部と言われる伊藤萬蔵さんが寄進した香炉です。現在の愛知県一宮市で生まれ、名古屋で財を成した実業家で、全国各地の神社やお寺に石灯籠や香炉を寄進した人物です。

沖縄と北海道を除く全国各地の社寺で伊藤万蔵さんの寄進した鳥居や香炉を目にしますが、寄進先は1000基を超えるとも言われています。

第十二番大日寺

第十二番焼山寺

ニホンヒキガエル 

杖杉庵の弘法大師と衛門三郎


杖杉庵(じょうしんあん)は徳島県名西郡神山町に所在する高野山真言宗の寺院。本尊は地蔵菩薩弘法大師伝説の残る四国八十八箇所霊場番外札所である。

最初に四国八十八カ所を廻ったと言われる伝説の人物衛門三郎の終焉の地と言われています。

弘法大師に詫びるため21回も四国を廻ったと伝わりますが、当時は遍路道も整備されていない山や海岸線を歩いて21回も歩いたのは驚きです。

自分自身と比較するとまだまだ修行が足らないことを実感させられます。

第十一番藤井寺の八十八ヶ所

参道


 四国の八十八ヶ所の寺院にはそれぞれの奥の院が存在し、お寺の裏山に設置されたミニ八十八ヶ所も参拝して行くと大変な時間がかりますが機会があれば立ち寄ってみたいものです。


 第九番 法輪寺

 第八番 熊谷寺

 また来てね~
先週土曜日の写真です。

明日からの三連休も台風が近づく予報になっており、台風に逆らってまで四国遍路はできませんが、こんな環境下でも情報もないままに歩くお遍路さんが存在します。

さて、徳島県の阿波踊りに参加していた819人がコロナに感染したとの報道がありましたが、マスクをつけない歩き遍路の存在に警戒する地元住民も存在することから、お遍路と地元との良好な関係が続くこと祈るばかりです。

台風へ向かって四国遍路へ

 本日の夕暮れ

コメダ前 

自宅前 

13日のキノコ

14日のキノコ

本日のキノコ

本日の写真です。


 大型台風が日本に近づいており、3連休の外出は見直すようにテレビから繰り返し放送されていますが、とりあえず安全な一日だけでも四国遍路へ出かけます。


7月に膠原病と診断され、病気療養が優先されますが、医師からこれまでの日常生活を続けるように言われており、身体が重いため休んでいるとますます身体が重くなるため、あえて外出するように心掛けています。


身体の不調を考えると、台風に向かって外出するよりも自宅で休養していた方が楽ではありますが、病気や休養ばかり考えていると外出する意欲が失せてしまうため、病に打ち勝つためにも鞭打って今晩深夜に四国へ向かって外出します。


さて、添付した写真でお分かりのように我が家のキノコが大きく成長しました。

このキノコはヤナギマツタケと言い、食べると美味しいと記されていますが、今回はこのまま食べずに残し、キノコ菌が周辺へ拡大することに期待しています。


歩き遍路友の会東海の総会が開催され

ささしまライブ

笹島セントラル病院前

総会資料

 本日は歩き遍路友の会東海の総会が名古屋市内で開催され、熱気溢れる意見が交換され、コロナ禍でメンバーと久しく顔を合わせていないこともあり、午後5時の総会閉会後もメンバーの一人と午後9時近くまで雑談に花を咲かせてきました。

メンバーの高齢化により会員数は減少し、コロナ禍で四国遍路そのものへ行く機会も減っている中で、メンバーの一人は八十歳を超えてもご夫婦で四国を歩いておられる姿には感化されます。

広い四国の道中で突然メンバーと顔を合わせた時の感動と、一緒に歩いた時の仲間意識が懐かしく思い起こされました。

Coke ON のスタンプ


本日の写真です。

さて、帰宅が夜9時半を回りましたが、今週からノルマとしている一日5千歩のウォーキングを達成するため家内に同行してもらい、暗い夜道を歩き Coke ON のスタンプも獲得しました。

病気療養中とは思えない元気回復です。

一年前の四国遍路を読み直して

2021年7月22日~25日 

車中泊による四国遍路 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


1年前には四日間に渡り四国遍路を巡拝していました。


これからは自分の体調と相談しながら肉体的ストレスを感じないゆっくりした巡拝に心がけていかないとならなくなりました。


四国遍路で出会った人たちを回顧して


7月5日 18:20  

【情報求ム】77番手前の親父さん

道隆寺手前で小さなお地蔵様の焼物をお接待しておられた親父さんですが、今年通ったお遍路さん複数名から「今回は親父さんが出て来なかった」との情報が入っています。

何かあったのでしょうか?それとも単にお遍路さんが減ってお接待を止めてしまったのでしょうか?何かご存知のことはございませんか?


四国八十八カ所を巡拝するFacebook の発信の中に、かつての歩き遍路で出会った懐かしい人の安否を心配する記事を見つけました。




2011年11月02日

大鹿一八「本日の一言」 : 讃岐・七ケ寺まいり (livedoor.blog)

かつて77番道隆寺を目指して歩いていた私の背後から「お遍路さん」と大きな声が聞こえ、私を追いかけてくる親子の姿がありました。


「息子の焼いたお地蔵様をもらってください」と走って私に追いつかれ、後ろから息子さんが追いつかれたときには涙を堪えるのに必死でした。


それが松井さんとの初めての出会いでした。


2013年11月23日

 その後歩き遍路友の会東海のメンバーと歩いている時にも出会い、仲間と一緒に記念写真に納まりました。


その後10年ほど歳月が経過しており、Facebook の発信を読んでいつでも会えると思っていた自分自身が、最近の体調不良で何時でも四国に行けるわけではなくなったいる現実からも、時間の経過を実感させられました。


四国遍路で出会った人たちがそれぞれお元気でおられることを祈るばかりです。


さて、本日は中村日赤の医師から電話があり、検査結果とともに病名が確定したことから明日から新しく処方されていた薬を飲むことになりました。


私にとっては天国からの電話ともなりました。

四国から届いた心温まる手紙が届いて

四国から届いた手紙日めくり

樫原禅澄さんからの手紙でした

同封された手紙


ここまで本日の写真です。

善通寺の日めくりカレンダー

禅澄さんを代表する色紙

甘露法雨

色紙の解説

壽楽

色紙の解説

遍照 事務所に飾ってある額です

平成17年の記念写真

平成24年の写真

 四国遍路を始めた平成13年頃には善通寺の宗務総長であった樫原禅澄さんですが、当時から親切にしてもらい、後に管長になられてからも変わらず親切にしていただきました。

 引退され自坊に戻られてからも変わらぬお姿に元気を頂いてきました。 そんな方からのお手紙は本当に温かく、引退後も善通寺や四国遍路の行く末を心配されている内容から、心強く感じさせられ早く手を治して四国へ行きたいと実感させられました。

 懐かしい禅澄さんとの過去の写真や色紙を眺める一日となりました。

四国から届いた手紙から遍路の話題へ

本日届いた四国フォト廣瀬さんからの手紙

同封されていた写真


 昨日のブログで3連休四国遍路の最終記事にしようと思っていましたが、本日の郵便ポストに善通寺の四国フォト廣瀬さんの手紙が届いており、帰宅後のブログに届いていた知人のコメントを確認し、お遍路仲間に近況報告する一日となりました。


ブログに届いた知人からのコメント

ご無沙汰しています。  今日は夫婦で66-68番まで歩いて参拝していました。ニアミスでした。また、いつかお会いできることを願っています。 

 高野山金剛峰寺で二度の法話を聞いた「帰ってきた坊さん」のコメントです。二度のサラリーマン生活から僧侶になられた方で、事前に連絡が取れていたらお会いできたと思うと残念なニアミスでした。


いまは、歩きが不自由になりみちのく巡礼の方洞に専念して居、明日東日本大震災への祈りと伝承の場創りに専心しています。  

 かつては、お孫さんと2人の遍路が新聞記事にもなったお遍路さんの先輩です。現在は東北の「みちのく巡礼」を宮城・岩手・福島3県で展開中です。


ブログ記事一覧|未来への祈り『みちのく巡礼』~東日本大震災東日本大震災犠牲者鎮魂と伝承の道 (ameblo.jp)


 今回の遍路で新たな出会いを実現したのはフェースブックの恩恵ですが、これまでフェースブックはブログの延長程度にしか思っておらず、チャットを利用して連絡ができることも知りませんでしたが、1日目に出会ったМさんに知恵を授かり今後は有効に活かしたいと思います。


3月21日のフェースブック

はじめまして!

ひょっとしたら、21日朝横峰上がりませんでしたか?

私達は下りで 緑ナンバーの良く似た車と離合したのを覚えてます。


〇〇さん、間違いなく私の車です。

こんな出会いがあるので、悪いことはできませんね(笑)  これからも宜しくお願いします。


 こんな連絡がメールのようにできるため、有効に利用すれば旅の情報源や情報交換が可能となりますね。


 ただし、ネット上に公開された情報だけでは相手の性格や素性も判らないため、安易な個人的な情報交換は禁物ですが、たくさんのお遍路さんと遭遇するものの、一緒に巡拝するうちに会釈から挨拶となり、雑談に花を咲かせる人も出てきます。


 3日目の午前中に遭遇した金沢市のKさんについては、一緒の駐車場の車中泊で隣同士だったものの、お遍路さんとは思っておらず、その後にお寺の駐車場ですれ違い遍路中と判り、最初は無言の会釈だけでしたが、次のお寺で「おはようございます」と挨拶し、その後3時間ほど会うこともなく昼過ぎになって再度顔をあわせました。


 このお寺を八十八か所の最後にして愛知県へ帰るため、この人とも二度と会うことはないのかなと思っていると、お互いがどちらともなく挨拶から雑談に発展し、健康面やお遍路、今後の旅立ちなど話に花が咲き、ご夫婦をスマホで撮影して納札を交換していました。


 帰宅後に写真を送るため納札の名前から検索すると、多角的に事業を展開しておられ、貧乏旅のような私の相手をしていただいたことに恐縮した次第で、こんな旅先での出会いはうれしいかぎりとなります。


 私は平成13年に四国遍路をスタートさせましたが、当時は60歳定年制度と60歳から年金が支給されていたため、退職金や年金で経済的に恵まれるだけでなく元気なお遍路さんが多かったものの、最近では定年の延長と年金支給の引き上げで出会うお遍路さんの姿は一変しています。


 そんな中で、新しい出会いは難しく、旧知のお遍路さんや現地の知人と再会する機会も減っていくため、今回の3連休は久々に新しい出会いと再会に感謝するお遍路となりました。


                                3月25日の一言

出会いと再会の三連休 四国遍路の3日目

21日に出会ったキャンピングカー 65番三角寺

前日車中泊の道の駅小松オアシスから一緒でした。

61番香園寺

62番宝寿寺

63番吉祥寺

横峰寺駐車場の小鳥

60番横峰寺

64番

優雅なお遍路です

金沢市のKさんご夫婦

ここでお別れです

別格13番仙龍寺がこの日最後の参拝です

四国とも暫しお別れです

3月21日の一言

 三連休の四国遍路について、当初は愛媛県の60番から88番まで巡拝する予定でしたが、偶然目にしたフェースブックで宇和島市のMさんが65番から結願を目指しておられることが判り、「途中でお会いするかも知れませんねェ」の返信に、88番大窪寺から逆打ちなら会えるかも知れないと香川県からお遍路をスタートさせました。

 そして、途中コメント欄で交信しながら1日目の夕方に78番郷照寺で出会い、近くの道の駅うたづ臨海公園で共に車中泊とし、翌朝に記念写真を撮ってからお別れしましたが、2日目も白衣を着た愛犬とともに巡拝するご夫婦と遭遇するなど、新たな出会いと親しい知人と再会するお遍路になりました。

 そして、最終日の3日目には…

 61番に近い道の駅小松オアシス駐車場の車中泊から目覚め、隣を見ると豪華なキャンピングカーで大きなテレビ画面を見ながらコーヒーを飲む優雅なご夫婦があり、我々はお遍路だからと早々に車を走らせて61番香園寺の参拝を済ませるとその豪華なキャンピングカーが入ってきました。

 そして、62番でも顔をあわせ軽く会釈をし、次の63番では「おはようございます」と挨拶して、私たちは60番の横峰寺の参拝を残していたため、その後に逢うことは無いと思い、60番から64番前神寺を参拝して次の65番の三角寺の参拝を終えて石段を下っていくとその豪華なキャンピングカーが入っており、ご夫婦が石段を登ってこられました。

 私たちはこの後で別格13番仙龍寺へ参拝してから愛知県へ戻るため、このご夫婦とこれから会うことはないなと思って挨拶すると、昨晩から同じように行動していたためかアウンの呼吸で、お遍路や過去の身の上話など「納め札」を交換して長話に花を咲かせることになりました。

 今回のお遍路は家内と妹の家族3人のお遍路で、人を案内して結願を目指すお遍路と違って時間の余裕があり、めぐり合った人々との会話や、旧知の人たちと旧交を温める出会いと再会のお遍路となりました。

 今にして思うと、先達になる以前の十数年前には一人で弘法大師が修行した旧跡にたたずんでいたことがあり、当時は多くのお遍路や四国の人たちとの出会いがあったことが懐かしく思われ、その当時知り合った人たちとの交流が現在も続いていることを考えると、次の札所だけを目標にしたお遍路の反省も必要ですね。

 さて、次の遍路は4月のゴールデンウィークまでお預けとなり、4月は上高地のボランティアと27日の開山祭に参加後に一人で四国を目指したいと考えています。

                                3月24日の一言

三連休の記録 四国第2日

道の駅 うたづ臨海公園

前日出会ったМさんご夫婦と朝の記念撮影


 平成16年から一言を記してきましたが、ブログを通じて連絡を取り合って沖縄で対面したメンバーも存在しますが、フェースブックは個人名を公開して発信しており、今回の四国遍路ではМさんのコメント欄で交信しながら出会うことができました。

 フェースブックの使い方も利用方法も知りませんでしたが、Мさんとメッセンジャーを利用して情報交換できるようになり、お互いの名刺交換もしたため、私が四国八十八か所を巡拝する間は立ち寄れる居場所が宇和島市に増えました。

 さて、四国2日目(20日)は、7時前にМさんと別れて朝マック後に第76番から逆打ちで愛媛県を目指しました。

本日最初のお寺 第76番金倉寺

善通寺 五重塔

四国フォト 善通寺の広瀬さんと再会


 善通寺の専属写真館主広瀬さんとは、平成13年に20人の仲間とマイクロバスで訪れて以来のお付き合いとなりましたが、昨年末のお遍路でお会いできず、娘さんから奥様が闘病中と聞いていたので立ち寄りました。

 この日も不在で娘さんからお母さんが亡くなられた話を聞きましたが、娘さんが連絡されたと思われ、駐車場の車に戻ってくる私を待っておられ、家族と一緒に写真を撮ってくださる話となり、奥様の昔話や現在の食生活など雑談に花を咲かせることになりました。

 お客さんを乗せた運転手役の場合は雑談もしておれませんが、家内と妹の気まま遍路のため旧交を温める時間がとれました。元気で再会したい私の立ち寄り場所にもなっていますが、お遍路の道中に立ち寄れる居場所は貴重な存在です。

第74番甲山寺

出釈迦寺から見る捨身ヶ嶽禅定


 2年前のお遍路では、奥の院の捨身ヶ嶽禅定までピストン輸送されていたお寺の車に相棒リマも乗せてもらった思い出ある場所で、この上に相棒が居るような錯覚すら覚えてしまうのが出釈迦寺でもあります。

ワンちゃんのお遍路さん

白衣と輪袈裟姿です


 第70番本山寺の境内で、白衣と輪袈裟をはめた2匹の愛犬お遍路と遭遇し、2年前に旅立った相棒リマにも白衣用の布が購入してあったものの、完成せぬままになっていたことを家内が話し、我々の相棒との思い出話をうなづいて聞いていただいたご夫婦に感謝の一言となりました。元気で長生きしてもらいたいものです。

第70番本山寺 五重塔

名古屋の伊藤萬蔵さん寄進の花台

お雛様を公開中でした


工事中の67番大興寺本堂

66番雲辺寺からの遠景

別格14番椿堂


 四国2日目の最終のお寺は別格20霊場の椿堂です。ここも避けて通れないお寺です。

2013年11月07日の一言

 今から12年前にご接待でいただいた椿の木が見事な花を咲かせたものの翌年に枯らしてしまい、その後に再度いただいた椿の木の1本は自宅に植えたものの、また枯らしてしまう可能性からもう1本の椿は町内の真言宗の弘盛寺へ持参したところ、境内を整備して椿堂のツバキとして立派に保存されてきました。

 ご住職は信者の方々への読経中でしたが、椿をいただいた奥様に御礼と椿の現況を伝えてお寺を後にしました。

3月20日の一言

 さて、この日は四国中央市の天然温泉三島乃湯に立ち寄り、西条市の道の駅「小松オアシス」を車中泊の場所と決め、車中でカセットガスコンロを使用して夕食を摂り、今回の車中泊では初めてとなる持参した赤ワインで乾杯としました。

 ここの車中泊でも翌日に新しい出会いが実現しました。

                                 3月23日の一言

三連休の記録 四国第1日目

道の駅みろく 香川県さぬき市

 18日夜10時半に愛知県の自宅を出発し、翌日午前3時過ぎに道の駅に到着し、目的地の大窪寺まで30分ほどかかるため、6時に目覚ましをセットし、それぞれの座席で足元から寝袋をかぶって仮眠のみの車中泊となりました。
 運転席での仮眠は初めてでしたが、暖かくて朝まで熟睡できました。

四国八十八ヶ所 第88番大窪寺

    巡拝を終えたお遍路さんが置いていった金剛杖です

     常楽寺 第86番志度寺の前です

 第75番善通寺前管長の樫原禅澄さんのお寺自性院常楽寺を立ち寄りましたが、この日は治療のため外出しておられて不在なため、ご家族に挨拶後に近況をお聞きして持参したお土産を渡して退散しました。



 傘みくじの木

 今回の四国遍路は第60番横峰寺から結願寺となる第88番大窪寺を巡拝する予定で、先週18日の夜から愛媛県西条市まで移動する予定でしたが、フェースブックの道の駅de車中泊のメンバーが第65番から巡拝する書き込みを発見し、同じような場所を巡拝するものの、追いつけないため88番大窪寺から逆打ちして何処かで出会えることを目指しました。

 「私も明日から3日間で満願を目指します。60番からスタートし、香川県の2か所で車中泊の予定です」とコメント欄に発信すると、「僕らは2日間で残りの24カ寺をお参りするつもりなので途中でお会いするかも知れませんねェ」と返信があり、出会うためには逆打ちしかないため香川県道の駅みろくで3時間仮眠後に大窪寺から巡拝を始めました。


 途中でそれぞれの現在地をフェースブックのコメント欄から報告しながら巡拝すると、午後4時頃に「今78番に向かっています!」の書き込みがあり、「78番で待っています」と返信して、家族を参拝に送り出して駐車場で待っていると、背後から「もしかして、大鹿さんですか」と声がかかりました。


宇和島市のMさんと出会いました


 フェースブック「道の駅de車中泊」のメンバーであるMさんの記事を見るだけでなく、どうせなら出会いたいと思い、絶対会うためにはMさんと必ず遭遇するはずの逆打ちを選択したものの、車で移動中にすれ違えば遭うことはなく、「今78番に向かっています!」の発信を見た時は午後4時過ぎになっていました。
3月19日の一言
車中泊の四国遍路で奇跡的な出会いへ | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)  
           1日目の遍路は添付した上の記事をご覧ください。     

 78番郷照寺でしばし談笑後に記念写真を撮り、我家は次の77番道隆寺に参拝し、四国健康村で入浴を済ませて、この日の車中泊の地「道の駅うたづ海浜公園」へ到着すると、駐車場が半分以上閉鎖されており、車を停めるスペースを探す余裕もなく満杯の車中泊となりました。

                                 3月22日の一言

邊地から邊路・遍路への移り変わり

本日の夕暮れ

鎮守の杜

本日の写真です。

 昨日の一言に、四国遍路について、「四国辺路道」から、「辺地修行」、「辺路」から「徧礼(へんろ)」、「遍路」に変わったことを紹介する新聞記事を転載しましたが、徧礼(へんろ)」が弘法大師聖跡の巡礼を表す言葉であることから、弘法大師の聖跡である四国霊場以外は遍路とは言わないことが判ります。

 四国八十八ヶ所霊場会の先達教典では下記のように案内しています。
 邊地・邊路・遍路として、日本古来の「常世の国」をめざす信仰は、やがて仏教と習合し海の邊(ほとり)を廻る道を踏む仏教修行者の行場として歴史に登場する。「今昔物語集」には「邊地」、「梁塵秘抄」には「邊道(へち)」、俊便房重源は「逿(へち)」という文字を用いている。

 それから後は「邊路(へじ)」という文字が江戸時代の宥辯真念まで用いらられる。真念はさらに「遍路」「邊路」「徧礼(禮)などを用い、「へんろ」と読ませるが、文字は一定していない。
 「遍路」が一般的に用いられるようになるのは江戸時代後期のことである。真念が「へんろ」とそれぞれの文字を読ませたとされているのは真念の道しるべ石に「遍ん路みち」と書かれていることによると思われる。

 そして、遍路道とは、大師巡礼するための遍路道。その中でも特に歩いて巡礼するための道を指す場合が多いが、本来は国道なども含めて遍路が歩くすべての道をいうと案内されています。とにかく四国遍路は四国四県の弘法大師ゆかりの寺院を巡拝する行為です。

 さて、四国には八十八ヶ所のお寺以外にも大師ゆかりのお寺は多く、別格二十霊場だけでなく奥之院や神社も存在します。

 ここに添付したのは、第73番出釈迦寺の奥之院となる「捨身ヶ嶽禅定」の朱印です。

3回分の重ね印


 捨身ヶ嶽禅定は、弘法大師が「真魚」と呼ばれた7歳の頃に標高481メートルの我拝師山に登り、「我れ、仏門に入りて一切の衆生を救わんと欲す。我が願い成就するものなら、釈迦如来よ、現れ給え。もし願い叶わぬなら、一命を捨ててこの身を諸仏に供養し奉る」と唱えて谷底に身を投じたと伝わります。

 この時に蓮華に座した釈迦如来が天女とともに舞い降りて、飛び降りた真魚を抱きとめたと言われる伝説の場所で、青年となった弘法大師が我拝師山の山頂で「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」像を刻んで安置し、ここで虚空蔵求聞持法を修法されたのが捨身ヶ嶽禅定です。

 出釈迦寺は弘法大師が開基したお寺で、捨身ヶ嶽禅定は出釈迦寺から約1時間ほど登った山頂にありますが、行場は奥之院からは鎖をたよりに岩場を100メートルほどよじ登った山頂近くにあり、出釈迦寺から奥之院までは車も利用できます。

2019年 10月13日

 2年前に訪れた時は相棒リマも同行させており、奥之院までは一緒に車へ乗せてもらいましたが、今となっては相棒との懐かしい思い出の場所になってしまいました。



 添付したのは四国八十八ヶ所霊場の奥之院の朱印の一覧です。今年は奥之院も巡拝していく予定を立てています。
                                  2月24日の一言

四国遍路 第三日目


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相棒リマと同行三人旅

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第26番金剛頂寺

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ご接待です

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第31番竹林寺の石段

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新しい納経所 4月末から新しくなりました

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本日の最後 第34番種間寺

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種間寺の周辺を参歩中

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付いて来てるな

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こんなのがあったのか…

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ヤギの「ウメー」に相棒はびっくりです

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四国遍路三日間があっという間に過ぎました。

最後となった第34番種間寺周辺には。陶芸の店や飼われているヤギなどお遍路とは違う魅力も感じさせられました。

ご接待と四国の自然を感ずる巡拝となりました。

今回はここまでです。

                                      5月5日の一言

四国遍路 第2日目


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別格ニ十番慈眼寺 穴禅定

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穴禅定 入り口

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途中の景色

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まもなく奥の院 本堂へ

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さらに登ります

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鉄の扉を開けて入ります

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まもなく穴の入り口です

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本日は四国別格二十霊場第三番慈眼寺の穴禅定に入りました。

四国のお遍路で穴禅定を知らない者は素人と言われてもしょうがありませんね。
一年ぶりの穴禅定義は大変でした。一人でも行けると言われていた穴禅定でしたが一年のブランクは大きく、緊張感が走りました。

一人でも行けるように修業のやり直しです。

四国八十八ケ所は十八番から23番まで巡拝しました。

明日まで巡拝して深夜に帰宅です。

                                     5月4日の一言

四国遍路 第一日目


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四国遍路第一番霊山寺 午前7時

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いらっしゃしませ

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長命杉 第2番寺

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第8番 熊谷寺

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第10番切幡寺のご接待所

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ご接待の昼食 うどん・サツマイモ・おにぎり

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第12番 焼山寺

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焼山寺


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第17番井戸寺

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四国八十八ケ所を巡拝中

本日は1番から第17番まで巡拝しました。

                                   5月3日の一言

志賀弘法会 四国遍路満願の一日


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昨年から巡拝し本日結願しました。 第八十八番大窪寺大師堂前

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津田の松原SA 午前6時02分

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善通寺管長さんのお寺へ
                           平賀源内さんのお墓にお参りしました。

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後ろに見えるのは第86番志度寺五重塔

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大窪寺駐車場

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第88番大窪寺本堂

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 満願です。志賀弘法会の六十周年にも驚きですが、車イスでも参拝する厚い信仰心があれば、四国八十八ヶ所を参拝できることにも驚かされました。

 第84番屋島寺から88番大窪寺まで巡拝し結願。満願の御礼に八十八ヶ所奥之院与田寺(東かがわ市)に参拝しました。そして鳴門の渦潮見物から徳島市に入りました。

                                           10月31日の一言


今晩から四国へ渡り、高野山、熊野三山へも


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今回も車イス同行四国遍路です

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この車イスは増田さんの遺品です

 明日からの3日間で、四国八十八ヶ所霊場の満願を果たし、鳴門の渦潮見物と阿波踊りを体験し、翌朝に徳島からフェリーで和歌山県に渡り、高野山に参拝して白浜海岸に宿泊し、最終日に熊野三山と青渡岸寺に参拝して愛知県に戻る行程です。

 平成13年に四国遍路を始めて、十数回(満願)の遍路に出かけていますが、フェリーを使用したことはなく、高い乗船料と時間を考えると車の移動の方が効率的ですが、同行する7人の80歳近い平均年齢を考えると最後の四国遍路になる可能性のある人も存在し、渦潮と阿波踊りとともに思い出としての船旅でもあります。

 さて、先週の台風21号と今週の台風22号によって、和歌山県や奈良県の各地から土砂崩れや水害の被害が発信されていることから、高野山に参拝後の3日目の行程を奈良方面にしていましたが、急遽龍神スカイラインから白浜に入り、熊野三山を訪れることにしました。

 現地の観光協会や自治体に確認したところ、道路の寸断はないとのことですが、和歌山県の紀の川市の川が氾濫しており、新宮市でも台風被害が発信されていたことから注意は必要ですが、天候が良さそうなことは幸いとなりました。

 初心にかえった四国遍路にしたいと思います。

                                   10月30日の一言

四国巡拝の三日間から帰って

名古屋志賀弘法友の会四国巡拝の旅 3回目
                          志賀弘法会7名 私と家内の9名

4月11日(火) 21時50分自宅出発 津島…名古屋駅…名古屋市役所…北区柳原…名古屋高速…
  …伊勢湾岸道…第二名神…名神高速…中国道…山陽道…瀬戸中央大橋…高松道…松山道…

一日目
 ・午前7時 第64番前神寺…第63番吉祥寺…第62番宝寿寺…第61番香園寺…第60番横峰寺
   …西条弘法水…昼食…別格12番延命寺…第65番三角寺…第66番雲辺寺…
                      宿 白地温泉小西旅館

二日目
 ・宿を午前6時30分出発…大歩危、小歩危峡…祖谷かずら橋…  午前10時・第67番大興寺…
    …第68番神恵院…第69番観音寺…第70番本山寺…昼食・天然温泉高瀬の湯…
    …第71番弥谷寺…第72番曼荼羅寺…第73番出釈迦寺…第74番甲山寺…
         …第76番金倉寺…第77番道隆寺…第75番善通寺
                       宿 善通寺宿坊いろは会館

三日目
 ・第75番善通寺…第78番郷照寺…第79番天皇寺…休憩・清水屋ところてん…第80番国分寺…
    …高松・栗林公園…第83番一宮寺…第82番根香寺…第81番白峰寺…坂出北IC…
    …瀬戸中央大橋…山陽道…三木SA・夕食…中国道…名神高速…第二名神…東名阪…
          名古屋市午後11時20分…名古屋各地…津島市自宅・午前1時30分
 
 初めて四国遍路に出向いたのは平成13年で、マイクロバスを運転して17人の仲間と、般若心経どころか参拝の作法も判らず、観光バスの団体客と朱印の競争で廻り、スタンプラリーのように先を急ぐお遍路でした。

 何も知らないというのは無礼で、納め札箱の中の金や錦の納め札を勝手に持ち帰り、歩くのが苦手な同行者は階段の下から賽銭を投げ入れ、駐車場代を請求されても「歩いてきた」と払わず、記念写真の代金を値引き交渉するなど、私だけではないと言えども随分と恥ずかしいお遍路でありました。

 そんな私が毎年四国を訪れ、八十八ヶ所霊場会の公認先達になっているのは、四国遍路で出会った人たちとのご縁であり、人との会話によって知恵を授かり、知人となった人に恥ずかしくないお遍路を心がけてきたなかで先達の補任を受けました。

 そして、何よりも感謝したいのは、50代を超えたいい大人に、躊躇せずお叱りや苦言を言っていただいた人々で、地元では「先生」とも呼ばれる議員であっても、間違いを指摘して淡々と教授していただいたことである。

 四国遍路をお年寄りの極楽浄土を求めるお参りのように言われることも多いものの、朝起きて朝食をとり、出会った人と挨拶し、お遍路の決められた作法どおりにお寺で参拝し、厳しい陽射しを受けて、常に弘法大師と一緒に歩いていると意識することで、「十善戒」の教えを行動で実践していく非日常的な行為は、還暦で定年を迎えて枯れていく心境から、新1年生のような新鮮な気持にさせられていきます。

 さて、今回のお遍路では、最近ワイドショーや週刊誌で霊場会脱退で騒がれている第62番宝寿寺も参拝し、世俗化したお寺の現状を垣間見ることとなり、午前8時になるまで納経所が開かれず、他のお寺からは無償で授かっている御身影の代金を求められましたが、何よりも残念なことは、午前8時になっても本堂や大師堂の鍵がかけられたままになっており、それまで僧侶が朝のお勤めのためお堂に入った形跡も無かったことです。
 残念です。真剣に巡拝するお遍路には悲しい現実です。そして、他のお寺が当たり前として実践している決め事は努力して実践して欲しいと思います。

 私のお遍路は叱られることで新たな発見がありましたが、叱られても聞く耳を持っていないと何にもなりません。納経所で注意され腹立たしい思いをした事もありましたが、人として当たり前のことが出来ていないことや、知らないことがまだまだあり、私は四国遍路によって多くの知遇を得てきました。
 しばらく四国遍路の余韻に浸ります。

                本日の体重  徒歩数 2361歩 間食あり                     
                                       4月15日の一言

四国遍路第3日目 巡礼

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四国八十八ヶ所第82番根香寺の石段

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はるか奥の石段から帰ってきました

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今回の最後 第81番白峰寺

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団体による遍路

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今回は60番から83番まで廻りました
                               今年の秋に満願を目指します

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瀬戸中央大橋から岡山県へ

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瀬戸内海に陽が沈んでいきます


四国遍路第3日目 高松栗林公園に

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高松栗林公園に立ち寄りました


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ボランティアガイドの和田さんに案内していただきました。

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見事な庭園です

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和船による案内

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時間を忘れてしまいます

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これから気分一新してお遍路です


四国遍路第3日目 朝の勤行

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善通寺朝の勤行(午前6時)前に 志賀弘法会だけのお勤め午前5時30分から

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樫原管長の後に続くメンバー

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記念撮影の準備中

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善通寺本堂

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樹齢1300年以上となる楠木
                               空海の生まれた時に生えていたとの話です

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善通寺御影堂

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宿坊いろは会館 そろそろ出発です


四国遍路第2日目

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本日は快晴の桜遍路となりました 海岸寺大師堂

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本日最後の第77番道隆寺境内のはと

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中にはこんな仲良しも

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私が近づいても逃げません

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第77番道隆寺本堂に写る私と背景

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本日は終りです

 本日は第67番大興寺から第77番道寺まで参拝し、午後5時に宿となっている善通寺宿坊いろは会館に到着しました。

 志賀弘法会では、最終日の午後まで買い物や買い食いが禁止されていますが、本日は朝から大歩危峡やかずら橋を見物し、昨年から3回目となる四国遍路では昼食はコンビニとなっていましたが、昨日に続いて本日は天然温泉高瀬の湯で昼食をとりました。

 昨年の2回のお遍路で、予定以上に巡拝していたため、余裕の巡拝となっているものの、納経所の締め切り時間となっている午後5時が近づくと、執念のお遍路に戻り、午後5時過ぎまで巡拝となりました。

 明日の朝は午前6時から朝の勤行が始まり、橿原禅(かしはらぜんちょう管長の法話を聞き、管長さんと弘法会メンバーの記念写真も予定しており、メンバーにとっても思い出となる善通寺となりそうです。


 もっとも、志賀弘法会の朝のお勤めは午前5時30分からとなっており、お寺の勤行の前から御影堂にメンバーの読経が響きます。私も連日の5時起きとなります。

               本日の体重 72、6キロ

四国遍路2日目  お遍路の前に

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「かずら橋」を渡る志賀弘法友の会のメンバー

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作家林芙美子さんわかりの小西旅館 徳島県白地温泉
                                  午前6時から朝食 そして旅立ちへ 

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大歩危峡 徳島県三好市
                              午前8時のため、こいのぼりも眠っていました

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祖谷のかずら橋 徳島県三好市

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まさに秘境です

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粗谷のかずら橋は日本三奇橋のひとつで、国指定有形民族文化財
追っ手から逃げるため、いつでも切り落とせるように
                      かずらという植物で架けたと伝わる平家伝説の橋です

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琵琶の滝 かずら橋から100メートルの地に

 志賀弘法会60年記念記念の四国遍路ですが、午前中は観光や買い食いも禁止の厳しい決まりを破り、本日は6時30分に宿を出て、徳島県三好市の大歩危峡を目指し、祖谷のかずら橋を渡り、琵琶の滝を見てきました。

お遍路は、第67番大興寺に到着してスタートしました。


志賀弘法友の会 半年ぶりの四国遍路へ

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桜が満開の中での遍路は自然と笑いが起こります 第61番香園寺

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参拝は真剣です

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本日最後のお寺 第66番雲辺寺

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本日の宿は白地温泉小西旅館

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小西旅館は林芙美子さんゆかりの宿です

                           本日の体重 72、3キロ
明日は午前6時から朝食です

親子四世代での四国結願と高野山参り

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高野山金剛峯寺で法話を聞いた尼僧さんと記念撮影 親爺・娘・孫

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ビジネスホテル紀州路 和歌山市
                                  1泊2食付で4千500円(1名)

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最初に金剛峯寺へ

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駐車場には除雪した雪が…

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歩道脇にも雪 身震いする参道です

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奥之院 中の橋

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奥之院 水向地蔵

 昨日に親子四世代(私の母親、私の妹、私たち夫婦、私の娘と孫)で、四国八十八ヶ所霊場を結願し、本日は高野山の御礼参りに、金剛峯寺、大師教会、根本大塔、女人堂、徳川家霊台、奥之院を参拝してきました。

 私自身は続けて巡拝した四国遍路の10回目の満願となりますが、私の妹と、娘と孫にとっては初めての結願で、お遍路のたびに親子喧嘩を繰り返して、「もう二度と一緒には行きたくない」と思いながらの満願でもありました。

 半月後には、名古屋市の志賀弘法会のメンバー9人の四国遍路を、松山県から香川県に向けて3日間の予定で巡拝しますが、朝7時から午後5時まで買い物や飲食の時間も惜しんで廻るのとは違い、家族との巡拝は、「まだ小さいから」とか、「トイレは我慢できない」など、孫(小1)の年齢のせいにして無駄に時間を消費した結果でもあります。

 それにしても高野山は標高800メートルの高さにあるため、本日も大量の雪が残されており、車中の暖かさと車外の温度が相反し、強い陽射しと、土冷えする中でトイレに走る回数は異常なほど増えました。

                         徒歩数 11575歩 間食あり
                                    4月2日の一言

家族一緒の四国遍路が満願になり

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本日の八十八番大窪寺 満願です
本日は八十四番から八十八番まで巡拝し、最後に一番寺を参拝しました。
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本日は八十四番屋島寺から 門前の家内と相棒リマ
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八十五番八栗寺
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お遍路も最終章へ

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 私が参拝していただいてきた四国別格二十霊場の数珠は、昨年71番弥谷寺を参拝中に、石段を踏み外して滑って転んだ時、手に持っていた数珠のお陰でケガもなく済む代わりに、数珠がちぎれてしまいました

 そして、知り合いのご住職からもらった数珠と、私の父親が使用していた遺品とも言うべき数珠と、どうやら父親の中国土産らしい数珠、それぞれ破損中の四種類の数珠を、須見光栄堂に持ち込み修理を依頼してきました。

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日替わりランチ 680円

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私のお気に入り やまじゅう

うどんと寿司の やまじゅう https://blogs.yahoo.co.jp/tokisa3316/19007083.html

                                徒歩数 7103歩    4月1日の一言

遍路は(びっくりの)出会い旅

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午前6時40分 第46番浄瑠璃寺の前で出会いを記念して

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大阪のKさんとツーショット

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第45藩岩屋寺

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岩屋寺駐車場でKさんと愛車

 「お手伝いしましょうか?」
 「大丈夫ですよ」
 「私に何かできることはありませんか?」
 「有難うございます」

 車イスを用意してあっても、自分の足で歩くしかない岩屋寺で、両肩を私と家内で支えて参拝し、薄暗くなってから参道を降りる我々の背後から、手伝おうとする若者から善意の声がかかりました。

 両肩を支える高齢の女性遍路が、弘法信仰50年以上となり、かつては独りで通しの歩き遍路を数回経験している弘法会の代表とは知らず、「頑張って」とか、「もうすぐだよ」との声は同情としか思えず、ご本人も口惜しい気持で岩屋寺の長い坂道を登って参拝しました。

 足に障がいを持つ者にとっては、登りよりも下りの方が楽なように見えますが、実は針の板を踏むような激痛が走っており、苦痛によって休みながらの帰り道に、「何か手伝えることはないか」の一言は、私は弘法大師の代弁のように聞こえました。

 その若者は、我々の前後を付き添って降りてくれましたが…

 「あら、あんたとは何処かで前に会っているでしょ?」
 「はい、実は間違いなら失礼と思って黙っていましたが…」
 「前にお遍路で会ったのかな?」
 「そうです」

 声をかけてくれた若者を見たメンバーの一言で、2年ほど前のお遍路で声を交わしていた若者であることが判り、まるで作り話のような出会いにびっくりさせられましたが、こんな偶然の再会もあるものなんですね。

 45番の岩屋寺で午後5時過ぎに別れているため、翌日の朝に46番の浄瑠璃寺で出会うのは必然となり、若者の安全祈願のため志賀弘法会のメンバーで般若心経を一巻あげて記念撮影をしてお別れとなりました。


 四国遍路の魅力は新たな出会いがあり、挨拶や親切な一言が思わぬ交流となります。こんな不思議な体験がお遍路の力となり、遍路の継続となっていきます。
 私は平成13年からお遍路を始めましたが、会うことのないような偶然の再会と、背中合わせで蜘蛛の糸のようなご縁が多く存在し、お遍路の原動力ともなりますが、これもお互いの挨拶から始まっており、挨拶によって会話に発展し、ここから金持ちも地位も身分も越えた交流が生まれます。

四国遍路  3日目最終日

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夕暮れの来島海峡  しまなみ海道

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ほら貝を吹いて歩く僧侶  第51番石手寺

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弘法信仰50年 信念の参拝

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仙遊寺大師堂

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 松山市内の路面電車 

3日間の四国遍路も本日が最終日となりました。

      車イス遍路ですが、第31番竹林寺(高知市)から、
                      第59番国分寺(今治市)まで巡拝できました。

11月4日の一言

遍路の難所 車イス利用者と岩屋寺へ巡拝

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私と家内で両肩を支えて石段と坂道を歩きます
                      この後ろから腰を押す人(カメラ)と連携して登ります

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まもなく大師堂に到着します

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岩屋寺大師堂前で記念撮影

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途中の休憩所の横には多くのお地蔵様が

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全員で支えあい参拝しました

 名古屋市北区の志賀弘法会の四国遍路は、代表者が足に補そう具を必要としており、車イスを車に乗せた遍路となりますが、急坂と石段が長く続く岩屋寺では、車イスが使えず、私と家内が両肩と腕を支えて引き上げ、後ろから押す人の協力によって何とか本堂まで辿り着きました。

 車イスを使用する者にとって、岩屋寺の巡拝は車イスが使用できないため、本堂への参拝は絶望と言う人もありますが、両肩と後ろから押す人の協力で、本人に参拝する気力があれば参拝できることを本日証明することができました。

 もっとも、車イスと言っても、自分で立ちあがれる人の話で、車イスに座ったままの人は、誰かに背負ってもらわなければ岩屋寺には参拝できません。

 引っ張る者も大変ですが、立っているだけでも足がクギで刺されている位痛いとの話ですから、本人の苦痛は大変なもので、登りは介助者は大変ですが、下りは本人の足に予想もできない苦痛が走り、休憩の連続となりました。

 こんな体験が、病床にあるお遍路さんの励みになれば幸いです。

                                11月3日

四国遍路 第2日目

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別格二十霊場8番十夜ケ橋 橋の下に集まる鯉

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十夜ケ橋下の大師像前で合掌

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42番仏木寺近くのコスモス

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40番観自在寺周辺のお祭り

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第43番明石寺の石段

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42番仏木寺門前

 今年4月に始まった車イスによる2回目の遍路ですが、昨日から車イスを使えるお寺がなく、両肩を支えた遍路で、高知県を巡拝し終え、本日は足摺岬から松山インターまで車を走らせ、午後5時に45番岩屋寺まで巡拝し、46番門前の遍路宿長珍屋さんに到着しました。

 先月の初めに孫や家族と四国を訪れた際にも、香川県の各地でお祭が開催されていましたが、本日は愛媛県の各地でお祭が開かれており、私の住む地域よりも厳粛に祭礼が行われている印象を受けました。

 さて、明日は午前6時30分から、宿の前にある46番浄瑠璃寺に参拝し、納経帳の朱印を終えたのちに朝食をとり、松山市内の53番円明寺まで巡拝し、午後5時まで今治市内のお寺を巡拝後に、しまなみ海道から広島県に渡って名古屋に戻る予定です。
 ともに老朽化した私の身体と、私の愛車をいたわりながら、何事もなく愛知県に帰りたいと考えています。

                                      11月3日の一言

お遍路の合間に四万十川下り

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 志賀弘法会は、午前中は水以外は口にできず、最終日の午後まで観光やお土産の購入も禁止されていますが、本日は私の独断で「四万十川下り」に参加し、屋形船を貸しきった観光も体験しました。

 まるで、別世界に来たような穏やかな風景でした。
                                      11月2日の一言


四国遍路 第1日目

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本日は第31番竹林寺(高知市)からスタートです

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足の悪い人には難所となる第36番青龍寺の石段

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本日最後の参拝 第38番金剛福寺大師堂 足摺岬

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金剛福寺は綺麗になりましたね
                        天国に来たような景色です

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ホテル足摺園から見た夕暮れ

 本日は名古屋市の志賀弘法会のメンバー7人と、高知市の竹林寺から、足摺岬の金剛福寺まで巡拝しました。

 昨晩の午後10時半に名古屋を出発して、午前7時から午後5時30分まで高知県内を9人で参拝し、31番から38番まで巡拝しました
 明日は39番から巡拝し、松山市内の宿の周辺まで巡礼予定としています。

                                      11月2日の一言


孫との四国遍路 2日目

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第75番善通寺 宿坊前の池の孫です

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第71番 弥谷寺

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善通寺 本堂
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香川県はお祭の真っ最中でした

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相棒にはお父さんですが…孫は爺婆になります 

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本日最後となった第83番 一宮寺

2日間だけですが四国遍路が終わりました。

 本日は、第70番本山寺から第83番一宮寺まで巡拝しました。

あと一日で孫も満願になります。 次はいつになるのかな…


          本日の体重 69、7キロ 徒歩数 13492歩 間食あり
                                    10月9日の一言

四国遍路第1日目 ペットと同行2人

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同行2人+4匹
ご支援有難う 今度は阿蘇に遊びに来てください。

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 50ccのバイクに、3匹の愛犬を連れて四国遍路を巡拝中の青年と出会いました。場所は四国八十八ヶ所第60番横峰寺の駐車場ですが、この青年より阿蘇山で大きな噴火が起こったことを聞き、このまま阿蘇へ帰ろうかとの話にびっくりとさせられました。

 新聞報道によれば、阿蘇山の噴火によって兵庫県まで降灰があり、少なくとも1ケ月は警戒が必要との発信に、阿蘇から来た同行2人+4匹さんの心配が、他人事ではないと実感させられました。

阿蘇山、高い噴煙が特徴 「少なくとも1カ月は警戒を」

阿蘇山、中岳第1火口で爆発的噴火 兵庫まで広く降灰か

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ヤマガラが私の金剛杖の先に

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横峰寺駐車場の売店にヤマガラが餌付けされていました

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 愛犬とともに四国を巡礼する人は多く、そんな姿を見つけるとつい声をかけてしまいます。私が相棒と一緒に四国に行くようになって数年が経過しましたが、愛犬を通じて親しくなった人は多く、こんな環境では人を憎む気持にはなりませんから、もっとペットと一緒に生活できる環境にしたいものです。

 さて、3日前に日本一周中の女性ライダーを記しましたが、本日は愛知県一宮市から自動二輪で遍路中の青年と知り合いました。

 「一宮市って愛知県の一宮市なの」
 「尾張一宮です」
 「それで一宮の何処なの?」
 「愛知県ですが… 」
 「その一宮の何処なの?」
 「あっ、愛知県なんですか。西萩原です」
 「僕は、津島市だわ」
 「僕の祖母が津島の下新田なんですよ」

 旅先の出会いは良いものですね。

 本日は愛媛県の第60番から、香川県観音寺市の第69番まで巡拝し、家族は坂出市の坂出国際ホテルに宿泊していますが、私は相棒が居るため愛車の中で車中泊となります。家族での遍路は、相棒と私の2人旅ともなり、我家より近い私の顔の横で相棒が眠っています。

                                      10月8日の一言

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