本日の午前中に宅配便が届き、中身は平成5年に他界している私の父親が描いた猿の色紙で、今月ヤフーオークションに出展されているのを発見し、絵としての価値は感じないものの、親の残した遺品としてオークション初参加ながらも落札することができました。
添付した写真は我家の玄関で、他界する前年に父親が「どうしても門柱を建てたい」と造ったものですが、「大鹿」の表札も父親の書を彫ったものだけに、届けられた色紙の里帰りのようにも感じた一日となりました。
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オークションに参加したのも初体験で、過去にネットを通じたトラブルが発信されていることから、自ら入札に応募するとは思ってもいませんでしたが、宣伝するつもりは毛頭ないものの、トラブルを払拭して安全に参加できるシステムになっていたことを実感させられました。
私の父親の色紙は静岡県沼津市の方から発送されており、我家で父親が描いていた絵が、どのような経路で沼津に存在したかも気になるところですが、有名でもない父親が趣味で描いた色紙を「こんなもの」と捨てられても当然と思うものの、発送した色紙を保護するために別の色紙が重ねられており、出展していただいたことご配慮に感謝の一言です。
父親は旧満州鉄道の鉄道員であったことから、戦後は愛知県に戻って名古屋鉄道の乗務員からグループの名鉄産業で定年を迎えており、若い時から帝展の日本画家浅見香城先生の指導を受け、描いた絵の多くは名鉄を定年退職された人達や同僚への記念品として、かなり多くの色紙が出回っていると思います。
昭和40年代までは大きな額に入る作品も描いていましたが、定年退職した昭和63年頃からは地元の勤労会館で開催される日本画や書道の教室に通い、毎日のように絵を描いていたことから、そんな頃に描かれた色紙だと思われます。
さて、過去にも差し上げた人が亡くなった際に、遺族から戻った色紙が存在しますが、今回里帰りした色紙についてはかなりシミがついていることから、居間か玄関に飾られていた可能性も高く、付着したシミの存在が所持したおられた人と色紙の距離を感じます。
私の少年時代までは、恩師の浅見先生の弟子の人たちによって「たんこう(坦交?漢字が定かではありません)会」という画展が開催され、出展した父親の作品にも希望者から値段が付いたことはありますが、父親はそういった作品を名鉄の大切な人に差し上げており、今回の色紙が唯一売買された作品になりました。
しばらくは我家の仏壇に飾り、額に入れて大切に保管していきたいと思います。
8月31日の一言