大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

上高地のホームレス画伯

上高地 ホームムレス画伯も健在です

                               先週土曜日の写真です
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上高地の名物画伯です

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上高地の中心地河童橋

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絵具を塗っていきます

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どちらが景色か判りません

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渡辺画伯です

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上高地を描き続けて59年

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人と話すと止まりません

上高地を描いて59年のホームレス画伯渡辺勝夫さんです。


 私が初めて上高地を訪れたのが昭和49年の夏で、それからでも44年が経過しているものの、画伯は描き続けて59年ですから、上高地で働いている人たちより永くこの景色を見続けてきたのですね。

 今では半年間上高地の小梨平でテント生活を送っており、私の上高地からの発信で渡辺さんの安否確認をされている人も存在し、今年は5月15日からテントを張り、10月頃まで滞在される予定ですが、初めて出会った頃と比較すると、背の高いおじさんから完全なるお爺さんになってしまわれました。

 上高地を訪れるたびに顔をあわせていると、近所に住んでいる旧知の知人のような感覚となり、夏には隣にテントを張って本当の近所付き合いともなり、息子の開業時にも大きな油絵を記念に頂きましたが、大きく重すぎて壁にもかけられません。

 今年も上高地の名物ともなったホームレス画伯に会いに来てください。河童橋の横に立てたキャンパスか、小梨平のテントを探すと80歳とは思えない元気な画伯の声がかかってきます。

                                    5月28日の一言

上高地  渡辺画伯と

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上高地河童橋にある画伯のキャンパス台
                      穂高連峰が雲に隠れていても画伯の絵が代わりになっています
 
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上高地を描いて57年
 
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上高地の名物画伯 (1番右) と
 
 「今日はは何処まで行くんだい」と、今年も上高地の小梨平で4月からテント生活を送っている渡辺画伯は、上高地を訪れる人々に気軽に声をかけています。
 
 私はいとも簡単に「ホームレス画伯」と命名していますが、夏場には画伯の周りに旧知の仲間がテントを張り、登山者も声をかけて行き来する上高地の名物人となっており、画伯は絵を描くのが目的ではあるものの、知り合いどころか知らない人も無視できない性格のため、「お茶でも飲んでいってくれよ」と雑談に花が咲きます。
 
 最初に出会った時には「オジサン」でしたが、今は私自身も還暦を過ぎており、画伯は77歳の「オジイサン」になってしまい、周りの人々も何だか高齢者ばかりになってしまったように思われます、
 
 「また来たら寄ってくれよ」も口癖ですが、画伯は10月末までテントを張っている予定ですので、これから上高地を訪れる方は、是非ともビジターセンターの奥にある画伯のテントにお立ち寄り下さい。
 
 人と人とは因縁とか、奇妙な縁がありますが、私自身も画伯の存在が上高地を身近な存在とし、多くの人々との交流が深まり、ストレスのない空間と時間が持てるようになりました。
 
 
 

夏の忘れ物が上高地から

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8月11日 上高地小梨平での一枚

 還暦を過ぎ、地位や過去の経歴に関係なく、独りの人間として知り合い、金持ちか貧乏人かも関係なく意気投合し、一緒の時間を共有することができることは最高ですね。そんな上高地で出会った人から、私が写った写真が送られてきました。

 上高地の小梨平のテントで生活して油絵を描き続ける渡辺画伯は、4月から10月まで上高地に滞在しておられ、最近では上高地の名物画伯として、テレビや新聞などに取り上げられるようになりましたが、画伯の存在によって、長期滞在する仲間も増え、画伯を中心に親交を深める人々が増えてきました。

 私はまだ年金を受け取る立場に無く、与えられた仕事も残しているため、完全なるセカンドライフにはなっておりませんが、健康であればと言うよりも、健康な生活を持続していくために画伯の生活も参考にしたいと思っています。

 そんな上高地も、お盆を過ぎた頃からテントは激減し、最近は一人ぼっちになって寂しくなったと画伯より連絡がありましたが、9月の上高地のテント生活は寒さとの闘いになり、台風のコースにでも入れば撤退にもなりかねません。

 9月は市議会の本会議が開催されているため、上高地には行かないと決めていたものの、手帳の予定表を見ると、10月中旬から下旬まで新たな予定で埋まっており、急遽今週末の土曜日と日曜日にボランティアに出向く方向で予定していると…

 「大鹿さん、忘れてはいないわねッ」
 「えっ、えっ、何ですか」
 「出雲、出雲」

 夜に私の事務所で開かれた書道会に参加されていたメンバーから、私の机に置かれた四国遍路と西国巡礼の朱印帳を見て、出雲大社をはじめ山陰地方へ旅行に行く約束がしてあったことを伝えられ、一年前から約束してあった旅行ゆえに急いで日程を考える必要性を実感させられました。

           本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2169歩 間食あり
                                      9月6日の一言

上高地  画伯2年ぶりの再会に

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 上高地で一番有名になったホームレス画伯こと、渡辺画伯(真ん中)の隣の女性は台湾から来た陳さんで、画伯とは2年ぶりの感動の再会となり、今回は友人で登山家の鄭さんと一緒の来日との話でした。

 ちなみに、鄭さんは上高地から見える穂高連峰や六百山まで11の山を踏破されているとのことです。

 上高地の魅力は、自然のすばらしさにあることは当然ですが、自然のすばらしさを共有した者どうしの交流は国境も無くなります。


上高地  ホームレス画伯

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今年も新兵器投入 新しいキャンパス台になっていました。

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画伯ではなく猿です

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ホームレス画伯と私の孫です

今年も元気な渡辺画伯と半年振りの再会です。

「私の師匠で吉田さん」
「大鹿です」
「吉田です。よろしく」
「これじゃー、お遍路と同じですね」
「結構、結構、変わり者でないと面白く無い」

四国遍路の菅笠姿でホームレス画伯からの紹介に、お互いを変わり者として意気投合です。
ただし、吉田さんは過去に広島県の薬剤師会の会長を務められており、
日展に15回も出展されているホンモノの画伯ですから念のため。

ホームレス画伯は上高地を描いて55年の経歴を持ち、
1年の半分を小梨平のテント生活で油絵を描く「名物男」ですが、
吉田康さんは、社団法人日展会友・日洋会委員で、
上高地を描いて45年の経歴をお持ちです。

新たな出会いに感謝です。

猿と一緒?の環境も最高です。

本日のホ-ムレス画伯

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画伯のテントと私のテント(右側)
 
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河童橋の前に立つ孫です
 
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渡辺画伯の油絵を見る孫 河童橋の下流で

本日は朝7時30分に上高地バスタ-ミナル駐車場に到着しました。

普通は、ここからテントや荷物を運ばなくてはなりませんが、到着前から画伯がリヤカーを用意して待っていてくださり、楽々の上高地入りです。

今回も画伯の隣になりました。

好天に恵まれる上高地滞在となりそうです。

上高地は人との出会い旅を演出します

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 三連休初日となった本日は、午前9時に我家を出発し、東海北陸道に入り長良川サービスエリアで休憩していると、見たことのあるような人が歩いており、世の中には似た人があるもんだと思っていると、今度は見覚えのある2人の女性が当方を見ておられ、よく見ると隣の町内の先輩たちのご家族で、あまりの偶然にびっくりさせられ、近所ではめったに会わないものの、はるか遠くで談笑することとなりました。
 
 実は、8月に上高地を訪れた際にも、その三日前に母校の同窓会総会の物故者法要をお願いした先輩にあたるご住職の家族やお仲間と遭遇し、「大鹿さん」と呼ばれてびっくりしたことを思い出しました。
 
 せっかくの連休ですが、元々が雨の予報だったところへ、発生したばかりの台風も進路を向けていることから、8月の雨の4日間につづいて今回も雨にたたられる上高地になりそうです。
 
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 本日の上高地は、平日にはマイカー規制でも入ってこられる観光バスやマイクロバスが規制されていることと、雨と台風の天気予報が重なったため駐車場はガラガラで、観光客の姿も例年より格段に少ない一日となっていました。
 
 昨日の一言にも記しましたが、テントや寝袋だけでなく、カセットガスや食材も豊富に積み込んできており、雨が降らないことを祈っていたものの、雨こそ降らないものの本日の上高地は曇り空の一日となりました。
 
  
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 8月には千葉に帰っていた渡辺画伯も、本日は元気にキャンバスを立てており、電話では声を聞いているものの、二ヶ月ぶりに元気な姿を見たことで安心しました。
 
 7月には同行した家内の姉夫婦が油絵をいただいており、私が上高地に出かけるたびに交友関係を深めているだけに、来週末で千葉に帰られる前に会えて責任が果たせたような気持ちにもなりました。
 
 「どちらからですか」
 「愛知県です」
 「えっ、愛知県のどこですか」
 「愛西市です」
 「えっ、私は隣の津島市です」
 「津島のどこですか」
 「神守です」
 「愛西のどこですか」
 「勝幡です」
 
 渡辺画伯の油絵を覗きこんでいた人々が近所から来ておられることが判り、びっくりの会話で盛り上がりましたが、すれ違えば無縁の人々が、「さて」と一言発することで旧知の友人であるかのような会話に発展します。
 
 渡辺画伯の話では、私が上高地で知り合った写真家(趣味ですが)の石原さんが、4月の開山式の時に私を探されていたとの話に、今年も閉山まで二ヶ月となってしまった月日の早さも実感する一日ともなりました。
 
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 さて、上の2枚は、まもなく夜を迎える直前の河童橋と、最後の客を待つバスターミナルの様子ですが、こんな時間に上高地を歩くのも久しぶりで、天気予報のとおりに明日も雨の場合は、いっそのこと松本側に車を走らせ、美ヶ原にでも行ってみようかと話しながら、「こんな日はテントより車の方が天国だよ」との画伯の助言を実践する夜となりました。
 
                                       9月14日の一言

千葉県銚子市の一日

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本日は旭市のホテルを出発し、飯岡刑部岬展望館から飯岡漁港、屏風ケ浦の岸壁を散策し、銚子の犬吠埼まで出向きました。

銚子の目的地は満願寺と坂東三十三観音霊場二十七番飯沼観音でした。

途中で立ち寄った地球の丸く見える丘で、飯沼観音門前の近くにある丼屋七兵衛を紹介され、ここで新鮮な魚料理の昼食にしました。

ここから成田市の成田山新勝寺を訪れる予定でしたが、渡辺画伯から連絡があり、再度会うこととなり、コ-ヒ-をご馳走になり、4月に上高地で再会する約束をして愛知県へ一目散で戻ります。

帰宅は深夜になります。
                                                        1月27日の一言
追伸
午前1時に無事愛知県に戻りました。

千葉県の上高地=絵画展と写真展へ

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本日は千葉県で開催されている上高地の絵画展と写真展を鑑賞するため、昨晩の深夜に愛知県を出発し、アクアラインの海ほたるで日の出を拝んでから千葉県に入りました。

サ-ビスエリアも南国のような気分となります。写真展は、上高地のホ-ムレス画伯こと渡辺さんの作品展で、旭市のヒューマンブラザ黄鶴で開催されており、本日は結婚式でも賑わっていました。

写真展は、成田市のエクセルホテルのロビーで、八街市の石原和子さんが主催されており、写真の見事さに驚かされました。

絵画展の渡辺さんと、私の家族まで一緒に、石原さんからホテルのランチをご馳走になり、千葉県の人は親切と紹介しますの冗談ではすみませんが、上高地で出会った石原さんと渡辺さんに感謝の一日となりました。

ただし、世の中はそんなに甘くなく、成田空港近くの交差点では車に追突される悪夢のような一日ともなりました。

家族も同乗者の渡辺画伯も、相棒リマも元気で、車も傷だけで愛知県まで帰れる事は幸いでした。

ホームレス画伯の待つ雨中の上高地へ

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 本日は、深夜より家内と相棒リマを伴って上高地を目指しました。実は、私の上高地入りを期待する「ホームレス画泊」こと千葉県の渡辺氏よりの電話で、タマネギや生卵などを所望する連絡があった事から突然の…
 と、言うよりも、私はかなりの確信犯として、上高地を訪れる予定をたてていました。
 
上高地 ホームレス画泊 http://blogs.yahoo.co.jp/tokisa3316/16544291.html
 
 午前0時過ぎ(正確には判りません)に自宅を出発し、ひるがの高原サービスエリアで休憩後、安房トンネル前で仮眠し、朝一番で釜トンネルに入る予定でしたが、薄暗い頃から土砂降りの雨音により、雨が大嫌いの相棒を散歩にも連れ出せません。
 
 上高地で雨に降られると写真は撮れず、居場所もビジターセンターなどに限られるため、車中で湯を沸かして味噌汁を作り、遅めの朝食をとってから上高地入りし、バスターミナル駐車場に車をつけたのは午前9時を廻っていました。
 
 本当は相棒と一緒に上高地の時間を堪能したいための同行ですが、相棒をリュックの中に入れたまま雨中で一日滞在するのは不可能なため、相棒は車の中で留守番として家内と「世界の交差点」を目指します。
 
 私のリュックにはタマネギが30個くらいと、ジャガイモも同じくらい入っており、家内は野菜や生卵50個ほどをぶら下げて、雨中の上高地を目的地まで歩き、渡辺氏のテント生活応援に物資補給が本日一番の目的で、激しい雨のためテントに入って世間話だけの一日です。
 
イメージ 2 絵描きが4割で、おしゃべりが6割としている画伯との時間はあっという間に過ぎ去り、一緒に近くの小梨食堂に出向いて昼食タイムになりましたが、上高地で出会った人々との交流が粗末なテント生活を支え、時間や約束に縛られないうらやましい自遊人の生活が続きます。
 
 今年は台風でも来なければ11月1日まで滞在される予定ですが、キャンプ場のある小梨平は夏場とは様変わりして、常設のテントは先週に片付けられており、心寂しい雰囲気となってきました。
 
 来月の8日に明神池で奥穂高神社の大祭があり、この頃から上高地は秋から初冬の雰囲気に変わっていき、11月の閉山式で無人状態となりますが、4月に初々しい気持ちで再会したものが、6月や8月の雰囲気は失せて、9月には「今年も済んでしまった」かのような寂しい雰囲気となります。添付した写真は、来年のカレンダーで、中沢義直さんの撮影した上高地が載せられており、明神池の奥穂高神社かホテル白樺荘でしか手に入らないものです。
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 さて、ペットの持込みが禁止されている上高地へ、ペットを連れて行くのは非常識と言われるかもしれませんが、連れ込むにあたってペット持ち込み禁止の意味を聞き、野生動物への影響を無くすため、大小便を外にさせずに人間の赤ちゃんと同じ扱いで行動しています。
 
 気になることは、街中のペットと全く同じように犬を連れ歩く人の存在で、無秩序となると完全禁止(罰則のある厳禁)になる可能性から、ペットと一緒に旅行する事が当り前に認知される環境やルール作りを訴えていきたいとも考える雨中の一日となりました。
 
 次の訪問は半月後の連休を予定していますが、渡辺画伯がテント生活を続けられている環境が続いていることを祈願したいと思います。
 
                                     9月23日の一言

上高地のテントに配達された手紙

 本日は台風9号が福井県に上陸し、岐阜県の南部となる岐阜市を通過したものの、幸いにして私の住む津島市への被害はなく、私は日常となった午前3時からの会報配布に出て、仮眠中に台風は通過・消滅していってしまいました。
 
 もっとも、午前4時頃には小雨が降り出し、空を見上げると土砂降りの可能性を秘めた真っ黒の雲と、雷光が光りだし、自分の身体よりも配布した会報が濡れてしまっては読んでもらえない事から、「もう少し」と「限界か」の自問自答はしましたが、幸いにして心地よいシャワー程度で帰宅となりました。
 
 仮眠後にびっくりした事は、この台風による激しい雷雨によって愛知県内の交通機関がストップし、岐阜県内でも多くの被害が報道されている事で、当初は能登半島か東北地方への上陸の可能性程度に思っていた事から、意外に近くを通過した事で上高地のテントを仮住まいとする「渡辺画伯」の安否が気になりました。
 
 とにかく大きく立派とは言えテントですから、多くの画材や製作中の油絵は大丈夫かと思いましたが、夜には心配した主から「おーい、手紙ありがとう」との電話がかかってきました。
 
 さて、手紙についてですが、日曜日に一緒に撮影した写真を同封した手紙を、月曜日の夕方に投函したわけですが、早くも本日水曜日に上高地まで配達された事にもびっくりするとともに、何よりも住所番地もない「上高地のテント」に配達された事にびっくりです。
 
 郵便番号と、長野県松本市上高地と記し、「河童橋近くで油絵を描かれている人・ビジターセンター近くのテントにおられる画伯」と説明書きを付け、渡辺○○様と記した手紙が見事に届けられたのでした。
 
 この手紙については、私の遊び心で渡辺氏と約束した差出しで、かつて津島市の大鹿一八様だけでも到着した手紙があった事から、届く可能性を信じて出したものの、問題は現地の郵便局まで手紙が配送されずに、「こんなのは問題外」と戻されてしまう事でした。
 
 上高地には住所に番地がなく(住民がいません)、ホテルや山荘なら確実に手紙が届きますが、小梨平の野営場のテントの住人の名前まで把握されてはおらず、郵便局か民間の宅配便か迷いましたが、宅配便では受付で断られる可能性があり、上高地内に郵便局がある事から郵送としたものの…
 
 「こんなもの着く筈がない(笑)」
 「テントじゃー、届かないでしょう(笑)」
 「戻ってくるから判るでしょう」
 「近くの施設に電話して渡してもらう約束をしてからでは…」
 
 等々、市役所の職員の考えそうな結論は絶望的でしたが、民営化された郵便配達が、私の遊び心に見事応えて届けてくれた事と、上高地と津島市と離れていても渡辺氏と友人のような会話ができる現実に、心も台風一過の夜となりました。
                                 9月8日の一言
追伸
上高地へ行かれる人は、河童橋か小梨平で「渡辺画伯」と声をかけて下さい。「お茶でも飲むかね?」なんて言葉が返ったら、人との出会いの魅力にはまります。

旅は新たな出会いの積み重ねか

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  本日は上高地の一日となり、午前5時(いつもより30分遅い)に私の居場所(写真左・梓川)に到着し、快晴で輝くような焼岳と、未だに朝日が差し込まぬ北アルプス穂高連邦を眺めてから河童橋まで戻りました。
 
 そんな頃には本日の旅人が団体で押し寄せて、風景と言うよりも人の流れを眺めるような雰囲気に一変しており、私は軽い朝食の後に仮眠に入り、家族は勝手に散策に出掛けていきました。
 
 さて、天候に恵まれ快晴とはなりましたが、北アルプスは雲一つない頂とはならず、写真撮影はあきらめて前日約束した渡辺(画伯)氏が住まいとしている小梨平のテントを訪れることとしました。
 
イメージ 3 氏は71歳となり、千葉県で自動車板金業を永年営み、仕事を子息に任せて「上高地」を住まいとされており、初対面の人には「ホームレスの絵描き」のようにも見えますが、4月から6月まで、そして現在は9月末か10月4日まで、1年に200日を上高地で暮らす「超人気者」にもなっています。
 
 「時間に縛られたくない」、「人を外見で評価しない」などと、私と合い通じる事から、年齢差を忘れた会話となっていますが、もう一度年内に会っておきたい人です。
 
 「できたら写真を撮ってくれませんか?」
 「…ちょっと…」
 「迷惑かね?」
 「そうではないけど…」
 「嫌なら嫌と言ってくれれば良いんだよ」
 「じゃー、申し訳ありませんが…」
 「でも、撮って欲しいんだ…ケドネ」
 
 昨日の夕方に河童橋の前に座る私に執拗に写真撮影を頼まれる方があり、気分的に関わりたくなく独りに浸っていたかった事から無視していましたが、あまりにも熱心で執拗だった事から、「じゃー、撮りましょうか」とベンチを立ち上がりました。
 
 「できれば3枚ねッ」と、撮影した3人分を依頼されましたが、「送付先を教えてもらわないと送れませんよ」と言うと、差し出された名刺には滋賀県の○○会会長との立派な肩書きが印刷されていました。
 
 旅の恥はかき捨てと言いますが、どんな人と出会うかは判らず、こんな顛末を話していると渡辺(画伯)氏も、訪れた人にはマスコミから高名な方まで存在しており、出会いの妙に意気投合していました。
 
 さて、我々は昼には上高地を出発しましたが、観光バスか殺到して渋滞しており、出て行く事も難しい半面で、大正池周辺まで並んだバスの乗客は、降りて歩かない事には上高地のシンボル「河童橋」まで行けないものの、車窓に映る高齢者にそれが可能かどうか…
 
 日曜日や祝祭日に観光バスの日帰り旅行で上高地入りは大変と実感するとともに、昨年から私はタクシーを所有する事から、自由に上高地に出入りできる贅沢を実感し、本日は同じくマイカー規制で自家用車の入れない「乗鞍スカイライン」にも足を延ばしました。
 
 上高地入りの最後の定番は、高山市(旧丹生川村)の琴水苑です。
 
 ここも十年来のお付き合いとなっており、私は創業時からの古い客だそうですが、帰りの車中で「どうしても魚釣りがしたい」と言う三男の希望で訪れたのが最初と家族に聞かされ、現在の炭火焼きが始まる前からと思うと、時間の経過の早さと同時に、お互いの年齢の積み重ねも実感する帰路となりました。
                                  9月5日の一言
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