木曽路は木曽11宿といわれ、江戸と京都を結ぶ街道の1つであった中山道のうち、急峻な木曽谷を通る街道部分にある11の宿場町の総称として使われています。
街道の別去れ
慶長18(1613)年に、下諏訪宿から小野宿・牛首峠経由で贄川宿に至る旧中山道が廃止された翌年、塩尻峠経由の路線が新たに中山道として設定された際新設された宿場です。
宿場の北方は中山道と北国脇往還(善光寺街道)の「別去れ」で道が左右に分かれ、「右中山道 左北国脇往還 善光寺街道」の道標が建っており、中山道を進むと桔梗ケ原を経由し塩尻宿へ、善光寺街道を進むと郷原宿へと向かいます。
〇洗馬宿のみどころ
洗馬宿は昭和7(1932)年の大火で宿の大部分が焼失してしまいまたが、細川幽斎にまつわる伝説の肱懸松跡、中山道と善光寺街道の分岐点の分去れ道標、常夜灯、木曽義仲伝説の邂逅の清水や願い事をかなえてくれるという言成地蔵尊などがあります。
塩尻市から木曽路を目指す旧中仙道初めての宿となる洗馬宿です。観光客であふれる奈良井や妻籠のような華やかさはありませんが、ここから中山道と北国街道が分岐する追分となり、東国を目指す人と善光寺参りの人々が別れていく重要な宿です。
観光施設もないため観光客は一人もありませんでしたが、昔ながらの街道を歩いてJR洗馬駅の改札口からホームまで、まるで大正時代から昭和初期へ戻ったような感覚を入ってきた中央線の列車の音が現実に戻してくれました。