大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

神社・仏閣

大鹿のルーツとなる鈴鹿市の大鹿三宅神社へ

大鹿三宅神社

三重県鈴鹿市池田町14

石標

鳥居

境内

拝殿

本殿


今から20年ほど前に、伊勢の古族大鹿氏と由縁のある古墳とともに散在する大鹿三宅神社を訪れており、昨日はそれ以来となる訪問となりましたが、ネット上で表示される「大鹿三宅神社」に到着したものの、以前に訪れた場所とは全く違っていました。
  

それでも、正真正銘の大鹿三宅神社ではありましたが、20年前に訪れた場所を探して再度ネット検索すると、鈴鹿市国府町の三宅神社が表示され、「国府」ということで椿大神社から走ってきた道を戻って三宅神社へ走りました。


三宅神社

三重県鈴鹿市国府町1609

三宅神社の神額

境内

本殿

山ノ神

拝殿



ただし、ここも以前訪れた「大鹿三宅神社」ではありませんでした。


神館神明社

三重県鈴鹿市神戸町2-18-30

鳥居

拝殿

本殿

昨日の写真です。

そんな訳で3ヶ所目に訪れた神館神明社は、大鹿の大の字も判らない神社だったため、周りのお寺をまわり、神社の隣にお住まいのご夫人に連絡を取ってもらい確認すると、かつての十日市町にあった「大鹿三宅神社」をここにまとめて合祀した神社とわかりました。

こうなると20年前に訪れた大鹿三宅神社が何処に存在するか全く判らなくなり、再度鈴鹿市を訪れて大鹿(おおか)氏の基本から調べることにしました。

「大鹿は三宅から来た」という伝承と、私の住む津島市の下切町に現存する「大鹿」家に残された、古に現在の鈴鹿地方から海路で津島市に来たと記された古文書から、現在の鈴鹿市にある三宅町周辺から来たと考えるのが自然で、ここに存在する三宅神社が20年前に訪れた場所であることを祈るばかりです。

「三宅」とは古代朝廷の直轄地である「屯田(みやけ)」に由来すると見られ、鈴鹿市三宅町の方が鈴鹿の屯倉および式内社「三宅神社」の所在としては妥当と思われます。

一方で、四日市市に近い鈴鹿市の国分町にある伊勢国分寺跡や、木田町には大鹿山1号墳や古墳群とともに鈴鹿市考古博物館が存在するため、今から千五百年以上前の古族大鹿氏や、第30代敏達天皇の孫で大鹿の血脈となる舒明天皇や天智天皇の時代から勉強しなおす必要も実感させられました。

大鹿のルーツを調べている人が、現地に問い合わせると「愛知県の大鹿さんが詳しい」と言われて全国から連絡を受けていた時期もありましたが、私の発信した「大鹿一族の歴史探訪」は最近全く更新されておらず、私自身も過去の記憶は全く喪失してしまいました。

  

一方では、かつては皇學館大学だけと思っていた伊勢大鹿氏の研究も、各地の大学関係者や鈴鹿市の考古博物館など研究者によって大鹿廃寺や古墳が調査されており、これからは鈴鹿市へ足を運んで伊勢の大鹿氏の全体像を勉強したいと思います。


また、一時は全国で活躍される大鹿さんとの交流も心がけていましたが、複数の先輩たちが鬼籍に入ってしまわれ、新たに活躍される大鹿さんの存在も把握していきたいと思います。


昨日訪れた桑名市の大福田寺と九華公園

神宝山法皇院 大福田寺

三重県桑名市東方1426

自由に参拝できます

本堂への参道

書初め大会の作品です

昔ながらの書初大会が継承されていました

本堂から見る境内

お寺の境内に神社の鳥居

聖天堂への参道

ご本尊 神宝聖天尊

日本三大聖天の一つです

昨日の桑名聖天祭




 毎月一日に聖天堂で開催されている聖天祭は午前中に護摩供養やお勤めが行われていますが、午前中は移送ボランティアがあるため午後の参拝となり、私自身は本堂のご本尊である阿弥陀如来像よりも弘法大師像の前へ近況報告に行く気持ちで訪れています。


 さて、大福田寺では明日の3日に節分と鬼負い祭りが開催されますが、昨日と同様に午前中は病院へ移送する患者さんがあり、夕方には車検に出した車を取りにいく必要があるため参加することはできませんが、本堂に置いてあった福豆をいただいてきました。


 大福田寺の福豆は黒豆で、家計が黒字になるように黒豆を使用しており、豆ご飯にしても美味しいとの案内がありました。


九華公園

公園から見える柿安本店

大きな店舗です

野菜や果物も

さすがに肉の種類は多彩です

常時入れ替えられるお弁当

人気コーナー

火曜と水曜はコロッケがどれでも100円

店前の小庭

創業者のプレート

初代桑名城主本多忠勝公の銅像
昨日の写真です。
  

津島町並ミュージアムから引用


 私がヤフーブログ時代からお気に入り登録していたブログですが、桑名市の情報とともに、本多忠勝公の書き込みが続いており、せっかく桑名市まで出向いておりながら、大福田寺の参拝だけで帰るのはもったいないため、今回は九華公園まで足を運びました。


2ヵ月ぶりの御嶽山霊神場へ

中央道

恵那峡サービスエリア

国道19号線

上松宿 中村屋の五平餅

道の駅 御岳

JR中央本線

木曽福島 元橋

御嶽神社里宮


本殿までの石段

御嶽本教社務所

明栄講 霊神場

祖父の石碑

明栄講 ろ組霊神場

夕暮れの御嶽山
本日の写真です。

本日は家内の運転で御嶽山霊神場を訪れて、講祖諸霊神や祖父の霊神碑に手を合わせてきました。

ここ数年上高地の帰り道に必ず立ち寄る場所ですが、両手の不調により4月以降訪れておらず2ヶ月ぶりの参拝となりました。

さて、5月に上高地を訪れた際に、知人と一緒に行動していたこともありましたが、それよりも両手の不調により身体全体にストレスを溜めていたため御嶽山に立ち寄らず、へ「毎月来る」ことを怠ったことも現状の体調不良につながっているかもしれず、何も言わない私を心配する家族からプレゼントの参拝ともなりました。

日頃、木曽路は深夜に通行することが多く、本日は午後からの出発だったものの、私自身が木曽路で一番の評価をつけた上松宿「中村」の女将さんと五平餅の雑談に花を咲かせることができ、目の前で真空パックにつめた五平餅をお土産に持ち帰ることができました。

美濃市 洞雲山長蔵寺

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臨済宗妙心寺派のお寺です

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長い石段です

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舎利殿 左奥

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大師堂です

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上野の長蔵寺は覚源禅師を開山とし、正平11年(1356年)に創設された美濃市内最古の禅寺である。覚源は下総の名族千葉氏の出、鎌倉円覚寺(えんがくじ)で修行した名僧で、時の美濃国守護土岐頼忠(ときよりただ)の援助によりこの長蔵寺と揖斐郡の禅蔵寺(ぜんぞうじ)を開き、最後は長蔵寺に帰って世寿(せじゅ)83歳で没した。
 

「これは入れない」
   「止めといたら…」
「ここも危なそう」
   「止めた方が…」

 カーナビの案内する道は狭く、山の山腹に大きな屋根が見えているのに、私のキャラバンには通行が難しく、細い急坂を登っていくと大きな駐車場があり、広い境内は見事に整備されていました。

 もっとも、私は弘法大師の尊像に導かれて、弘法堂の中に入って参拝させていただきましたが、誰もが何時でも自由に入っていけるお寺は魅力があります。
 美濃市で一番古いお寺であることが判りましたが、創建された覚源禅師のご遺志がそのまま継承されていると思われ、創建当時の村の風景が忍ばれます。


京都から節分会のお札と福豆が届いて


 京都大原の宝泉院から届けられた、節分会の福豆とお札です。毎年2月の節分の時期になると当たり前のように届けられてきますが、過去のブログを読み直すと、平成21年の一言に、平成5年の秋から届くようになった知多の宝珠寺の会報より古くから、宝泉院よりお札と福豆が届き、挨拶文が添えられていたと記されていました。

京都宝泉院のHP⇒http://www.hosenin.net/

 私は宝泉院の節分会に一度も訪れたことがないのに、忘れられもせず毎年便りが届いている現実に、僧侶やお寺との縁を嫌う人もあるものの、私にとっては荒んだ気持を清々しくしてくれる温かい便りとなっています。



 さて、定期的に歯の痛みに悩まされており、昨日は予約してあった通院日でしたが、歯が痛みだす予感がしていたものの、「痛くなりそうです」の一言が医師に伝えられず、知人より入手した漢方薬でしのごうと考えていたものの、予感が的中して本日は痛みが増してきました。

 「徹夜をしたり、疲れるといつでも歯が痛みますよ」の一言は、昨年秋の休日診療所を受診した際に治療した歯科医師の言葉ですが、疲れよりも日曜日に口に入れた菓子が治療中の歯に当たった痛みの後遺症で歯肉が腫れてきました。

 こんな繰り返しで、毎週の通院が数年間続いており、歯槽膿漏の歯周病菌を駆逐しないと大変なことになると、薬剤師をしている知人の奥さんから漢方薬を入手したものの、そんなレベルではないのかもしれません。

 そんな私にとっては、大変気になる本日の新聞記事を発見して添付した次第ですが、歯の痛みや虫歯が私の生命を脅かす危険性を感ずるものでもあります。


虫歯菌、脳出血発症の原因か 研究グループが発表

記事の続き…
 脳出血は、高血圧や糖尿病などの生活習慣病や加齢によって脳内の血管が傷むことが原因になるとされる。傷ついた血管が特定のミュータンス菌によって出血しやすくなると考えられるという。
 猪原匡史・脳神経内科医長は「口の中を清潔に保つことや歯科治療によってミュータンス菌の量を減らせば、脳出血予防につながるかもしれない」と話す。
 論文は英科学誌サイエンティフィック・リポーツに掲載された。
 
 歯が痛い時にマッサージをしたら死んでしまったとの一言を聞いた事がありますが、「虫歯の原因になる細菌が脳内で炎症を引き起こし、脳出血の発症につながる」との内容と、「口内から虫歯の原因菌を減らせば、脳出血を防げる可能性がある」の発信は、歯の歯周病菌に悩まされる私には他人事ではありません。
 それよりも、歯の痛みは何も手がつけられなくなります。

           本日の体重 72、4キロ 徒歩数 570歩 間食あり
                                     2月9日の一言

二つの本堂で対立するお寺と困惑する信者に

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 新年早々の朝日新聞の紙面に、真言宗の総本山高野山金剛峯寺と、名古屋市昭和区にある別格本山、八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)の揉め事と対立が記事となり、参拝客が二つの本堂をめぐって混乱する様子が記されています。

 2年ほど前から高野山と八事山興正寺は対立しており、昨年11月末に寺の真向かいに、総本山は本堂としてプレハブの「興正寺連絡寺務所」を建て、本山の執行部トップが訪れて落慶法要が行われています。

二つの本堂、初詣客ら困惑 総本山と前住職の対立続く寺

プレハブ本堂で高野山総本山が法要 罷免の前住職に対抗

 東海地区では唯一の五重塔が立つ八事山興正寺の前に、プレハブの本堂を建てて参拝客を呼び込もうとする総本山の行為も異常ですが、本山から罷免された前住職が居座る本堂も参拝する人々のご利益があるとは思えません。

 総本山側から寺の建物や書類などの引き渡しを求めて5月に提訴されて裁判所で係争中との話ですが、元々が寺の敷地の土地売買の利益を廻る本山と興正寺の争いは、とてもお寺の話題とは思えぬ生臭く見苦しいものがあります。

 高野山や四国遍路を通じて、真言密教や弘法大師に心酔する信者にとっては耳にしたくない事件で、十善戒の教えに反するどころか、弘法大師にも聞かせたくないばかりか、当地方の仏教関係者にも醜聞でしかありません。

八事山興正寺に関する私の過去の一言

 私が「阿息観」の指導を受けている地元のお寺の副住職も、ご住職の代から八事山興正寺に勤めておられることから、中身の判らない憶測で記すことはできませんが、私が過去に記した一言にも、「僧侶の資格を持たないハローワークで募集して採用した見習い僧侶を、信者の通夜に1人で派遣していた」との新聞報道に関する記載が残されていました。

 当時の新聞報道でも、平成18年頃から僧侶の不当解雇や、不正経理による訴えと、葬儀会社との結託のウワサなどが次々と新聞記事にされており、ハローワークで募集した見習い僧侶が、通夜や納骨の作法も知らずに派遣されていた事案は、派遣された遺族を冒涜する行為で、この頃には高野山金剛峯寺の執行部も八事山興正寺をかばって弁護していたものの、双方が司法の場で争い、二つの本堂を建てて信者を迷わす現状は最悪の事態になっていると思われます。

 このことは、四国遍路や高野山に参拝する私に対しても、「高野山と八事はどうなっているの」との声になって伝わり、「そんなお寺に行ってご利益があるの」と言われたこともありました。真面目な気持で四国を歩くお遍路さんや、真面目に修行して信者と関わる僧侶の存在を考えると残念でなりませんね。

        本日の体重 72、1キロ 徒歩数 2545歩 間食が止まりません
                                       1月5日の一言

本日も2日連続の初詣へ

地元津島神社の本殿です
 
津島神社の(東側)楼門です
 
 
神社北側の池 
 

 「人で一杯だった」の一言は、今年の元日に津島神社を参拝した人から伝わった一言で、複数の声があったため昨日の夕方に歩いて参拝してきました。
 
 現実には、大晦日から元旦まで身動きのできない京都の八坂神社や、伏見稲荷と比較すると「人出が多い」とは到底言えず、三ヶ日で一年分稼ぐと言われる千葉県の成田山新勝寺周辺の土産物屋さんとまでは言いませんが、もう少し神社が頑張らないと地元の土産物屋さんの存亡に関わることとなります。
 
 さて、津島神社の北側には、明治時代に神仏分離となり分かれたものの、津島神社の神宮寺だった真言宗の「宝寿院」があり、史実ではなく言い伝えでしかありませんが、今から1200年前に弘法大師が津島神社に来て、疫病の治癒を祈願した時に薬師如来像を安置したと伝えられているお寺です。

 実は、大晦日に京都を訪れたものの、議員になってから毎年恒例としてきた建勲神社の初詣を完全に忘れており、帰宅してから参拝していないことが判った次第で、「今年は何故に行かないだろう」と家族はおかしいと思っていたものの、私のこだわりだけに行かない意味があると思って黙っていたようです。

 かつては、元日の午前0時に建勲神社の本殿で、1番目に拍手を打って参拝することにこだわっており、他の神社のように証明もなく、真っ暗な船岡山の参道階段をのぼり、新年になるのを待って参拝していました。

 最近は百万遍で新年の鐘を撞いてから参拝してきましたが、今年は雨が激しく振り出したため、慌てて車に戻り、温かいものを口にしたいと言う家族を何処に連れて行こうかと考えて走り、その後そのままにして愛知県に戻ってきてしまいました。建勲神社は今月中に改めて参拝する必要ができました。

 本日はお茶でも飲みに行こうと連絡してくれた同級生と、稲沢市の矢合観音に参拝し、昼食後に善光寺を訪れてからコーヒータイムとして帰宅しました。短い正月休みが済み、明日からは普段の生活が始まります。

             本日の体重 72、6キロ 徒歩数 1910歩 間食あり
                                       1月3日の一言
 

ウォーキングから筋トレを考える一日に

木曽川の堤防から見る地泉院全景

 本日もお寺に足が向いてしまい、稲沢市(旧祖父江町)の地泉院の駐車場に車を停めていました。

 千三百年前に行基が自分でほった地蔵像がご本尊と言われ、その子安延命地蔵像をおがむと安産できると伝わるお寺ですが、九十三代後村上天皇の勅願寺とありますから700年ほど前に建立されたと思われます。


愛知県観光ガイド
真言宗。尾張三霊場の第一番で尾張七福神の一つ、大黒天の寺。本尊子安延命地蔵尊は、1,300年前行基菩薩の真作で霊験あらたかなお地蔵さんとして毎日全国から参詣者が絶えない。



 地泉院は真言宗智山派のお寺で、昔から安産のお寺として参拝者が多く、かつては津島市から地泉院行きの名鉄の路線バスも運行されていましたが、医学の発展とともに神(仏)頼みが減ったのか、バス路線の廃止にともなって参拝客もほとんどありません。

 大きな名鉄バスが駐車場に停まっていた様子を知る者からすれば、大きな駐車場が余計に寂しく感じるとともに、参拝客が少ないため香炉に線香を立てた痕も無く、お寺が大きいだけに寂しさが漂います。

 昨日の一言に、体重の増加傾向と、自身の食事と間食の節制ができないことを記すと、私と同年のDOCさんから「食べるのを抑制するより筋トレ」とのコメントがあり、ボーリングとバッティングセンターを週1回程度と考えていた私には何をして良いのかも全く理解できないコメントでした。

 DOC 食べるのを抑制するより筋トレで筋肉をつければ基礎代謝が上がり
太らない体になりますよ。
ウエイトトレを勧めます。  


 上に添付したDOCさんのブログ「迷い路散歩道」をご覧いただければ、DOCさんが還暦は過ぎているものの、完全なるスポーツマンであることが判りますが、ボーリングとかバッティングセンターしか考えつかなかった私の甘さを実感させられました。

ウエイトトレーニング(筋力トレーニング)の方法・メニュー
                     http://everyman.client.jp/ueitomenu.html
フィットネス ビギナーズノート http://everyman.client.jp/

 もっとも、ウォーキングですら、歩くことを目的とすると継続とならず、珈琲店に行くために歩くとか、歯医者さんに行くために歩くなど、目的のために歩いていくことはできても、健康のためとは言え歩く事を目的にできない私の性格と、「飽き性」で長続きしない自分に甘い性分を考えると、筋トレをする目標を考えないといけませんね。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2960歩 間食あり
                                    12月26日の一言

家族も自分自身も誕生日を忘れており

津島市葉苅町 目比(むくい)川の夕暮れ

 「線香は何本立てれば良いのかな?」
 「3本ですよ」
 「それはどういう意味なの?」
 「三密と言って…」


 「お父さん、今日はどうしたの?」
 「えっ? … 」

 昨日は知多半島を歩いて9ヶ寺を巡拝しましたが、最後に参拝した大師堂の前で線香について聞かれて「3本」の説明をしている私の手元を見て、家内が「どうしたの?」と発した一言で、手に持った2本の線香にびっくりとしました。

 お遍路の作法と言うよりも、真言宗の焼香や線香のマナーとして、焼香は3回、線香は3本と決まっており、3本の意味について色々な解説がされていますが、三密として身と口と意(こころ)を指し、3本の線香は身体と言葉と心を意味します。

空海の能力開発法「三密加持」 http://kikou.info/page/cat2/cat1/172.php

 日頃から3回の焼香や線香の3本について口うるさく語っていた私が、線香の本数を問われて3本の意味を語りながら、その時に2本の線香しか手にしていなかった事には、自分自身もびっくりさせられましたが、今年の10月29日に愛雀のピーちゃんが死に、翌日から玄関前に埋めたピーと8月に亡くなったピヨちゃんのもとへ2本の線香を持って走っているため、2本の線香を燈すことが身体の習慣になっていたようです。

 偶然ですが、昨日がピーが死んで四十九日目となっており、雨の日以外は2本の線香を持って玄関の門柱まで走ってきましたが、これからもしばらくは線香を燈し続けてピーとピヨの冥福を祈りたいと思っています。

 さて、本日は私の誕生日で、私自身も言い忘れていましたが、家族全員が就寝してしまってから思い出し、ここにもかろうじて思い出して記した次第ですが、家族の誰一人として私の誕生日を思い出さなかった事よりも、自分自身も忘れてしまっている現実に、添付した線香の数を身体が忘れていたこととともに寂しさを感じました。


 そして、一年前の一言を見直してみると、一年前の誕生日も夜まで忘れており、家族にも忘れられていたことと、孫に連絡して誕生日を知らせようとしていたことを懐かしく思い起こす夜になりました。

          本日の体重 71、9キロ 徒歩数 7027歩 間食あり
                               12月18日 62歳の一言

地元の大般若祈祷会に参加して

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 本日は町内の弘盛寺(高野山真言宗)で初弘法が開催されたので参加してきました。21日は真言宗のお寺では弘法会が毎月開催されており、私はこのお寺で午後から開催されている阿息観に参加していますが、今月は年の始めのため午前中の大般若祈祷会に出かけました。
 
 大般若経とは、大乗仏教経典で唐の玄奘(げんじよう)訳した600巻にのぼる経典で、別々に成立した般若経典(「仁王経」と「般若心経」を除く)集大成したと伝わり、空の思想を説き,真実智慧般若明らかにした、大般若波羅蜜多経をさします
 
 この経典を僧侶が読経にあわせて玉すだれのように開き、祈願者である参拝者も同じように経典をめくっているのが添付した写真で、この後に住職が般若経典で参拝者の肩や首などをトントンと叩いて祈願は終わりとなります。
 
 さて、本日の副住職の話では、お参りには願い事を祈願する読経と、先祖等を供養する読経の2種類があり、本日は祈祷会が行なわれており、参拝者の身体健全や家内安全などと読み上げられていましたが、私は「先祖代々」と記入していることに読経中に気づいたものの、やっぱり馬鹿ですね。考えてみると、薄暗い本堂の受付で、祈願する項目を記入する欄に、先祖供養と書き込んでおり、老眼鏡がないと何も見えない現実に甘んじている反省も必要です。
 
 さて、本日は私自身がメンバーの移送に関わっている名古屋市の志賀弘法友の会でも集会が行われており、家内が午前中に津島市からメンバーを名古屋市に送っており、夕方になってから名古屋市の大須観音の近くにある会場へ迎えに走りました。
 
 今年は空海によって高野山が開創されて1200年にあたるため、高野山でも多くのイベントが開催されますが、お寺から行事の案内をもらって参加を考えている人と、弘法会のメンバーとして参加を考えている人とは大きな違いを実感させられます。高野山に参拝して50年の経験と、修業体験は聞くだけでは体感ができません。
 
 名古屋から帰る車中では、四国遍路や百観音巡礼について花を咲かせ、弘法会の人々にとっては、私が4月の選挙で落選すると移送の依頼がしづらいため、「とにかく頭を下げつづけるんだよッ」と厳しい叱咤がありました。
 
                                本日の体重 71、4キロ 徒歩数 9386歩
                                    1月21日の一言

京都大原 宝泉院

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額縁の間から京都三大五葉松を鑑賞
 
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孫や家族(5人)で抹茶とお菓子をいただきました

本日は京都で大晦日と新年を迎える前に大原の宝泉院を訪れました。ご住職は不在でしたが、奥様や係りの人々から親切に対応していただきました。

額縁の借景と五葉松を背景にして抹茶をいただきました。何度訪れても心が落ち着くお寺です。

善通寺から指導僧の暴行事件が発信されて

 香川県善通寺市真言宗善通寺派の総本山善通寺で、20代の男性修行僧が、指導役の40代の男性僧侶から修行中に暴行を受けて2週間のけがを負ったとして、香川県警に被害届を出した。僧侶は謹慎中という。
                                 朝日新聞本日付け夕刊
 
総本山善通寺で指導役僧侶が修行僧に暴行、2週間のけが
 
 他の新聞によれば、男性はあばら骨が折れており、別の修行僧1人も継続的に暴力を受けていたとも報道されており、より年長の僧侶は、指導役の僧侶に「それ以上したら捕まるぞ」などと注意したことや、一緒に寮生活した複数の僧侶も状況を認識していたが、止めなかった事も報じられています。
 
 被害にあった男性は近畿地方の寺の僧侶で、9月から約3カ月間の予定で、善通寺の境内にある寮で生活しながら修行をしており、報道によれば指導役の僧侶は以前、別の修行僧を暴行していたが、この修行僧が寺を出た後、男性が被害を受けるようになったとあるため、謹慎中(解雇との報道もあり)と言われる僧侶には、僧侶の指導役というよりも自身の暴力癖を改善する必要がありそうです。
 
 高野山では幹部による会計処理にまつわる不祥事も大きく報道されましたが、今回の暴行事件とあわせると、程度こそ違え、「金と暴力」と言う暴力団の看板のようなテーマで報じられており、真言宗の寺院や、弘法大師を信心する人々には大きな痛手となる事件であります。
 
 私も起業したのが大学時代のため、私生活で非行に走るアルバイトや、仕事に穴を開けた学生に暴力を行使した苦い経験もあるものの、年末で還暦を迎える年齢となった現在では、体力的な限界も原因となるのかもしれませんが、暴力を行使しなくても指導は可能と思います。
 
 暴力では人の心はつかめず、非行に走ったり、交通事故を起した少年と当時は歳もあまり変わらなかったものの、雇用主として一緒に警察や家庭裁判所に出向いたことで、強い絆が生まれ、今でも当時の雇用関係のままでつながっている人間関係が存在しています。
 
 私が毎月21日に訪れたいと考えている同じ町内にあるお寺(真言宗)では、私だけでなく80才の男性や40才位の男性が、35才の若い副住職によって、「阿息観」という呼吸法を指導されており、ここには前記した金銭や暴行なんて無縁の、清々しい関係で時間が経過しております。
 
 来月には所属する歩き遍路友の会の旅程で、2日間だけですが、善通寺に宿泊して朝の勤行にも参加する歩き遍路の予定がたててあり、弘法大師が生まれたと言われ、弘法大師が開基した善通寺を舞台に、このような不祥事が起こったことは非常に残念です。
 
 さて、本日から3日間は、市役所で定期監査と例月出納検査が続くため、朝から晩まで事務所は不在となりますが、本日は我家の事務所に置いてあるパソコン2台がリニューアルされ、これまでの起動の遅さによるストレスがほとんど払拭されました。
 最近では不在が続いていた書道会も、本日は久々に参加できましたが、不在中に出向いた上高地や御嶽山の話や、何よりも健康審査の再検査で、さしあたりガンの心配が払拭されたことから、躁状態のように口が弾み、かんじんの筆は眠ったままの夜となりました。
 
                                    10月29日の一言

根高の釜地蔵寺の前に立ち

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 写真は愛西市根高町にある治療院まで会員を移送した私の営業車ですが、見てのとおり道路は車の轍を除いて雪景色のままで、この雪が残る間は当地方も冷蔵庫の中で生活しているようなものです。
 
 この治療院の前に、無住ではありますが由緒がありそうなお堂があり、石塔や案内板から釜地蔵大菩薩とあり、この寺が尾西弘法二十一大師第六番「釜地蔵」であると判りましたが、この寺は海東西新四国八十八ヶ所の第六十六番と、尾張六地蔵の五番寺であるとの表記がありました。
 
釜地蔵寺【かまじぞうじ】   http://www.aruku88.net/tera/302aisai/kamajizouzi-nedaka/index.html 
海東西新四国八十八ヶ所 http://www.aruku88.net/kobo/bisai88/memo/list.html
尾西弘法二十一大師霊場 http://www.aruku88.net/kobo/bisai21/index.html
 
 添付した資料は、愛知札所巡りというホームページを貼り付けただけですが、このお寺の建つ場所は、添付した写真でも判るように、車のすれ違いも難しい細い街道(上街道)沿いに建っておるものの、複数の霊場に名を連ねていることから、かなり遠くまでその名は知られていたと思われます。
 
 お寺にも住職が存在せず、寺の運営を支える信者(檀家)が少ない事から、荒れ放題となっている風景にも出くわしますが、釜地蔵大菩薩像は1653年に制作されたと表記されており、無住にもかかわらず地域の人々の手厚い力で守られてきた事が実感させられるとともに、裏には多くの墓が建ち並び、墓地とされてしまっている事が残念です。
 
 さて、この釜地蔵については、私の叔父のホームページにも札所が表記されていた事から、久しぶりに叔父のホームページを検索すると閉鎖されており、難病を患い、一年前に叔母を亡くしている事から消されている事が判明しました。
 
 叔父の住んでいる住居も浄土宗のお寺の説教所となっておりますが、法人化されていない事から、叔父が亡くなると空家となり、供養を続けてきた墓標や仏像の行く末を心配して「阿弥陀堂」の看板を玄関に掲げましたが、後継者不在は身近な問題と実感させられる寒い一日となりました。
                               1月20日の一言

津島神社に立ち寄って

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本日の津島神社本殿と楼門(右)
 
 「西の祇園社(八坂神社)、東の津島社」と言われ、牛頭天王信仰の東日本を代表する古社であり、全国に末社が3千社(実際に記録が残っているのは全国に約1千5百社)と言われた津島神社ですが、このブログには一度も紹介した事がありませんでした。
 
 今でこそ近隣の神社と同じように紹介されていますが、その創祀は欽明天皇元年(540年)と伝えられ、戦国武将織田信長の氏神として、豊臣秀吉は社領を寄進し、徳川幕府寄進の神領地として明治維新まで続いた神社です。
 
イメージ 3 本日は神社の近くにある「伝承の館」に出向いた際に、雪の残る津島神社にも立ち寄りましたが、残雪により閑散とした中でも熱心に参拝する地元の方の姿と、中型観光バスが1台駐車していました。
 
 本殿は慶長10年(1605)に、徳川家康の四男松平忠吉の妻が、夫の健康祈願のために寄進したもので、楼門は豊臣秀吉の寄進で桧皮葺きの屋根と朱塗りの柱が残雪の中で鮮やかに映えます。本殿正面の南門は秀吉の病気平癒のため、慶長3年に秀頼が寄進しています。
 
 津島市と言えば、夏7月に開催される日本三大川祭り「尾張津島天王祭」が有名ですが、年の初めの「歳旦祭」から、4日に輪くぐり神事「茅の輪くぐり(蘇民祭)」、2月からは5月にかけて「烏呼神事」、「春縣祭」、「闘鶏転供祭」、「花の撓」など五穀豊穣を祈る祭りが続きます。
 
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 左のポスターは今年3月5日に開催される津島神社開扉祭 「おみと」 の案内ですが、津島神社でも勇壮な「火祭」が毎年行なわれています。
 
 この祭りに使われた燃え盛る大松明の灯りの中から、松明の燃え残りを持ち帰って家に納めると田の虫除け・雷除け・歯痛除けに効き目があると、参拝者は顔を焦がして争って持ち帰ります。
 
 
祭りの様子は下記のブログを参考にして下さい。
 ブログ 鉄火お嬢が行く! 
 
 
  さて、本日訪れた伝承の館は、旧図書館の建物を利用して高齢者のために各種事業を展開しており、ここには津島市老人クラブ連合会の櫻木会長が施設の責任者として務めておられ、2月6日に開催予定の「人にやさしい街づくり地域セミナー」のパネラーを依頼してある事から当日の打ち合わせに訪れました。
 
 ここで語り合った内容は内密ですが、名誉職としてではなく、ご自身が名古屋市職員として勤められた行政経験を踏まえた発言ですから、4月の選挙を勝ち残ったら自分も長寿を目指すために、是非とも協力したいと思う訪問となりました。
                                 1月19日の一言

宝珠寺(洗い観音様)・知多山海

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龍翔山 宝珠寺
宗 旨 : 曹洞宗
ご本尊:聖観世音菩薩   御祭祀:千手観世音菩薩
知多郡南知多町山海西海外114 電 話: (0569)62-0181

霊験あらたかな「観音さんの水」としてよく知られ、今も渇水することがありません

 宝珠寺の歴史

 昔ここにほこらがあって、村の船乗りは、海の神の龍神さんに捧げるべく、この常夜灯に毎夜灯をともしたいといい、 このほこらにあった御本尊は、今宝珠寺に奉祀されています。
 宝珠寺は豊浜正衆寺の末寺であって、開創も同時代であろうといわれていますが、もう十数年前ですが、 東京から一枚の銅板の拓本が送られてきました。

 「内海 山海 大泊観音 什宝」と記されてありました。 東京の古美術菟集家の手に渡った銅版の照会だったのですが、この銅版は250年も前、江戸時代のものだといいます。 大泊観音として江戸時代より言い伝えたれたという宝珠寺の、確かな史実がひとつこんな偶然の機会に明確になったのです。

 観音さまの水

 真水不足で、飲み水にもこと欠く知多半島に「観音さまの水」として、近郷によく知られた宝珠寺の井戸水は、 霊験あらたかで、今も渇水することがないといいます。

 南知多老人ホーム

 境内にある「南知多荘老人ホーム」は、昭和三十年に開設された老人ホームの草分け的な存在です。 入荘者三十人程度のこの施設は、老人アパートから老人ホームまでの内容を持ち、少人数ゆえに、入荘者同志、 地域の人々との暖かい触れ合いが家族的な雰囲気を生み出しています。
 ついつい孤独に陥りがちな老人達に、人間らしい暖かい触れ合いを軽費に提供するこのような施設こそ、 これからの高齢化社会に対応するための大切な存在となることでしょう。

 洗い観音(写真下)

 東京巣鴨の高岩寺(とげぬき地蔵で有名な寺)にある洗い観音様からの分身で、難病が治った信者の存在と、住職の人柄にも信者が集っている。子息は知多の一休さんとも呼ばれ、テレビで何度も紹介されている。
毎月18日に縁日が開かれ、多くの参拝者で賑わう。
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